少し日が傾きはじめた頃、リセリアたちの視界が開けました。
森を抜けたわけですけれど…眼前に広がる光景にリセリア、それにエリノアも息を呑みました。
森に囲まれた開けた場所…その中心、穏やかな水面をたたえる湖のそばに、一本の大きな樹がありました。
その樹はこれまでに見たことがないほど大きく、天へ達するほど高く伸びており、実際上のほうは見ることができません。
伝説にある世界樹とは、きっとこれのことをいうのでしょう…幻想的な光景を前に、そう確信いたしました。
「あそこが、わたくしの暮らしているお城です」
そう言ってアリアさんが向かうのは大樹のそばに建つお城ですけれど、大樹と較べるととても小さく感じられました。
実際、中へ入ってみてもランスティアやフェルサルナのお城と較べてかなりこじんまりとしておりました。
アリアさんはそのお城の奥、剣のある場所へ案内してくださいますけれど、少し違和感を感じます。
「この城、他に誰もおらぬのか?」
そう、お城はあまりに静かで、他に人…というよりも精霊の姿がありません。
「えっと、ええ、わたくしはこのお城で一人…いえ、もうずっとどなたともお会いしておりません」
精霊の寿命は人間よりもはるかに長く、一見リセリアたちとそう変わりのない年齢に見えるアリアさんはもう何百年も生きているといいます…それでも精霊としてはまだ若いそうです。
そして、母親が天へ召されて以来、ずっと誰にもお会いしていないといい、リセリアたちが本当に久し振りの…。
「なぜ、その様な…精霊は互いの交流のない種族なのか?」
「いえ、わたくし…精霊の姫は他の者と接してはならない、という掟があるんです」
精霊の姫というのはよほど特別な存在らしく、他にも色々な掟があるといいます。
「あの、でしたら、リセリアたちとこうしてお話ししたりするのは、いいのですか?」
「あっ、えっと、エリノアさんたちでしたら…」
あら、リセリアが声をかけましたのに「エリノアさんたち」なのですね。
「僕たちならば? しかし、どうして…」
「そ、それは…あ、あの、着きました。この扉の奥に『ルーンブレード』がありますので、まいりましょう」
話を逸らされるかの様に、ちょうど現れた扉をゆっくりと開かれます。
奥の部屋は暗く、中心部以外には特に何もない場所…けれど、中央にある壇上には鞘に収められた一本の、やや細身と思われる剣が安置されておりました。
「それが『ルーンブレード』…?」
「ええ…エリノアさん、どうぞ手に取ってみてください」
うなずくエリノアはゆっくり壇上の剣を手に取ります。
「これはまた、ずいぶんと軽い…む?」
すっと鞘から剣を抜いたあのかたですけれど、瞬間…部屋全体がまばゆい光に包まれました。
そのとき一瞬、エリノアの姿がいつか見たものに変わった気がいたしました…けれど、光はすぐに消えて、あのかたも変わらぬ姿です。
また、幻覚だったのでしょうか…けれど。
「エリノア、その剣…刀身が、白く光ってます?」「ああ、そうみたいだが、これは…」
「それは、『ルーンブレード』の力とエリノアさんの力とが共鳴しているんです。エリノアさんでしたら、その剣を扱えます」
「戦乙女が用いたという剣を、僕などが…ともかく、大切に扱おう。アリア、本当に感謝をする」
「そんな、お役に立てたのでしたら、よかったです」
「ああ、無事に目的を果たしたときには、またここへ剣を返しにこよう」
「あっ…え、ええ…」
アリアさんの表情が、少しさみしげなものとなってしまいました。
「明日には、フェルサルナへ戻らねばな…」
けれど、鈍感なエリノアは彼女の変化に気づかずそんなことを言って、彼女をますますさみしげにさせてしまうのでした。
悪魔を斬ることのできる剣を手に入れ、リセリアたちがこの森へとやってきた目的は果たされました。
リーサさんたちのこともありますから、少しでもはやくあの地へ戻ったほうがいい、ということは解っております。
「エリノア…アリアさんのこと、気になりませんか?」
夜になり、お城に二つしかない寝室の一つをお借りしてそこをあのかたと使うのですけれど、そこでふとそう声をかけます。
アリアさん…剣を渡してくださった後、夕食を作ってくださってご一緒に食べました。
精霊の食事は人間とは少し違うみたいでしたけれど、それでもおいしくいただけました。
それからはリセリアたちにこのお部屋を用意してくださって、おやすみなさいの挨拶を交わしてお別れをしたわけですけれど…。
「そう、だな…ずいぶんと、さみしそうにしていたな」
さすがのエリノアも、そのことには気づいていらしたのですね。
