第五章
―梅雨時はじめじめしてて好きじゃない。
さらに七月に入って暑さも厳しくなってくるものだから、ちょっとまいってきちゃうかも。
もうすぐ本格的な夏を迎えるっていう中、ちょっとだけ気分が下がりそうにもなるけど、でも今はとってもわくわくしてる。
「ちゃんと録画は…うん、できてた。よかったぁ」
小雨の中で部屋へ帰ってきて夕食を取った後、昨日の深夜に放送されて録画しておいたアニメを流す。
七月に入った、ということでまた色々新しいアニメの放送がはじまったわけで、今観はじめたのもそのうちの一つなわけなんだけど、それが今期のアニメの中でも個人的に一番楽しみにしてた作品になるかも。
内容のほうは、世界観はファンタジーながら日常ものになるのかな…あったかい雰囲気の作品でなかなかいいものだけど、それだけじゃ一番楽しみ、とまではいかなかったかも。
そう、楽しみにしてた一番の理由っていうのはちょっと別のところにあったりした。
「…あっ、この子がそうなんだ」
作品を観てると一人の女の子が登場人物に出てきた。
なかなかかわいらしい、作中では準メインっていった立ち位置な子なんだけど、私はその子に注目しちゃう。
「うん、なるほど、声もなかなかキャラクターにあってるし、それに演技のほうもさすが」
さらにいえば、特に声のほうに注目しちゃう。
「これが里緒菜ちゃんのデビュー作になるんだ…うんうん、結構いい役だよね」
そう、まさにそういうことなんだから、注目するのもしょうがない。
デビュー作がアニメの準メインなキャラクターなんだから、やっぱり里緒菜ちゃんは実力あるね…これからも楽しみ。
それに、この夏には夏梛ちゃんと麻美ちゃんのデビュー作になるゲームも出るし、そっちも買ってみよっと。
…と、その二人のゲームって、いわゆる百合な作品なんだっけ…美亜さんあたりが喜んで買いそうな気がする。
「あら、あのゲーム? ええ、もちろん買うつもり…というより、もう予約しているわ」
翌日、アルバイトのために向かった喫茶店で美亜さんへたずねてみると、やっぱりというか、そんなお返事。
予約までしてるなんて、さすがというか…一般のゲーム機で純粋な百合ゲームが出ることなんてあんまりないから彼女にとっては当然といえば当然のことなのかも。
「そう、それに、そのゲームってあの子のデビュー作になるらしいし、なおさらよね」
席についてる何人かのお客さんの様子をうかがいながら話してるんだけど…ん?
「あれっ、美亜さん? それ、誰のこと言ってるの?」
「誰、って…麻美ちゃんのことよ? あの子、ここの常連さんだもの」
そ、そうだったんだ、それは知らなかったな…。
麻美ちゃんは事務所にいるときはほとんど夏梛ちゃんと一緒でさらに人見知りだからなかなか話す機会がなかったりするし、それに何より…。
「でも私、今まで一度もここで麻美ちゃんに会ったことないんだけど…」
私もここで働きはじめて結構たつのに、常連っていわれてる子に一度も会ってないなんて…。
「ええ、麻美ちゃんには私の他に誰もいないときにきてもらっているもの」
「えっ、そんなのどうやって…」
「ふふっ、それは秘密」
微笑まれてはぐらかされちゃったけど、美亜さんは一部のお客さんを、どうやってるのか解らないけどそういうふうにしてるんだよね…う〜ん、気になる。
そして、そういうお客さんの共通点はといえば…ん?
「え〜と、麻美ちゃんってもしかして…美亜さんに、恋の相談にきてたり?」
そう、確かだいたいがそういう子だった気がする…しかも百合な恋限定の。
「あら、それはさすがに言えないわ。麻美ちゃんに他の人へ話していいか聞いていないもの」
うん、それはそうだ…そのお返事を聞いて、かえってちょっと安心しちゃった。
でも、麻美ちゃんか…普通に考えればやっぱり夏梛ちゃんのことが、っていうことになりそう。
私から見ても麻美ちゃんは夏梛ちゃんのことが大好きに見えるし、夏梛ちゃんのほうもあるいは…って感じだもん。
「ほら、そんな人のことより…お客さん、きたわよ? 私が他のお客さんのお相手するから、すみれちゃんはあのお客さんのこと、よろしくね」
そんな美亜さんの言葉に入口へ目を向けると、ちょうど一人のお客さんが扉を開ける姿が目についた。
「あっ、いらっしゃいませ」
「…こ、こんにちは」
にこやかに声をかける私に対して少し顔をそらしちゃったのは、近くの高校の制服を着た、そして見知った女の子。
「こんにちは、里緒菜ちゃん。今日はきてくれたんだ…嬉しいな」
席についたその子へお水を持っていって、それをテーブルへ置きながら声をかける。
「べ、別に、今日はお店に行く用事があったから、そのついでに寄っただけです」
やっぱりちょっとぷいっとしちゃったのはもちろん里緒菜ちゃん。
あんなこと言ってるけど、最近は週に一、二回はきてくれてる。
で、私は美亜さんの言葉に甘えさせてもらって、里緒菜ちゃんの注文したメニューを持っていくと、そのまま彼女の向かい側に座っちゃう。
「全く…お仕事はいいんですか?」
