第一章

「あっ、さやちゃん、おはよ〜」
 ―ある日の教室、登校してきたクラスメイトの女の子に明るく挨拶。
「はい、おはようございます…って、あっ!」
 私と挨拶を交わした子、何かに気づいたかの様に教室の奥に駆けていっちゃった。
 …っと、私の今朝の出番はこれで終わりで、次は放課後になるね。
 それまでの間、気を抜かずに皆さんの演技をしっかり観察させてもらおっと。

「今日の収録、お疲れさまでしたっ。あ、これチョコバーですけど食べますか?」
 ―ここは音声などを収録するのに使われるスタジオの一室。
 ついさっき今日予定されてた分の収録も無事に終わって、それまで張りつめていた空気が少しずつ抜けていく中、私はその場にいる皆さんにそんな声をかけながらお菓子を配ってく。
「あら、わざわざありがとう」「山城さんだっけ、気が利くね…でも何でチョコバー?」
「あ、これは私が好きだからいつも持ち歩いてるんです。おいしいですよ…サクサク」
 私の持ってるバッグの中にはこれがたくさん入ってて、いつでも自分で食べたり人に渡したりできる様にしてる。
 まずは試しに私が口にしてみると、皆さんも食べてくれた…よかった。

 スタジオのある建物から外へ出ると、一気に冷たい空気が襲ってくる。
「わっ、寒…ちょっと風も強いかも」
 昔の私だったら髪が大きくなびいたりしちゃったところだけど、今の私は結構短めにしてあるからそんなことにはならない。
 髪を切ったのは、このお仕事をはじめてから…心機一転、気分一新ってところかな。
「今日も無事に終わったよね…うん、よしっ」
 大きく深呼吸をして冷たい空気を吸い込む…ふぅ、少し落ち着いてきたかな。
 この世界に飛び込んでもう一年以上経つけど、やっぱりまだちょっと緊張するなぁ…収録自体もそうなんだけど、それ以上にあんな皆さんの中に私がいる、ってことがね。
 何しろ、今まで色んな作品で見て…いや、この場合耳にしてきた、っていうのかもしれないけど、とにかくそういう人たちの中にいるんだから、やっぱり緊張はしちゃう。
 そもそも、今日の作品での私の役はモブキャラな生徒だから、皆さんと一緒に収録する必要性はそれほどなくって別採りになっててもおかしくないんだけど…だからこそ、一緒に収録できていることが嬉しくもある。
「うん、次も頑張ろっ」
 気合を入れるけど、今日はもう特に予定はない…っと、今日はまだ事務所に行ってなかったし、そっちに行こっと。

 ―私、山城すみれは声優のお仕事をしてる。
 昔からアニメやゲームが好きだったけど、声優さんになりたい、って明確に考えはじめたのは高校に入ってからだっけ。
 たまたま手伝った演劇部の舞台で何かを演じることの楽しさを知って、それなら元々好きだったアニメやゲームなんかの世界で活躍できる声優さんになってみたい、って思ったんだっけ。
 それまで自分の本当にしたいこととか見つかってなかったから何の部活にも入ってなかったんだけど、それを機に演劇部に入らせてもらって演技力を高めようとしたんだよね…懐かしい。
 さらに声優の養成所にまで通わせてもらえて、今こうして声優のお仕事ができてる…やっぱり、途中で諦めたりしないで目指してみてよかった、って心から思う。

 デビューを果たせた私は、海沿いの街にある事務所に所属させてもらってる。
 それが、収録を終えた私がその足で歩いてやってきた、市街地の一角にあるビルに入ってる天姫プロダクション…それほど大きな規模のところじゃないけど、声優の他に歌手さんなども所属してる。
「あら、まぁ、山城さん、こんにちは〜」
「あっ、はい、如月さん、こんにちは」
 事務所へ入ると、私と同じくらいの背をした、そしてスーツ姿のスタイルのいい女の人がにこやかに出迎えてくれた。
「山城さん、今日はアニメのアフレコでしたっけ…その様子ですと、無事に終わったみたいですね」
「あ、はい、何とか…これ、食べます?」
「あら、まぁ、ではいただきます〜」
 にこやかな態度のまま、私が差し出したチョコバーを受け取ってくれたのは如月睦月さん。
 睦月、といっても別に一月生まれじゃないそうな上にどうも葉月っていう双子の姉がいたりするそうなんだけど、とにかくこの人はマネージャさんをしていて、私や他数人の声優さんを担当してる。
 私とほぼ同時期に事務所へ入ったそうだからまだ経験は浅いってなるかもしれないけど、お仕事はできるし、それにいつもにこやかで見ててこっちもそんな気分になっちゃう。
「サクサク…あら、でも今日は山城さんって事務所のほうで何かご用事とかありましたっけ?」
「サクサクサク…あ、いえ、特にはないんですけど、時間があるから何かお手伝いとかできることはないかな、って」
 お互いチョコバーを口にしながらのんびり会話…ん、やっぱりおいしい。
「あら、まぁ、そんなことは気にしなくってもいいですのに…山城さんはいい子ですね」
「わ、えと、そんなことないですって…!」
 いきなり頭をなでなでされちゃって、ちょっと恥ずかしくなっちゃう。
 それに、これは昔からの癖みたいなもので、別に偉くも何ともないんだけどなぁ…。
「う〜ん、でもやっぱり特に何もないでしょうか」
「そうですか…あ、じゃあ、今ってスタジオとか空いてますか?」
 事務所にもスタジオ、あとダンスルームなんかがあって、もし誰も使ってない様ならそこで自主練習をさせてもらおうかな、って考えたわけ。
「あら、大きいほうのスタジオでは、月宮さんがレッスンしてますよ」
「えっ、センパイが?」
 あ、ちょっと胸が高鳴っちゃったかも。
「あの、少し見学させてもらってもいいですか?」
「あら、まぁ、月宮さんがいいっておっしゃったらいいですよ〜」
「はい、ありがとうございます」
 如月さんに頭を下げ、そのまま駆けるかの様にその場を後にしちゃった。


次のページへ…

ページ→1/2/3/4

物語topへ戻る