「やはり、今までずっと一人であったということで、たった一日でもともにいた僕たちが去るのがさみしいのであろうか…」
「はい、きっとそうです…ですので、一つ提案があるのですけれど、よろしいですか?」
「ん、何だ?」
「今回のことが終わったら、剣を返しにまたここへ戻ってまいりますよね。それで、そのままここでずっと暮らしてはいかがでしょう?」
「ここ、とは…この城にか?」
別にお城でなくても、アリアさんのおそばにいられたらいいと思います…彼女も、「エリノアさんたち」でしたら大丈夫と言っておりました。
「もちろん国の状況にもよりますけれど、リセリアたちは国を出る覚悟なのですし…」
「そう、だな。アリアがよいというのであれば」
うふふっ、この提案をエリノアの口から聞けば、きっとアリアさんは喜びますね。
その夜、リセリアはふと目が覚めました。
すぐ隣には同じベッドで休む愛しいあのかたの姿。
一緒になってからあんなこと続きでしたので同じベッドでお休みをするのはこれがはじめて…あのかたは普段お休みするときは一糸まとわぬ姿になられるそうで、今もそうです。
あのかたの一糸まとわぬお姿はとてもお美しくて、どきどきして思わずぎゅっとしたりしてしまいました。
と、そのエリノアも目を覚ましていましたけれど…リセリアと同じものを感じていたみたいです。
「聴こえるこれは、歌声…?」
「ん、リセリアも起きたのか。ああ、外から聴こえるが…アリアのものみたいだな」
お城の窓からそよ風に乗って届くのは、確かに彼女の歌声です。
幻想的な旋律のあまりに美しい歌声に、思わずしばし聴き惚れます。
けれど、美しいその歌声ですら、どことなくもの悲しげなものを帯びている様にリセリアには感じられて…。
「…エリノア、アリアさんのところへ行ってあげてくださいまし」
「えっ、どうして?」
「どうしてもです。さぁ、服を着てくださいまし」
戸惑うあのかたを強引に起こし、服を着せてお部屋を後にしていただきました。
うふふっ、これでいいですね…では、リセリアもまいりましょう。
鈍感なエリノアに、一歩が踏み出せないアリアさん…微笑ましいといえばそうなのですけれど、やっぱり少し不安です。
月の光が差し、より幻想的な光景を作り出している大樹の下、天使の歌を奏でるは精霊の姫。
歌が終わり彼女が両手を広げた瞬間、彼女の身体がゆっくりと地面から離れ、さらにその背に天使の様な二対の白い翼が現れます。
そんな彼女を淡い光が包み込み、そして大樹よりも高く伸びて消えていきます。
思わず息を呑む光景も落ち着いたとき、お姫さまに運命の王子…いえ、王女さまが歩み寄ります。
「エリノア、さん…? わ、わたくし…」
そのかたの姿に気づいて、お姫さまは思わず涙をあふれさせます。
美しいけれど、悲しみに包まれた涙…。
「アリア…そなたに、悲しみの涙など似合わない。何かあったならば、僕に話してみるとよい」
やさしく涙をぬぐってくれる運命の人にお姫さまは心の内を、さみしいという想いを吐露いたします。
「アリア…僕とリセリア、再び戻ってきたときには、ここで暮らしてもよいか?」
それは、リセリアの提案したこと。
「いや、そうだな…明日、僕たちとともにこぬか?」
さらにそんな提案までされて、お姫さまの胸はどきどきしてしまいます。
もっとも、王女さまのその言葉はただ一人でさみしい思いをしているのならば…という解釈から出たものですけれど、王女さまにしては上出来でございますね。
「はい、ぜひ…!」
けれど、掟のことや、運命の人のそばにいるリセリアの存在が、お姫さまの言葉を詰まらせてしまいました。
「その掟を破ったためにいかなる禍が降りかかろうとも、僕がそなたを護ろう。そなたから受け取った剣に誓って…戦乙女に代わって」
自分のためにそんな…と少しためらってしまいますけれど、あまりのかっこよさに涙をためてうなずきます。
うふふっ、よろしゅうございました。
「…エリノア、それにアリアさんも、こんなところでどうなさいました?」
一部始終を見ていたリセリア、何食わぬ顔でお二人の前へ姿を見せます。
「あっ、あの、その、エリノアさんとリセリアさんにわたくしもついていきたいのですけれど、そのっ…」
あたふたしてしまうお姫さま…そのかわいらしい顔に伝う涙をぬぐってあげて、リセリアはこうお返事をいたします。
「うふふっ、もちろん大歓迎でございます」
(第4章・完/第5章へ)
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