第二章

「おはようございま〜す」
「あら、まぁ、おはようございます、山城さん。今日も元気いっぱいですね」
 朝、事務所へやってきて出迎えてくれた如月さんと笑顔で挨拶。
「はい、私の取り柄は元気くらいですし」
「まぁ、そんなことはないと思うんですけど…」
 私がいつもどおり元気なら、如月さんもいつもどおりにこやかな様子…やっぱり見ていて安心する。
「まぁ、では、時間よりちょっとはやいですけど、はじめましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
 私と如月さん、個室へ入って席につく…今日は私の今後入ってるお仕事について、マネージャである如月さんと打ち合わせ。
 この間受けたオーディションで通って採用してもらえたゲームの収録もはじまるし、頑張らなきゃ。
「うふふっ、私も期待してますけど、あまりご無理はなさらず頑張ってくださいね」
「はい、ありがとうございます…あ、これ食べますか?」
 打ち合わせが一段落したところでチョコバーを差し出した。
「あら、まぁ、いただきます〜」
「はい、どうぞ…サクサク」
 お互いにチョコバーを口にしてのんびり…。
「あら、そういえば、山城さんにこのことはまだ話していませんでしたっけ」
 と、如月さん、チョコバーを食べ終えたところで思い出したかの様にそんなことを口にした?
「もうすぐこの事務所に新人の声優さんがくることになってますから、山城さんも仲良くしてあげてくださいね」
 あぁ、なるほど、そういうこと…って?
「わっ、それって、私に後輩ができる、ってことですか?」
「あら、まぁ、そういうことですよ〜」
 ちょっとびっくりしちゃったけど、そっか…この事務所にいる声優では私が一番の新人になるから、はじめての後輩っていうことになるんだよね。
「うふふっ、山城さん、何だか嬉しそうですね」
 嬉しい、っていうか楽しみ、っていうか…とにかく胸が高鳴ってるのは確かかも。
「あっ、その新人さんって、もしかしてあのゲームの主人公役に選ばれた人、ですか?」
 と、ふと思い出したことを訊ねてみたけど、私が口にしたのはこの間…去年の年末くらいにこの事務所でオーディションが行われたもののこと。
 私も受けてみたけど残念ながら落ちちゃったそれは未経験者でも受けられて、そしてそういう人が合格した場合はこの事務所に所属する、ってことになっていた。
 そして、採用されたのは実際に新人になる人だったはずで…。
「えっと、確か…灯月夏梛、って人でしたっけ。その人がくるんですか?」
 あおのオーディションに合格してゲームの主人公役に採用された人…気になっちゃうかも。
「あら、まぁ、その子たちがくるのは三月末くらいですから…いずれは後輩さんになりますけど、先に別の子がくるんですよ」
「あ、そうなんですか…どんな人がくるんです?」
 いずれにしても、そのあたりは気になっちゃうよね。
「あら、まぁ、そこは実際にきてからのお楽しみ、っていうことにしておきましょう」
「う〜ん、そうですか、しょうがないですね…サクサクサク」
 如月さんもまだ実際には会っていないのかもだし、ここは素直にそうしよ…って、ん?
「あの、如月さん、さっきの灯月さんって人の話で『その子たち』とか言いませんでした? それってどういう…」
 あのオーディションでの採用は一人のはずなのに、どうして複数形…。
「あら、まぁ、それもその日がくるのを楽しみにしておいてください」
 でも如月さんはそんなお返事で、これじゃチョコバーを食べてるしかない。
 う〜ん、同時期にまた別の人がくる、ってことなのかな…年度末が近いからかもだけど、何だか立て続けだね。

