第五章

 ―リセリアにとっての運命の人。
 そのかたにとっても、リセリアがもちろん運命の人です。
 けれど、そのかたには運命の人がもうお一人おりました。
 ずっと孤独を耐えながら、運命の人に出会える日を待っていらしたお姫さま。
 リセリアには、その気持ちがとてもよく解りましたから…。

 ―穏やかな日差しの下、一頭の馬が平原を南へと駆けていきます。
 その背には、三人の少女の姿。
「リセリア、それにアリアも、疲れてなどはいないか?」
 馬の手綱を取るのは凛々しい剣士、エリノアです。
「はい、リセリアは大丈夫でございます。アリアさんははじめて森の外へ出ることになるのですし、大丈夫でございますか?」
 そのエリノアの背につかまるのは、メイドの服をまとったリセリア。
「あっ、わたくしも大丈夫ですし、それにこの子も大丈夫だとおっしゃっています」
 そして、あのかたに抱きかかえられるお姫さまはアリアさん。
 大樹の下でお話しをした翌日、リセリアたちはあの森を後にいたしました…精霊の姫であり、誰かに会うだけでなく森の外へ出ることも掟で禁止されているアリアさんを連れて。
 リセリアたちが乗るのは、森の中で暮らしていた馬…三人も乗って大変だと思いますけれど、リセリアとアリアさんは馬を操ることはできませんし、動物と会話をすることのできるアリアさんの話では大丈夫だと言っているそうです。
 他の人と接することを禁じられていた彼女ですけれど動物たちとは接してもよかったみたいで、大切なお友達みたいですね。
「それにしても、とっても広い平原です…木が一本もないなんて」
 はじめて森の外へと出たアリアさんにとっては、そんな景色であってもとっても新鮮。
 これから先、色々と新鮮なことがあるでしょうけれど、その先の目的地には悪魔がいるはずです。
「もしアリアさんが危険なめに遭いそうになったら、エリノアがしっかりと護ってあげてくださいましね。精霊の姫を守護する戦乙女が使う『ルーンブレード』を託されたのですから」
「あ、ああ、もちろんだ」
「うふふっ、けれど、リセリアにもしものことがあったときにも、護ってくださいましね?」
 あのかたのお背中にぎゅっとしがみつくのでした。

 南下するリセリアたちが目指すのはもちろんフェルサルナ王国。
 森を出てまずは昨日のあの現場へ行ったものの特に何も残されていなくって、リーサさんとラティーナさんはジャンヌさんたちに連れていかれたと考えられますから、なおさら戻らなくてはいけません。
 といっても一頭の馬に無理をさせるわけにもまいりませんし、それに日が暮れる頃には移動をやめます。
 やっぱり町へはあまり立ち寄りたくありませんので、森を出てはじめての夜は岩場の陰で休むことにいたします。
「こんな木もないところで…大丈夫、なのですか?」
「大丈夫です、いざとなったらエリノアが護ってくださいますから」
 ずっと広大な森の中で過ごしてきたアリアさんはさすがに少し不安そうでした。
 夕ごはんは、そんなアリアさんが出してくださいます。
「何もないところから食べ物が出てくるとは、すごいな…」
 精霊はあらゆるものを異空間へしまいこみ、いつでも、腐食などないままに出すことができる力を持っております。
 アリアさんはこの旅のためにリセリアと一緒にたくさんの食事を作って、その方法で持ち運んでくださっているんです。
「リーサさんがいませんし、アリアさんがいなかったら大変なことになっておりました…ありがとうございます」
「いえ、そんな…」
 恥ずかしそうにされてしまいますけれど、アリアさんが光の力であたりを薄く照らしてくださっているおかげで火を起こす必要もありません。
 明かりについてはエリノアが「ルーンブレード」を抜いて…とも考えたみたいですけれど、さすがに聖剣をそう使うのはよくないですし、ずっと剣を持っていただくわけにもまいりません。
 お食事も終わって、星空の下で岩を背にして休むことになります。
 さすがに夜は冷えますし、そうでなくとも愛しいかたのぬくもりを感じていたいですから、あのかたに寄り添ってのお休みです。
「あ、あの、では、おやすみなさいまし…」
 アリアさんは少しさみしそうに、やや離れた岩にもたれかかりますけれど…。
「アリアさんも、よろしければこちらへいらっしゃいませんか? 寒いと思いますし、エリノアの左隣が空いておりますから」
「えっ、けれど、そんな…」
 突然の提案に戸惑われてしまいます。
「うふふっ、何も遠慮することはございません…ね、エリノア?」
「ん、あ、ああ、リセリア、それにアリアがよいというのであれば、僕は構わない」
「え、えっと、では、失礼いたします…」
 顔を赤くして、遠慮がちにあのかたへ寄り添うアリアさん。
「うふふっ、あたたかいですよね?」
「え、ええ…」
 ものすごく恥ずかしそうにしていらっしゃるアリアさんは、やっぱりとてもかわいらしゅうございますね。

