あれからその子に会う機会はなかったけど、もう疲れたりすることなく元気にしてくれてたらいいな、って考えてた。
会う、といえば事務所の新人さんなわけだけど、残念ながらその子に会う機会すら全然やってこないままに月日は流れていっちゃう。
「えとえと、灯月夏梛です。よろしくお願いしますっ」「あっ、その、石川麻美ですっ…」
そうしているうちに三月の半ば、事務所には次の新人さんたちがやってきちゃって、事務所の一室で二人揃って挨拶をしてくれた。
そう、次の新人さんは二人…あのゲームのオーディションは主人公役だけを選ぶものだったから本来一人だけになるはずなんだけど、同じオーディションで二人とも採用されて今日やってきたみたい。
「まだまだ至らないところは多い多いと思いますけど、色々ご指導してくださると嬉しい嬉しいです」
元気にそう言ってくるのは灯月夏梛さんで、この子が主人公役に選ばれた子。
ちょっと背は低めの、長い髪をツインテールにしてさらにゴシック・ロリータな服がよく似合ってるかわいらしい子だね。
「そ、その、よろしくお願いしますっ…」
とっても緊張した様子で頭を下げるのは石川麻美さんで、この子は主人公役には選ばれなかったんだけど、でもその実力が評価されて同じゲームのサブキャラ役として採用されたそう…如月さんが灯月さんの他にも新人がいる、みたいなことを言っていたのはこの子のことだったんだね。
灯月さんよりは背の高い、長くてきれいな髪やおっとりした雰囲気の、清楚なお嬢さまを思わせる子かも。
二人ともこのオーディションで初採用でこれまでどこにも所属したりしてない、完全な新人さん。
「うん、よろしくっ。私は山城すみれっていって、二人よりはちょっと先輩になるかな…だから、何かあったら遠慮なく頼ってねっ」
そんなお二人の力になってあげられたら、嬉しいな。
私にとってはじめて…じゃなくって二番めにできた後輩のはずなのに先に会うことになっちゃったお二人、夏梛ちゃんと麻美ちゃん。
「あっ、二人とも、こんにちは。今日もしっかり練習してるんだ…えらいね」
二人はほぼ毎日事務所にきてるから、私と顔を合わせる機会も多くって、今日もスタジオにいたからちょっと顔を出して声をかけてみた。
「あっ、山城さん、こんにちは」「こ、こんにちは…」
スタジオで二人っきりでいた夏梛ちゃんは元気に挨拶してくれるけど、麻美ちゃんはちょっとびくっとしちゃった。
私が怖がられてるのかな、ってはじめは思っちゃったけど、どうやらそうではないみたいなんだ。
「二人とも、お疲れさま…ちょっと休憩したら? ほら、これあげるから…サクサク」
「あ、わざわざありがとうございます」「あ、ありがとうございます…」
私の差し出したチョコバーも、夏梛ちゃんは普通に受け取ってくれるけど麻美ちゃんはちょっと遠慮気味…でもこういう態度は私に限ったものじゃなくってみんなに対してもこんな感じ。
つまりとっても人見知り、ってことだね…ま、これはおいおい慣れてもらえればいいのかな。
「あ…おいしい、です。灯月さん、おいしいね」「ですです…山城さん、ありがとうございます」
そんな麻美ちゃんだけど、夏梛ちゃんには普通に接してる…同期でしかも同い年らしいし、気が合いやすいのかな。
そして二人は一緒の作品に出る、さらにそれがデビュー作っていうこともあって、いつもこうして一緒に練習してる。
「夏梛ちゃんと麻美ちゃん、まだ会って少ししかたってないと思うんだけど、もうとっても仲がよさげでいい感じだよね」
「えっ、そんなこと…普通、普通ですよ?」「わっ、え、えと…」
二人とも顔を赤くしちゃったりして、かわいい。
それに、麻美ちゃんは見ての通り夏梛ちゃんにべったりだけど、夏梛ちゃんのほうもそれを悪く感じてない様に見える。
美亜さんあたりが見たら何かとんでもないことを言いそうな気がするけど、見てて微笑ましく感じられちゃうのは確か。
「ねっ、二人とも、今日はまだ練習? 誰か指導にきたりはしないの?」
「あっ、はいです、今日はスタジオがずっと使える使えることになっていますからそのつもりですけど、人は誰も誰もこないでしょうか」
