ラティーナさんが隣国へと旅立ってから、数日…彼女からは、何の連絡もありません。
「ついに、この日を迎えてしまいましたね…」
「はい…リセリアさま、申し訳ございません」
「そんな、リーサさんが謝ることなんて、何もありません…むしろ、こちらからいくらお礼を言っても言い足りないくらいです」
 この日は、リセリアの十八歳になる誕生日…おめでたい日のはずなのですけれど、二人に笑顔はありません。
「リセリアさま…では、わたくしが着付けをいたしますわ」
 リーサさんが着せてくださるのは、純白の豪華なウェディングドレス。
 そう、十八歳の誕生日にあわせて、リセリアの婚礼の儀が執り行われるんです。
 お相手は、リセリアの運命の人…と信じたかたではありません。
「ラティーナさん、大丈夫でしょうか…心配ですわ」
 着付けを行いながら、あのかたに会うために隣国へ向かったラティーナさんについてリーサさんが口にします。
「ご無事でいらっしゃれば…もう、本当にそれだけをお祈りいたします」
 最後まで何とかしようとしてくださったお気持ちは、とっても嬉しいですから…どうか、ご無事でいてください。
「…と、着付けが終わりましたわ。リセリアさま、とてもお美しいですわ…」
「ありがとうございます…」
 せっかくのウェディングドレスですのに、全然嬉しくありません。
「やっぱり、この服装はあのかたとの…いえ、何でもありません。では、そろそろ時間ですし、参りましょう」
 もう、このお部屋ともお別れですね…婚礼の儀が終われば、お相手の人とともに別のお部屋で生活をすることとなりますから…。

 ランスティア王国に残された最後の王族である王女の婚礼の儀は、これまでに何組もの王族が結ばれたチャペルにて執り行われます。
 といっても、リセリアのものが執り行われる前に行われたのは両親のものとなりますから、ずいぶんと長い間行われていなかったこととなります。
 久し振りのおめでたい行事ということで、当事者の気持ちとは関係なく周囲は盛り上がっているそうです…明後日には城下町でのパレードも予定されております。
 ちなみに、明日はリセリアのお相手となる人の戴冠式の予定…長らく国王不在で摂政が担っていた権限が、彼へと移譲されます。
 それだけ、今日という日はこの国にとって大切なわけです。
 けれど…どれだけ空が晴れ渡っていても、リセリアの心は晴れません。
 チャペルの扉の前にまでやってくるとそれがいよいよ大きくなってきますけれど、いけません。
「…リーサさん」
 リセリアの後ろについてきてくださっているリーサさんに振り向くことなく声をかけます…彼女は、チャペルの中にまでついてきてくださることになっています。
「これから先も…リセリアが、今までのリセリアでなくなっても、リーサさんはリセリアにお仕えしてくださいますか?」
「り、リセリア、さま…」
 その問いに、リーサさんは一瞬絶句してしまいました。
「…はい、わたくしは、どの様なことがあっても、リセリアさまのメイドでございますわ」
 個人的な感情を捨てなければならない…その覚悟を感じたのか、涙声でそう言ってくださいました。
「ありがとう、ございます」
 リーサさんがいてくだされば、まだ何とか頑張れます。
 と、時間となったみたいで、チャペルの扉がゆっくりと開きました。