 その夜、どこからか聴こえる美しい歌声に、ふと目を覚まします。
 この歌声は、昨日にも聴いたアリアさんのもの…見ると、エリノアの隣にいるはずの彼女の姿がありませんでした。
「僕が目覚めたときには、すでにいなかったな」
 先に目を覚ましていらしたエリノアがそうおっしゃいます。
 今日耳に届く歌声には悲しげなものなど帯びていませんでしたけれど、それでも少し気になりましたのでエリノアと起きて彼女のところへ行ってみます。
 歌を歌うアリアさんの姿は、岩場の向こう側にありました。
 目を閉じ、両手を胸の上で重ねて天使の歌声を奏でる彼女…昨日と同様、その周囲に徐々に淡い光が集まってきているのが解りました。
 とても幻想的な光景の中で歌い終えたアリアさんが両腕を広げた瞬間、彼女の身体がゆっくりと地面から離れ、さらにその背に天使の様な二対の白い翼が現れます。
 そんな彼女に淡い光が集中して、やがて天高く伸びて消えていく…昨日も目にした不思議で美しい光景に、リセリアたちは思わず見惚れてしまいます。
 と、光が完全に消えるとともにアリアさんの背に現れた翼も消え、彼女はゆっくりと地面に降り立ちます。
「アリアさん、とっても素敵です」「ああ、素晴らしい歌声だな」
「あっ、お二人とも…そ、そんなこと…」
 歌い終えたアリアさんに歩み寄りながら声をかけるととっても恥ずかしそうにされましたけれど、あれだけの歌声を持つかたは他にいらっしゃらない気がいたします。
「しかし、この様な深夜に、なぜ歌を…?」「それに、あの不思議な光景…今の歌には、何か意味があるのでしょうか」
 昨日この光景を見たときにはエリノアとの別れを惜しむ歌かとも思ったのですけれど、今日はそんなことはありませんし、それにそれではあの幻想的な現象の理由の説明がつきませんか。
「あっ、これは毎日歌っています。この祈りの歌を捧げることが、精霊の姫に課せられた最大の使命ですので…」
 岩場へ戻りつつ、アリアさんの口から先ほどの歌の意味が語られました。
 祈りの歌…それが先ほどアリアさんが歌っていたもので、この世界でただ一人、精霊の姫のみが歌うことのできるもの。
 この世界…いえ、他にもあるという世界をも含めて、全ての世界に生きる人たちの想いのかけらを集めて光にし、それを別の世界にいるという紅玉の巫女という存在に送る、そのための歌だといいます。
 歌のときにアリアさんを包んでいた光は、人々の想いのかけらだったのですね。
 その光は紅玉の巫女というかたが祝福の風に乗せて全ての世界へと届ける…そうしたことが、毎日行われているというのです。
「光は、世界を支える力。それを失えば、最悪の場合…世界は支えを失って崩壊してしまうでしょう」
 それほど重要な意味を持つ歌を、アリアさんはあの大樹の下で毎日歌い続けてきたのですね。
 その使命は大樹を離れても当然やめるわけにはまいりませんし、また他の人には代わることのできないもの…。
「アリアさんは、偉いですね」
「えっ、そ、そんなことは…皆さんの幸せのためなのですから」
 そんな健気な姿を見ていると、なでなでしたくなってしまいます。
「アリアが毎日安心して歌える様に、護ってゆかねばならぬな」
「あ、ありがとうございます」
 きっと、精霊の姫に課せられた掟は、歌を歌えない状況にならないために定められたものなのですね。
 けれど、森が護ってくださらなくとも、エリノアが護ってくださいますから大丈夫でございます。


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