第三章

 ―私が声優になっておよそ一年、所属する事務所ではじめての後輩ができた。
 お名前は片桐里緒菜さんっていって、十七歳っていうから私より結構年下だ。
 如月さんのお話だとかなりの実力を持った子で、だからこそ採用された、っていうことなんだけど…。
「うぅ、どんな子なのか気になっちゃうよ〜」
「なるほどね、その様子だとまだその片桐さんって新人には会えていない、と」
 アルバイトの時間、午後のピークのお客さんもいなくなったところで思わず声を上げちゃって、美亜さんにそう言われた。
「うん、もうその子が事務所にきて数週間たっちゃったのに、まだ一度も…」
「あら、それは…ずいぶん経っちゃったのね」
 ちょっと脱力しながらもカウンター席に座らせてもらうけど、つまりはそういうこと…すぐ会えるって楽観してたんだけど、こんなことになっちゃうなんて。
「すみれちゃん、毎日事務所に顔見せているんでしょ? それなのに全然会えないなんて、不思議ね」
 美亜さん、そう言いながら紅茶を出してくれる。
「あっ、ありがと…う〜ん、それが、その子って本当に出向く必要があるときだけしか事務所にこなくって他は電話ですませちゃってて、しかもきても用件を終えるとすぐ帰っちゃうそうなんだ」
 出された紅茶を一口…ん、おいしいし気持ちが落ち着いてくる。
「だから、この数週間の間にも二回かそのくらいしかきてないらしいんだよね」
「さらにいる時間も短い、となると…確かに、会うのは難しいわね」
 会わなくってもお互いに何の問題もない、っていったらそうなんだけど、やっぱり残念。
「まぁ、その子って高校生らしくって、学業と声優さんのお仕事を両立させなきゃいけないんだから時間が惜しくなる、っていうのは解るんだけど、ね」
「あら、そうだったのね。私の妹の先輩で先日高校を卒業した子がそのまま声優さんになる、という話は聞いたのだけれど、高校生のまま声優さんになるなんて、すごいのね」
「あ、でも結構高校生で声優デビューしてる子っているんだよ」
 もちろんそれだけの実力があれば、なわけだけど…今回の新人さんもそれだけの子、っていうことなんだよね。
 でも、それでも学生と声優の両方をやってくのは大変だと思うし、やっぱり私で何か力になれたらな、って思っちゃう。

 今日のアルバイトは夕方五時まで、ということで喫茶店を後にした。
 三月っていうことでだいぶ日も長くなってきて、この時間でもまだ夕焼け。
 そういえば、今日はまだ事務所に行ってなくって、この時間ならまだ普通に誰かしらいるはずだし、行ってみることにした…んだけど。
「ん、あの人…ちょっとふらついてるけど、大丈夫かな」
 市街地へ向け住宅街を歩いてると、向こうからそういう人…しかも女の子が歩いてくるのが目についた。
「ねっ、そこの人、大丈夫っ?」
 もちろん放っておくことなんてできないから、慌てて駆け寄って身体を支えてあげる。
「な、何ですか、ただ眠いだけですから、放っといてください」
 一方、身体を支えてあげた、近くの高校の制服を着た女の子はそう言ってきて…ん?
「…あれっ、あなたってもしかして、この間喫茶店で休んでいった…?」
「…げっ、誰かと思ったらこの間の店員さんですか」
 顔を合わせてみると間違いなくあのときの女の子だったわけだけど、目を合わせた瞬間明らかに嫌そうな顔した気が…ま、いっか。
「ど、どうしたの、もしかして今日も体調悪いの?」
「も、もう、さっき言った通り、ただ眠くてはやく帰りたいだけですから、放っといてください」
 ちょっと気だるそうに私の手を振りほどいちゃった…けど。
「そんなわけにはいかないよっ。あんなにふらついてたら事故にあっちゃうかもしれないし、放っておけないよ」
「もう、そんなおせっかい、いらないのに…」
「おせっかいでも何でも、あなたにもしものことがあるよりは全然いいよ」
「何なんです、見も知らぬ人にこんな…関係ないのに」
「それこそ、見知らぬ人かどうかなんて関係ないよ。私が力になりたいだけなんだから、ね?」
「はぁ…まぁいいです。これ以上何か言っても面倒なだけですし…」
 ため息をつかれちゃったけど、一応解ってもらえた…っていうことで、いいのかな?
「うん、それじゃ、おぶってあげるから背中乗って? お家まで送ってあげるから」
 そう声をかけながらその子へ背を向けて少しかがみ込む。
「え…い、いやいや、さすがにそんなのしてもらうわけには…。それに、家までとか…え、遠慮しておきます」
「もう、何も遠慮することなんてないよ? 私がいいって言ってるんだから」
「は、はぁ、面倒です…で、でも、さすがに家までは結構です」
 う〜ん、見知らぬ人にこられるのが嫌なのかもしれないか。
「じゃあ、あの喫茶店まで連れてくよ。そこで休んでけばいいって思うし…それでいい?」
「私は元々こんなことしてもらう必要なんてないんですけど…しょうがないです」
「ん、それじゃ、背中に乗って?」
「は、はぁ…」
 背中向けてるから彼女がどんな表情してるかは解らないけど、とにかく遠慮がちに私の背へ身を預けてくるのが解った。
「んしょ…それじゃ、いくよっ」
「うぅ、恥ずかしい…」
 その子を背負って、私は元きた道を引き返しはじめた。
「え、え〜と、私、重くないですか? でしたら、無理しておぶらなくても…」
「ん、このくらい全然何ともないよ。だから気にしないで」
 そんなこと気にしたりするなんて、この子っていい子だね。
 それでその子は何も言ってこなくなったけど、眠くってふらふらしてたなんて、やっぱり疲れてるのかな。
 この子に会ったのはこれで二度めになるわけだけど、一度めのときも疲れた様子だったっけ…。
 あのときはお出かけして疲れちゃった、っていうことだったけど、今回もそうなのかな?
「ねぇ、今日はどこかお出かけしてたの?」
 ちょっとたずねてみたけど、お返事はない…。
 答えたくないのかな、とも思ったけどそうではなくって…歩きながらもよく耳をすますと、すぐそこから穏やかな寝息が聞こえてきた。
 背中に伝わるぬくもりも心地いい…ここは起こさない様に、静かにしないとね。

