第一章

「…パイ、センパイ?」
 ―うんうん、やっぱりそう呼んでもらえると嬉しいな…って!
「…はっ!?」
「もう…センパイ、どうしたんですか? ぼ〜っとしていたと思ったら…」
 我に返ると、私のそばには一人の女の子がいて不思議そうにこっちを見てた。
「ううん、何でもない何でもない」
 いけないいけない、完全に回想モードに入っちゃってた…しっかりしなきゃ。
「ならいいんですけど…掃除をするなんて言い出したのはセンパイなんですから、ちゃんとやってください」
「ん、そ、そうだね」
 私の様子に軽くため息をついちゃう、私より少し背の低い、でも短く切った私に対して長くてきれいな黒髪をした…ううん、髪だけじゃなくって顔立ちもとってもきれいなその女の子は、片桐里緒菜ちゃん。
 私のことをあんな風に呼んでくれることからも解る様に、同じ事務所に所属する後輩の声優さん…まだ事務所にやってきて半年くらいってとこだけど、その実力は確か。
 里緒菜ちゃんは声優だけど同時に高校生で、ここは彼女の通う高校の学生寮の一室…彼女の部屋になって、そこで何をしてるかっていえば、さっきの彼女の言葉どおりここのお掃除してた。
 窓の外はもうすっかり暗くなってる中、どうしてそんなことしてるのかっていえば、それはこのお部屋がちょっと見過ごせないほど汚かったからなわけだけど、そもそもどうして私がここにいるのかっていうと…。
「それにしても、告白して口づけまでした後にすることが掃除なんて、何というか…」
「うっ、え、え〜と…しょ、しょうがないじゃない、どうしても目についちゃったんだから…!」
 ちょっと呆れた様にも感じられるあの子の言葉なんだけど、それでちょっと前にこの場所でしたことを思い出して、恥ずかしくなって思わず慌てちゃう。
 そう、私はここに自分の想い…里緒菜ちゃんのことが好き、っていうことを伝えにきたの。
 里緒菜ちゃんも私のことを想ってくれてて、想いが重なった私たちはここで口づけして…わ、わわわっ。
「あれっ、センパイ、顔が赤いですけど、どうしましたか? この部屋、暑いですか?」
「う、ううんっ、そういうわけじゃないし、べ、別に何でも…!」
 むしろこの部屋はエアコンが効きすぎな気がするし、真夏とはいえ夜になったしそれに掃除してるから窓は開けておいたほうがいいかも…なんて、冷静に考えてなんていられないよ…!
「ふふっ、センパイ、かわいいです…」
 そんな私に対してあの子はゆっくり正面に回ってきて…。
「…んっ」
「…っ!?」
 何の前触れもなく口づけしてくるものだから、私は完全に固まっちゃう…!
「わっ…り、里緒菜、ちゃん…!」
 それでも、唇が離れたところで真っ赤になりながらも何とか言葉を搾り出す。
「センパイがあまりにかわいすぎて、我慢できませんでした」
「も、もうっ、私はそんなこと…」
 一方のあの子はというと、かなり余裕のある態度…クールさを感じる笑顔はやっぱりとってもきれい。
「それにしても、里緒菜ちゃん、その、ずいぶん積極的なんだね…」
「はい、だってもう恋人なんですし、我慢も遠慮もいりませんよね?」
 そ、それはそうなんだけど、私なんて恋人、って言葉だけで恥ずかしくなっちゃうのに、この差は一体…やっぱり、ずっと前から自分の気持ちにも相手の想いにも気づいてた子と、つい少し前までそのどっちにも気づけてなかった人との差、なのかな…。

 そんな里緒菜ちゃん、私が部屋へやってきたときにはYシャツ一枚しか着てない状態だったり…今はきちんと下もはいてくれてて一安心、これ以上どきどきさせられたら大変だもん。
 里緒菜ちゃん、いつも部屋にいるときはそんな格好でいるっていうし、それに部屋も散らかり気味だったりと、ちょっと面倒くさがりやさんなところがある。
 だから今みたいな八月、夏休みとかは基本的に部屋でのんびり過ごすことにしてるそうなんだけど、でも練習はしっかりしてるみたいだから偉いよね。
 それに、面倒だなんて言いながらも私と一緒にお散歩とかお祭りにも一緒に行ってくれたし、さらに最近は練習も一緒にするうえにお弁当を作ってくれたりもしてて、もったいないくらい嬉しい。
「わぁ、とってもおいしそう…いただきま〜すっ」
 そして今も、二人で囲んだテーブルの上には彼女の作った夕ごはんが並べられる…私が掃除をしてる間、彼女はそれを作ってくれてたの。
 ここの学生寮は各部屋にキッチンがついてる…でも食堂もあるそうで、今みたいな休日はともかく、学校のある日は好きなほうを選べるらしい。
 キッチンつきの学生寮って結構珍しいイメージだけど、里緒菜ちゃんより一ヵ月後に事務所へきた石川麻美ちゃんや私のアルバイトしてる喫茶店で働いてる藤枝美亜さんが通ってた学校もそうらしい。
 一人暮らししてるのに料理が全然ダメな私や面倒くさがりやさんの里緒菜ちゃんにとってみれば食堂のほうがいいわけなんだけど…。
「…う〜ん、とってもおいしい。お弁当もそうだけど、やっぱり里緒菜ちゃんはお料理上手だね」
「もう、大げさですね…このくらい、普通です」
 そう、里緒菜ちゃんってとってもお料理上手なんだよね…だからあんな謙遜なんてしなくってもいいのに。
 彼女がお料理上手なのは、できるだけ外に出ないで済ませられる様にしよう…っていう流れからそうなったらしいんだよね。
 面倒なことにならない様に、ってことで勉強のほうもかなりできるみたいだし、何というか…楽するためにやってることが身になってたりして、すごい。
 とにかく、私がくるなんてことは想定してなかったからあり合わせの品で作った、なんていうけどとってもおいしくって、食もどんどん進んでいっちゃう…と、そんな私に対して、あの子のほうはまだあんまり食べてない様子なうえ、こっちを見てきてる?
「…ん? 里緒菜ちゃん、どうしたの?」
「いえ、幸せそうに食べてくれてるセンパイを見てると、かわいくって」
 うっ、そ、そこは自分も幸せになるとか、そういう感じじゃないのかな…。
「それにしても、食べちゃうのはやいですね…私が食べさせてあげたりしなくってもよかったですか?」
「…へ? わっ、えっと、それはその、また次の機会にでも…!」
「そうですか…楽しみにしておきますね」
 う〜ん、やっぱり里緒菜ちゃんのほうが態度に余裕があるよね…。
 それにしても、食べさせてもらう、か…うん、それ自体は魅力的な提案だし、やっぱり次の機会に、そのときは私からもしてあげよっと。


次のページへ…

ページ→1/2/3/4

物語topへ戻る