そんな私を見た彼女はちょっと呆れ気味にも見えたけど、でも嫌がったりした様子じゃない。
「ん、大丈夫だよ。それに、最近はあんまり一緒にお散歩できてないから、ちょっとお話ししたいな、って」
「当たり前です、こんな季節に散歩とかあり得ませんから」
そうなんだ、春先はお散歩に付き合ってくれた彼女だけど、さすがに梅雨に入ると遠慮されちゃう様になっちゃった。
梅雨が明けても厳しい暑さが待ってるし、当分お散歩は無理か…ちょっとさみしいけど、でもしょうがないのかも。
それに、お散歩のおかげで彼女との距離も近くなった気がするし、それにこうしてときどき喫茶店にもきてくれてそれなりに外には出てくれてるものね。
ここにきてくれるのって、もしかして里緒菜ちゃんも私に会いたい、とか少しでも思っててくれるのかな…だとしたら嬉しい。
「…何です? 変ににやにやしたりして」
「ううん、何でもない」
そんなことを言葉にすると反応が容易に想像できるからあえて言わない…ま、その反応もかわいいから見たい気もするけど。
「そうそう、昨日は里緒菜ちゃんの出てるアニメ観たよ。なかなかよかったよね」
「う…そ、そうですか。あ、あのくらい、できて当然ですけど」
あ、ちょっとだけ赤くなった…照れちゃったのかな。
「うん、来週からも楽しみ」
「…あ、あんまり大きな声出さないでくださいよね。他の人に聞こえちゃうかもしれませんし」
と、今度はちょっとにらまれちゃった…っと、ん?
「それって、お仕事のことを人に知られたくない、ってこと?」
「そうですけど、何か文句ありますか?」
「ううん、私と同じだな、って思っただけ。うん、気をつけるね」
そう言われてみると、里緒菜ちゃんのデビュー作のアニメも声優さんをあんまり表に出さないタイプの作品だっけ。
「でも、里緒菜ちゃんはどうしてそう思うの? 最近だと、アニメに出る様な声優さんは露出の少ないほうが珍しいくらいなのに」
ちょっと声を小さくしながらたずねてみる。
「そんなの、色々面倒だからに決まってるじゃないですか」
あ、里緒菜ちゃんらしい答え。
でも、ちょっと安心したかも…ううん、もしかしたら自分に自信がないから、とかそんなことでなんじゃ、って思っちゃったから。
それはあの日の…桜の花が舞い散る公園でのことが脳裏に浮かんだからなんだけど、彼女はあの日のことになると話をそらしちゃうし、まずは気にしないでおこうかな。
「そういうセンパイも、何だか人前に出ない感じですね。私と同じ、とか言って…どうしてですか?」
そうそう、最近ようやく里緒菜ちゃんも私のことをセンパイ、って呼んでくれる様になった…やっぱり距離が近づいた感じがして、嬉しい。
「う〜ん、私の場合は…イメージがつくのが嫌だから、かな」
「あ〜…なるほど、解る気がします」
あっ、それだけで解ってくれたんだ…さすが里緒菜ちゃん。
「あとは、しいていえば私が表に出ても華がないっていうか、そんな気がするからとか、ってとこかな」
「う〜ん、それはちょっと納得できないかも…センパイは素敵ですよ?」
「…え?」
何だかとっても意外な言葉が返ってきて固まっちゃったけど…素敵、とか言った?
「え、え〜と、あ、ありがと…」
「い、今のは…な、何でもないです、気にしないでくださいっ」
嬉しいやら恥ずかしいやらで赤くなっちゃう私に対し、あの子も赤くなって慌てちゃう。
「そ、そういえば、センパイってどうしてここでアルバイトなんてしてるんですか? お仕事、そこそこあるはずなのに」
そして、そのまま話をそらされちゃった。
「えっ? えっと、そうだね、それでもやっぱりまだ一人暮らしで生活していくには不安があるし、そのあたりは自分で何とかしてかなきゃ、ね。それに、ここは個人的にも気に入ってるし」
私もあえて追求したりせずたずねられたことに答えてくけど、気になるのはやっぱりさっきの一言。
私が素敵だとか、そんなこと本当に里緒菜ちゃんが思ってくれてるのだろうか…う〜ん、何だかどきどきしちゃう。
それから里緒菜ちゃんにあんなことを言われることはさすがになかったけど、あれって先輩の声優としてちょっとはいい感じに見てもらえる様になった、ってことなのかなって受け取っておくことにした。
少しでもいい先輩になれてたら嬉しいし、これからももっとそう思ってもらえる様に頑張らなきゃ、って改めて思えた。
色々力とかになれたらいいな、とも感じるんだけど、梅雨が明けて本格的な夏がやってくるとあの子に会う機会が出会った頃と同じくらいになくなってきちゃった。
これはお互いのお仕事のほうがあって、という理由が結構大きかったから、いいことなのかもしれないけど…特に里緒菜ちゃんの場合、普段は学生生活があるから夏休みになるこの時期に大きな収録が入っちゃうことが多いみたい。
うん、声優としてのお仕事がある、っていうのは本当にいいことなんだし、さみしいとかなんて思っちゃいけないよね。
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