このビルには事務所のスタジオが二つ入ってて一つはちょっと小さめのもの、そしてもう一つは大人数用の広めなもの。
 でも、レッスンとかをするときは広いほうを使うことが多くって、私がそのスタジオへ入るとそこのブース内でレッスンをしているらしい人の姿が目に留まった。
 長くてきれいな黒髪をした、少しつり目でクールな印象を受ける女の人…って、あれ、一礼しちゃってる?
 そしてブースの中から講師の人が出てきちゃって…どうやらちょっと遅かったみたい。
「あ〜あ、せっかくセンパイのレッスン風景の見学ができると思ったのに、残念」
 ちょっとため息が出そうになる…と。
「ん…何が残念なの?」
「わっ、センパイっ?」
 続けてブースから出てきた人につぶやきの最後のほうを聞かれたみたいで声をかけられたりして、少し慌てちゃう。
「いや、その、センパイのレッスンをのぞかせてもらおうかな〜、なんて思って…」
「あっ、ごめんね、今終わっちゃって」
「そんな、センパイが謝ることなんて何もないです。私が勝手にきちゃっただけですから」
「ん、ありがと、すみれちゃん」
「もう、ですからお礼を言われることでもないんですけど…」
 そうしてお互いに微笑み合っちゃうけど、その雰囲気はさっき受けたクールなものとはずいぶん違う…声もどちらかといえばかわいらしい、って言ったほうが正しいし。
 そんな見た目と実際とで雰囲気が結構違うその人は月宮梓さん…声優さんで、それに私がああ呼んでいる様にこの事務所での先輩にもなる。
「それで、すみれちゃんは何しにきたの? 僕のレッスン風景を見るためだけにわざわざ事務所まできた、なんてことはないと思うし…」
 ちなみにセンパイの一人称は「僕」だったりする。
「まぁ、いつもどおりのことですよ? 何かお手伝いできることがあったらとか、場所が空いてたら練習させてもらおうかな、とか」
「う〜ん、そっか、えらいえらい」
 わっ、如月さんに続いてセンパイからもなでられちゃった。
 私より背の低いセンパイがそうしてくれるのはかわいくもあるけど、やっぱり恥ずかしいなぁ…ちなみに私の身長は一六七センチだから、ちょっと高いほうになるのかな?
「じゃあ、すみれちゃん。僕もちょっと時間あるし、スタジオ使う予定も入ってないはずだから、これからちょっと一緒に練習する?」
「…えっ、いいんですか? はい、センパイがいいんでしたらもちろん…お願いしますっ」
 思わぬ、そして願ってもない申し出に、思わず頭を下げちゃう。
「ん、いいお返事。それじゃ、こちらこそよろしくお願いします」
「はいっ」

 私より少し年上の月宮梓センパイは、私がこの事務所へやってきたときにはもうずいぶん活躍していらして、私の知っている作品にも出演していらした。
 だからセンパイの実力は確かなもので、さらにこうして同じ事務所で会う機会も多いものだから、私にとって憧れの存在になってるって思う。
 そんなセンパイと一緒に練習できるんだから、これは張り切らずにはいられないよね。
「はぁ、ふぅ…さすがセンパイです」
「ううん、すみれちゃんも全然詰まらせなかったし、すごいよ」
 私とセンパイ、あのスタジオで滑舌の練習…つまり早口言葉やややこしくって言葉を詰まらせてしまいそうなことを言い合ったりしてたんだけど、ちょっと一息つく。
「あ、センパイ、これ食べますか?」
「ん、それって…わぁ、いいの?」
 一息といえば、ということでチョコバーを差し出したけど、それを見たセンパイは目を輝かせちゃう。
「はい、たくさん持ってますし、もちろんです」
「うん、ありがと…サクっ」
 受け取ったチョコバーをさっそく一口、満面の笑顔で食べてくれるセンパイ。
「何だか、とってもかわいいです」
 その光景がずいぶん微笑ましくって、ついそんなことをつぶやいちゃった。
「サクサク…ぶぅ、それって僕が子供っぽいとか、そういうこと?」
「…へ? い、いえ、そういうわけじゃないです…サクサクサク」
 誤魔化すかの様に私もチョコバーを口にするけど…私より子供みたい、なんて感じちゃったりしたことは、黙ってたほうがいいよね。
「でも、センパイは本当にかわいいと思いますよ?」
「そうかな? よく残念な子、って言われるけど…」
 う〜ん、残念って…見た目と実際とのギャップがあるから、っていうことなのかな。
 確かに、何も言わなきゃクールな雰囲気だし、私もはじめてお会いしたときはちょっと驚いちゃったけど…。
「あ、でもそういうすみれちゃんもかわいいよ?」
「…えっ、私? そ、そうかなぁ」
 う〜ん、かわいい人にそういうこと言われるとちょっと違和感あるかも…。
 そもそも、私って見た目が結構中性的みたいで、髪を切っちゃった今ならなおさらそうっぽいから、かわいいっていうのはあんまり…いや、全然言われないなぁ。
「お仕事も頑張ってるし、もう結構いくつかの作品に出てるよね…先が楽しみだねっ」
「わ、えと、ありがとうございます」
 やっぱり何かこそばゆいというか、恥ずかしいなぁ。
「あっ、でもね、一番かわいいのはむったんなんだよ?」
 …むったん?
 ちょっと聞き慣れない単語に首を傾げちゃいそうになるけど、何だろ…マスコットとかの名前かな?
「あら、まぁ、お二人とも、こちらにいたんですね〜。もしかして、ご一緒に練習されていらしたんでしょうか」
 と、スタジオの扉が開いてそんな穏やかな声が届くから、私たちはそちらへ顔を向けるけど…。
「あっ、むったん〜。うん、そうだよっ」
 元気よく声を上げて現れた人へ駆け寄るセンパイ…その先にいるのは如月さん。
 …あ、なるほど、如月さんのことだったんだ。
「あら、まぁ、お疲れさまです〜」
「えへへ、ありがと〜」
 如月さんが頭をなでてあげて、センパイはとっても嬉しそう。
 うん、やっぱりセンパイってかわいいよね…それに、ああしてるお二人はとっても微笑ましい。
 センパイと如月さんってとっても仲がいい感じで、これからもそんないい関係がずっと続いてくれたらいいな、って思っちゃう。


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