夏梛ちゃんは同じ単語を二回繰り返す癖があるみたいで、そんなところもかわいらしく感じられる。
「そっか、じゃあちょっと見学させてもらってもいいかな?」
「わわっ、見学って、山城さんがですか?」「え、えと、その…」
私の提案に二人は驚いちゃった。
「うん、私でよかったら何かアドバイスとかしてあげられるかもしれないし…あ、邪魔になりそうならやめとくけど」
「わわっ、そんなそんな、邪魔なわけありませんし、もちろんもちろん大丈夫です。麻美もいいですよね?」
「え、えっと、でも…他の人に見られるなんて、緊張しちゃいます…」
「もうもう、何を言ってるんですか? そんなことじゃこの先やっていけない気がしますし、それにそれに先輩さんに見てもらえるなんてとってもとってもありがたいことですよ?」
「う…うん、そうですよね、灯月さん。あ、あの、よろしくお願いします…」
やっぱり麻美ちゃんはずいぶん人見知りだけど、それでも夏梛ちゃんの言葉でうなずいてくれたから、私は二人の練習をちょっと見させてもらった。
練習を再開する二人はさすが私が落ちちゃったオーディションで選ばれたっていうだけのことはあって、とってもいい声もしてるし基礎的なところもしっかりしてる。
まぁ、麻美ちゃんがちょっとかたくなってて実際の収録とかになると大丈夫かな、っていうところはあったけど…。
「ねっ、二人とも、私も一緒に練習しちゃってもいいかな?」
そこはこうやって私みたいな第三者が入ってくることによって少しずつでも他の人に慣れてくれたらいいな、って思う。
「えとえと、今日は一緒に練習してくださって本当にありがとうございました」「あ、ありがとうございました…」
「ううん、そんな、こっちこそ一緒にさせてくれてありがと」
練習が終わってお互いにお礼を言い合っちゃうけど、後輩さんと一緒に練習っていうのもいいね。
梓センパイも、私と練習してそんなふうに感じてくれてたら嬉しいな。
「また一緒に練習させてもらってもいい?」
「あっ、はいです、もちろんもちろん大丈夫です」
うん、やっぱり後輩がいるっていいものだ…けど、何故だか妙に物足りなさを感じちゃうのはどうしてなのかな。
「…山城さん、どうかどうかしたんですか?」
ちょっと考え込んじゃった私へ夏梛ちゃんが不思議そうに声をかけてきたけど…あ、なるほど、そういうことか。
「夏梛ちゃん、それに麻美ちゃんも、もしよかったら私のことは『センパイ』って呼んでくれないかな? そうしてくれたら、嬉しいな」
「…えっ?」
どうも唐突だったみたいで二人とも固まっちゃったけど、やっぱりこう呼ばれなきゃ物足りないって感じるのも当たり前だよね。
「二人とも、ダメ?」
「い、いえいえ、別にいいですけど…山城、センパイ?」「え、えと、山城…センパイ」
「…わぁ、二人とも、ありがとっ。これあげるねっ」
ちょっと感激しちゃって、思わず二人にチョコバーを渡しちゃう。
「わわっ、あ、ありがとうございます…ですけど、そんなにそんなに喜ばなくってもいい気がしますけど」
「ううん、そんなことないよ。だって、事務所に入ってからそう呼ばれたの、これがはじめてなんだもん」
そう呼ばれたからっていってもまだまだ梓センパイには遠く及ばないとは思うけど、俄然やる気が出てきちゃう。
「はじめて、ですか…あれっ、でもでも、私たちのちょっと前にも新人さんが入ってるって聞きましたよ? その人には呼んでもらえないんですか?」
「あ、うん…呼んでもらえないというか、その子にはまだ会えてないんだよね…」
と、今度は何だかさみしい気持ちになっちゃった。
「えっ、私たちもまだその人には会っていませんけど、山城さ…センパイもまだなんですか? でも、そういえばあんまり事務所自体にきてないみたいですね…」「そ、そうなんだ…」
そっか、その新人さんに、夏梛ちゃんと麻美ちゃんもまだ会ってなかったんだ…二人はほぼ毎日、しかも私より長い時間ここにいるはずなのに。
やっぱり、本来はじめてになるはずだった後輩さんに会えていないのは、さみしいな…どこか感じる物足りなさの一因はここにありそうだ。
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