 今日のお仕事関係の予定はその打ち合わせだけで、お手伝いすることとかもなかったし、それに午後からはちょっと別の予定もあったから、それで事務所を後にした。
 時間はお昼よりちょっとはやいくらい…寒さの中にも陽射しのおかげでちょっとあったかさも覚える時間帯だけど、同時に空腹感まで覚えはじめちゃう。
 そんな中で私が向かうのは、事務所からそう離れていない閑静な住宅地の一角で、そこには落ち着いたたたずまいの、でもけっして家ではない建物があった。
 外へもかすかにいい香りが漏れてきている扉をゆっくり開いて中へ入らせてもらう。
「いらっしゃいませ…あら」
 外観同様に落ち着いた雰囲気の中にはいくつかのテーブルや椅子、そしてカウンターがあって、そのカウンター越しに立っている人が普通の挨拶をしようとして私に気づく。
「誰かと思ったらすみれちゃんだったのね…こんにちは」
「うん、こんにちは、美亜さん」
 そうして改めて挨拶を交わして、他に誰もいない、そしていい香りの漂う喫茶店の店内…カウンター越しに座らせてもらう。
「えっと、まだ時間まで少しあるから、お客さんとしてお昼ごはん食べたいんだけど、いい?」
「ええ、もちろん」
 カウンター越しに微笑むのは、この喫茶店の店員さんで藤枝美亜さん。
 私と同い年の大学生で、背は私より幾分低いけど、その物腰とか縦ロールにした髪とか、いわゆるお姉さま、って雰囲気の人かも。
 そんな美亜さんの作ってくれるお料理をお昼ごはんとして食べさせてもらって、さらに紅茶までいただいちゃう…彼女の淹れる紅茶はとってもおいしくって、紅茶がこんなおいしいものだなんてことはここではじめて知ったかも、ってくらい。
「今はまだ他にお客さんもこないし、のんびりしましょ」
「あ、じゃ、これ食べる?」
「あら、ありがと」
 美亜さんにもチョコバーを渡してのんびり…。
「そういえばすみれちゃん、今日はいつにも増して機嫌よさそうよね…何かいいことあった?」
 と、美亜さん、優雅に紅茶を口にしつつそう訊ねてくるけど、彼女って妙にこういう鋭いところがあるんだよね。
「あっ、うん、実はね、私に後輩ができることになったんだ」
「あら、後輩って…お仕事の? すみれちゃんは確か、声優さんだったわよね」
「うん、そう…サクサク」
「そう…でも、それってライバルが増える、ということなのではないの? あちらの世界は厳しい、と聞くし…」
「それでも、やっぱり楽しみなのっ」
 事務所へ入ってくる、ということはすでにきちんとした実力を身につけてるはずで、美亜さんの言う通りなのかもだけど、そこは私がもっと頑張ればいいだけだし、それにその新人さんのほうが役にふさわしいっていうのならそれはそれでしょうがない。
「そう…ふふっ、何だか私も楽しみになってきちゃった。ね、その新人さんって、女の子かしら?」
「…へ? それは…う〜ん、どうだろ、多分そうだと思うけど」
 うちの事務所は基本的に女の子だけだもんね…少なくてもその後でくる灯月さんって人は、女の子な主人公役なんだしそれに名前からして女の子だろうけど。
「でも、それがどうしたの?」
「ふふっ、すみれちゃんとその新人さんが百合な関係になったりしたらいいわね、って思って」
「…なっ! も、もうっ、何を言い出すかと思ったら、そんなのあり得ないよっ」
 あまりに唐突な言葉に思わず言い返しちゃったけど、そうなんだよね、美亜さんって女の子同士の恋愛、いわゆる百合が大好きなんだった。
「あら、あり得ないだなんて、どうしてそう言い切れるの? 女の子同士がダメだった?」
「いや、そういうのは実際恋しないと解んないけど、そもそも私って今まで男女問わず恋なんてしたことないし、興味ないかな」
「ふぅん、でもそんなこと言っている子が突然恋に落ちちゃったりするのよ?」
「う〜ん、でも私はないと思うな。今は声優のお仕事が一番だし」
「そう、お仕事に恋してる、ってことかしら」
「そうそう、それに近い感じ。他の人の百合な恋愛が大好きで自分は恋しない…というより百合なお話に恋してる美亜さんと同じ、なんじゃないかな」
「なるほど…そこまで言われると、ひとまず納得するしかないかもしれないわね」
「うんうん、そうそう…サクサク」
 お互い微笑んで、美亜さんは優雅に紅茶を、そして私はチョコバーを口にするのだった。


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