「それでは、失礼します。センパイ、今日は練習に付き合ってくださって、ありがとうございましたっ」
「ううん、こちらこそ。すみれちゃん、ばいばい」
 あれから三人で少しおしゃべりしから、今日は事務所を後にした。
 外に出ると日ももう暮れかけ…夕ごはんの材料を買ってから家路につく。
「ただいま〜」
 帰ってきてそう声を上げるけど、返事は返ってこない…小さなアパートで一人暮らしなんだから、それも当たり前なんだけど。
 ワンルームのそれほど広くないお部屋なんだけど、一人で暮らすには十分…あんまりお金とかかけられないし。
「よし、それじゃ夕ごはんを作ろっかな」
 そう意気込んで小さなキッチンに立つ…んだけど、私ってお料理はちょっと苦手。
 学生時代も作る機会とかほとんどなかったし、こうして一人暮らしをはじめたばかりの頃はかなりひどかったっけ…いや、それは今でもあんまり変わってなくって、簡単なものしか作れない。
 簡単な分、そう失敗とかはなくって普通に食べられはするけど、ちょっと味気ないかも…ううん、食べられるだけ全然大丈夫。
 そうして夕ごはんも食べて、お風呂にも入ったら、夜は録画しておいたアニメを観たり、ゲームをしたり、あとは声優さんのラジオ番組を聴かせてもらったり…することは色々。
 アニメやゲームは昔から好きで、そのこともあってこのお仕事を選んだ…もちろん今でも好きで、主に自分の好きな声優さんの出てるものや好きな内容のものに手を出してる。
 好きな内容は…何ていえばいいかな、熱いお話とか、一生懸命頑張ってる子のお話とかが特に好きかな。
 うん、やっぱり観たりしてこっちもすっきり気持ちよくなれる内容がいいよね…逆に暗いお話とかは苦手で、学生時代は全然観たりしてなかったっけ。
 でも、今はそういうのも…さすがにゲームは買わないけど、アニメは少しは観る様にしてるんだよ?
 だって、私自身がそういう役を演じる機会がいつあるかもしれないし、少しでも参考にするために、ね?
「…あ、このアニメ、センパイの出てるやつだ」
 録画したアニメを再生していく中、ふと声を上げちゃう。
 今テレビの画面に流れているのはいわゆる日常もののゆるい雰囲気のアニメなんだけど、その作品のメインキャラの一人をセンパイが演じてる。
 普段のセンパイは今日も会ったみたいにかわいらしい人なんだけど、今流してるアニメの子はクールで不思議な雰囲気の子…でもセンパイの声は何の違和感もなく、その子のものにしか感じられない。
「うん、やっぱりセンパイはすごいなぁ」
 私ももっと頑張らないと、って思えてきちゃう。
 …っと、声優さんの演技にばかり目がいっちゃってる様に見えるけど、ちゃんと作品自体も楽しんでるよ?
「…って、次のこれって私が出てるやつじゃない」
 今日収録があった作品はモブキャラだったけど、今流れてきた作品ではもうちょっと名前のある役を演じさせてもらってる。
 デビューしてから今日までの間でいくつかの作品に出演させてもらってるけど、やっぱりこうやって実際にできあがったものを見ると、色んな気持ちがわいてくる。
 はずかしいっていうのももちろんあるし、嬉しいっていうのも、もっと頑張らないと、っていうのもね。
 そして、作品に触れた人たちにどう思われてるのかな、って…どんなお仕事でもそうだと思うけど、自己満足で終わっちゃダメ、ちゃんと受け取ってくれる人のことを考えないといけない。
 まずは自分が楽しく演じられてないと相手にも楽しくなってもらえないかな…って考えてるんだけど、どうかな。

 そう、私は深夜アニメを生じゃなくって録画で観てる。
 一番の理由は単純明快、そんな夜遅くまで起きてることができないから。
 もちろん夜にお仕事があるときはそうも言っていられないけど、特に何もないときにははやめに寝ることにしてる…やっぱり、しっかり寝ないと元気出ないからね。
「んっ、う〜ん…もう、朝か…」
 そのおかげで朝は目覚まし時計とか使わなくっても目が覚める。
 大きく伸びをしながら身体を起こして、ベッドから降りて…部屋の明かりをつけた。
 今の時間、この時期だとさすがにまだ外は暗いんだよね…けど、それでもカーテンの隙間から外の様子をうかがってみた。
「雨は…降ってないみたい。よしっ」
 空模様を確認してから、顔を洗って服を着替える。
 で、着替えた服といえば、普段から動きやすさを重点にしてる私の服の中でも最たるもの…つまりジャージ姿。
「それじゃ、いってきま〜す」
 ジャージ姿になって、誰もいないけど一応挨拶はして外に出る。
「うっ、やっぱりちょっと寒いかも…」
 冬の、さらにまだ暗い中だから外の空気はやっぱりとっても冷たい…けど、そんな中で私は道の端をそうはやいペースじゃない感じで駆けていく。
 まだはやい時間で、人や車の姿もほとんどなくって静かな街…そんな中をのんびり走ってく。
 他の季節もそうなんだけど、この早朝の時間帯にある独特な空気ってやっぱり好き。
「あっ、おはようございま〜す。それに、お疲れさまですっ」
 そんな早朝だけど全く誰もいないわけじゃなくって、ときどき新聞配達の人とかに会ったりするから、そのときは挨拶をしてく。
 新聞配達か…そういうアルバイトも悪くないけど、さすがに今よりはやく起きるのは難しいし、お仕事があるときはお休みしなきゃいけなくなりそうだし、ちょっと無理かな。
 ん、新聞配達とかじゃないのにこんな朝はやくから走ったりして何をしてるのか、って…これはそのまま、ただのジョギング。
 声優のお仕事も体力は必要だし、それにこれは学生時代からの習慣みたいなものだから…早朝に走るのって気持ちいいんだよ?

 声優になってから一人暮らしをはじめて住んでみたこの町は、このあたりでは一番大きな町。
 少しずつ明るくなってくる、でもまだ静かなその町をのんびり走っていくと、独特な音が私の耳に届きはじめる。
 それは潮騒…そう、この町は海に面してる。
「う〜ん、今日もいい天気…朝日がきれいだね」
 市街地を抜けて穏やかな波の打ち寄せる砂浜へやってきたところでちょうど日の出を迎えるから、少し足を止めてその光景を眺める。
 まだまだ冬で波は穏やかでも空気は冷たい…でも、ここまで走ってくるとそれも心地いいよね。
 そんな砂浜からまた少し駆けてくと、そのすぐそばにある、木々に囲まれた厳かな空間にたどり着いた。
 空間への入口…鳥居をくぐり、きれいな参道を歩いてくと立派な社殿が見えてくる。
 この海沿いにある神社が、この町へやってきてからの毎朝のジョギングでの中間地点…参道はゆっくり歩いて一息入れてく。
「今日も一日、いい日でありますように…」
 社殿の前に立って、お参り…これももうほぼ毎日の日課みたいなもの。
 このお参りのおかげか、こっちにきてから悪いことは特に起きたりしてない気がする…うん、今日もみんなにとってそんな日になるといいな。


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