「それじゃ美亜さん、ご迷惑をおかけしますけどよろしくお願いします」
 ついさっき後にした喫茶店へ、今度はあの子を連れて戻ってきて。
 私の背中から椅子へ降ろしたあの子は気持ちよさそうに眠ってたから、起きるまでそのままにしておいて、それからお家へ帰ってもらうことにした。
 それまでは美亜さんが様子を見てくれるってことになったから、私は一言声をかけて喫茶店を後に…しようとしたんだけど。
「…あら? すみれちゃん、どうしたの?」
 扉の前でつい足が止まっちゃって、美亜さんに声をかけられちゃう。
「う〜ん、その子が起きたときにはもう夜が遅くなってないか、って…。そうなると、女の子一人での夜道は大丈夫かな、って心配になっちゃって…」
「あら、すみれちゃんだって女の子なのに」
 そう言われるとそうなんだけど、やっぱり心配なものは心配…。
「…で、結局私が起きるまでお店にいた、っていうんですか」
 まぁそういうわけで、一時間くらいして目が覚めた彼女と一緒に喫茶店を後にして、さらに並んで歩いてる私。
 その子はちょっと呆れた様子、一方そんな私たちを見送ってくれた美亜さんは、よく解らないんだけど妙に微笑ましげにしてた。
「はぁ、夜っていってもまだ七時過ぎですよ? 心配されなくっても一人で帰れます」
 うん、このくらいの時間なら確かに大丈夫な気もするけど…ここまできた以上はやっぱり、ね。
「もう、あなたってどれだけお人よしなんですか…。今日、そちらにも何か予定とかあったんじゃないんですか?」
 あ、事務所…いや、ただ顔を出すだけの予定だったし、今日はこちらを優先していい。
「大丈夫だよ、心配してくれてありがと」
「…別に、私はただ呆れてるだけです」
 そんなことを話しているうちに、私たちの歩く先に見えてくる大きな建物と、その前の門…。
「あ、もう着きましたので、ここまでで結構です」
 で、その門の前で足を止めた彼女、そんなこと言ってくる。
「…へ? でも、ここ学校…」
「この学校の敷地内にある寮で暮らしていますから。ですから、何の心配もいりません」
「あ、なるほど、そういうことか」
「はい、では私はこれで…」
 私が納得したのを見て、その子は私に背を向けて校門をくぐってく。
「うん、ばいばいっ。ゆっくり休んでねっ」
 もう寝不足でふらつく、なんてことにはならないでね…って、チョコバーを渡してあげればよかったかな。
 でも、この学校は寮生活か…何だか楽しそうで、いいな。
 彼女の姿も見えなくなったので、そんなことを思いながらその場を後にしたのだった。


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