第一章

「…さん、ティナさん」
 ―遠く、いやすぐそばから、あたしを呼ぶ声が届く。
 ずっと一人なあたしを呼ぶ人なんて、いるわけないのに…いや、違う。
「ん…せん、な?」
「あ、目が覚めました? ティナさん、大丈夫ですか?」
 目を覚ますと、そこは叡那さんの家にあるあたしの部屋、その布団の上…すぐ隣には閃那の姿。
「大丈夫って、何がよ…まだ起きる時間じゃないでしょ?」
 部屋はまだ暗くって、夏ではやい日の出はまだ先だって解る。
「そうですけど、ティナさんうなされてて…悪い夢でも見てたんじゃないかって」
 心配げな彼女の言葉に、さっきまで見てたもののことを思い出す。
「ま…ちょっと、ね。元いた時代の頃の夢を見ちゃってたみたい」
「えっ、それって…アーニャさんとお別れするときのこと、ですか?」
「いや…彼女と別れて、再会するまでのこと、ね。ずっと、一人でいなきゃいけなかった頃の…」
 再会したときもあんなだったし、元いた時代でのあたしって…う〜ん。
「もう、ティナ…すぐそばに私がいるのに、そんな夢見ちゃうなんて」
 本当、そうよね…前に閃那が長いこと元の世界へ帰っちゃったときにこういう夢を見ちゃったことあったけど、今はあのときみたいにさみしいとかないのに。
「大丈夫です、ティナ…今の、それにこの先のティナにはずっと私がそばにいますから、さみしい思いなんてさせません」
 と、彼女、そんなこと言いながらあたしのこと抱き寄せてきた。
「ままたちやねころさんもいますし、何にも心配とか、不安にならなくってもいいんですよ」
 そう、今のあたしには、愛する人、それに家族までできて、本当にとっても、もったいないくらい幸せ。
 そうであるがために、過去の自分の境遇を思い出して不安になったりすることも、確かにある…けど。
「ん、ありがと…閃那」
 あたしも、幸せになって…そして人を幸せにしてもいいわよね、アーニャ。
「でも、そんな夢を見ちゃうなんて、まだまだティナのさみしさを埋めてあげられていないみたいですね」
「いや、そんなことないってば、もう十分…」
「いいえっ、そんなことありませんっ。ですから、私がもっと埋めてあげます…んっ」
「…ん、んんっ?」
 あの子、あたしへあつい口づけしてきて…さみしいとか、そういうのは本当にないんだけど、あの子のことが愛しくって、それを受け入れちゃうの。

 ―あたし、雪乃ティナと閃那は元は別の時代からきたっていう共通点のある者同士。
 それがきっかけであたしたちは出会い、そして今では互いに深く想い合う関係。
 学校も同じところへ通い、学生寮も同室で一緒に生活してるけど、今は夏休みってことであたしにとって、そして閃那にとっても実家ってことになる叡那さんの家で寝起きしてる。
 こっちにいる間も、毎日の生活習慣は変えずにきたんだけども…。
「おはようございます、ティナさん、閃那さん。今日はゆっくりお休みされたのでございますね」
 起きて部屋を後にしたあたしと閃那を出迎えた、あたしと似た耳を頭に持つ、メイドって呼ばれる服を着て穏やかな雰囲気をした、そしてあたしの姉になってくれたねころ姉さんの言葉通り、今日はちょっと遅い目覚め。
「ん、おはよ、ねころ姉さん。今朝は起きるの遅くなって、一緒に朝ごはん食べられなかったわね…ごめん」
「いえ、そんな、謝られることなんて何も…! お休みなのでございますからごゆっくりなされたほうがよろしゅうございますし、それにお二人は昨日旅行からお戻りになられたばかりで疲れも溜まっていらしたと思いますからなおさらでございます」
「…ん、ありがと」
 実のところ、今日起きるのが遅くなっちゃったのは、旅行の疲れとかじゃなくって、その…昔の夢を見ちゃった後に閃那としたことが原因なんだけど、さすがにそんなこと言えるわけない。

 起きたのがもうお昼近かったってこともあって、朝ごはんじゃなくってお昼ごはんってことになった。
「では、いただきます」
 食卓にはあたしと閃那、ねころ姉さんの他にもう一人の姿があって。
「先日まではお二人で旅行、たのしんでいらしたかしら。何事もなく戻っていらして、何よりね」
 落ち着いた声をかけてくれるのは、その声通り落ち着いた雰囲気をした、ものすごい美人さん…閃那はあたしのことスタイルがいいとか言ってくるけどとんでもない、その人に較べたら全然。
 この家に隣接するお社に務めてもいる、この国の伝統的な服のよく似合うその人は九条叡那さんっていって、この家の主ってことになる。
 一応あたしより二つ年上ってことになってるんだけど、色々…本当に色々特別っていうか特殊っていうか、とりあえずいえるのは別の時間軸の未来では閃那の母親になる、って人。
「まぁ、楽しかった…かしらね。ああいう、力を使ったりしないでする遠出ってはじめてでしたし」
 叡那さんへ対しては微妙に敬語気味になっちゃう。
「叡那ま…ね、姉さまは、ねころさんと二人きりでゆっくりできましたか?」
「…そうね」
 今のこの時代で閃那は叡那さんの妹、ってことになってる…ややこしい話だけど、この時間軸だと閃那は生まれないことになるはずだし、いいのかもね。
「エリスま…ん〜、エリスさん、も里帰りしてますし、姉さまもねころさんと旅行とかしてみたらどうですか?」
 この家には本来もう一人住人がいるわけだけど、その人…エリスさんは閃那の言葉通り夏休みの間里帰りしてる。
 里帰りっていってもこことは別の世界だったりし、さらにいえばエリスさんは別の時間軸だと叡那さんと結ばれて閃那の母親になったりする…んだけど、この時間軸だと叡那さんはねころさんと結ばれてるの。
「旅行、か…社のことがあるけれど、今はティナさんがいるし、それも悪くないかも、しれないか。ねころがよければ、少し考えてみましょうか」
「は、はい、その、とっても嬉しゅうございます…!」
 叡那さんは極めて特殊な場所であるここを護るって使命を持ってて、だからここを離れるってことがなかなかできない…わけだけど、あたしでその負担を軽くできたりするのかしらね。
「あたし、それに閃那もいるわけだから、もしもそういうときがあったら…遠慮なく言ってください」
「そう、ね…では、そういう機会があれば、少しお二人に任せてみましょう」
 うん、叡那さんにはものすごくお世話になりっぱなしだから、できることがあればやっぱりできる限りのことはしたい。


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