 やや広いチャペルの中には、すでにたくさんの人たちの姿…この国の名だたる名家のかたがたなどの視線を一身に浴びながら、リセリアはゆっくりと歩を進めます。
 皆さん祝福の視線を浴びせかけてくるのですけれど、その中にあってお一人だけ沈痛な面持ちのかたがいらっしゃるのに気づきます。
 来席されている人の中でもひときわ美しく、そしてまだリセリアと同い年くらいに見える女の人、アヤフィールさん…リセリアの本心を知っていらっしゃるからか、あるいはまだ戻ってこない娘の身を案じていらっしゃるのでしょうか。
 最前列に座るアヤフィールさんの横を通り抜け、いよいよ祭壇に立つ司祭の前にまでやってきました。
 そこでリセリアのことを待っていたのは、少し年上に見えるいわゆる優男といった風貌の男の人…その人はこの国でもかなりの家格を誇るヨークリィ侯爵家の当主、そしてリセリアの結婚相手となり、明日にはこの国の国王となる人です。
 リーサさんの情報、それに舞踏会などで見る限り若い女性に人気があるそうで、国の顔となるには申し分ないといったところなのでしょうか…リセリアに相応しいかは別にしまして。
 隣に立ったリセリアに彼が微笑みかけてきますのでこちらも微笑み返しますけれど、内心ではため息を…いえいえ、個人的感情は捨てなければなりません。
 神の前で愛を誓う儀式…あぁ、本心に嘘をつくしかないのですね。
「はい、誓います」
 先に彼のほうに誓いの確認の言葉が振られ、何の迷いもなくそう答えています。
「…貴女は、誓いますか?」
 ここではいと答えると、彼と誓いの口づけまでしなければならないことになり、正直に言えば身の毛もよだつほど嫌です。
 けれど、リセリアにはそれを拒むだけの自由ははなくって…仕方、ありませんか。
 覚悟を決めて口を開こうとした、まさにそのときでした。
「た、大変ですっ」
 突然勢いよく扉を開く音がしたかと思うと、入口のほうからそんな叫び声が聞こえます。
 思わず振り向くと、そこには兵士らしき男性の姿…けれど、ずいぶんと息を切らせています。
「どうした、何事か?」「今は婚礼の儀の最中だぞ、控えろ」
 場はざわめきに包まれ、来席者が非礼をとがめます…けれど。
「り、隣国が…フェルサルナ王国が、攻めてまいりましたっ」
 息を切らせたかの者の一言に、その場が一瞬凍りつきました。
「す、すでに敵軍は市街地にまで達しております…!」
 そして、その次の一言で、その場は一気に罵声と怒号の飛び交う混乱状態となってしまいます。
「あ、あぁ、そんな…そんなっ。ど、どうして…!」
 隣にいるヨークリィ侯の混乱ぶりは哀れになってしまうほどでした。
 情けないですね…確かに予想し得なかった事態ですけれど、これが国王の座に即く予定の人の姿でしょうか。
「…皆さん、落ち着きなさい!」
 リセリアの少し大きめの声で、皆さんの動きが止まりました。
「ここで騒いでいても、どうにもなりません。それよりも、戦う義務を持つ者は、今すぐ取るべき行動を取りなさい…そうでない者は、速やかに避難をしなさい」
 あら、反応がありません…。
「…理解したのでしたら、急いでください!」
「は…はいっ」
 リセリアの一喝で、皆さんようやくあわただしく動きはじめます。
「避難の皆さんは、こちらへ…急ぎましょう」
 城内で安全とされている一角へ人々を誘導するのは、アヤフィールさん…さすがです。
「あぁ、僕は…」
「…では、リセリアたちも避難いたしましょう、リーサさん」「はい、リセリアさま」
 未だにおろおろしているヨークリィ侯を置いて、チャペルを後にしました。

 避難を開始したリセリアたちですけれど、アヤフィールさんたちとは別の方向へと向かいます。
 途中、城内ですれ違う兵士などは皆慌てていて、リセリアの警護にやってくる者もおりません。
 リセリアの居場所がつかめていないということもあると思いますけれど、それ以上にかなりの混乱状態となっているみたいです。
 そんな中で向かった場所は、城内でもっとも高い場所である尖塔の上。
「あぁ、城下町に煙が…」
 そこからお城の外の様子を見ようと思ったのですけれど、見えるのは厳しい状況。
 敵軍はすでにお城の正門や裏門に雲霞の如く達し、隠し通路なども用意していないこのお城からの脱出は不可能そうです。
「…敗北は、もう決まった様子ですね」
 眼下で繰り広げられる戦いを眺めながら、そうつぶやきます。
「この国は、あまりに油断をしていたみたいです…城内でもっとも高い場所であるここに見張りの兵士がいつもいなかったのが、何よりの証拠です」
 ただでさえ、この国の王城は国境からあまりに近く、隣国とはあれだけ敵対しておりましたのに…。
「それに、今日という日に攻撃をされたのも、痛手だったでしょうね…」
「確かに、兵を統率すべき者のほとんどは婚礼の儀に出ておりましたわ…兵たちもお祭り騒ぎだったでしょうし、卑怯ですけれど見事でございますわね」
 おかげで、彼と誓いを交わさずにすんだといえばそうですけれども、今の状況…逃げられないのでしたら、覚悟を決めましょう。

 十八歳の誕生日。
 それは、リセリアが成人する日として、これまで若年のため摂政に委ねられていた権限がリセリア…正確にはその結婚相手、つまり次期国王に戻される日でもありました。
 厳密に言えば今の時点では権限はまだ摂政にあるのかもしれませんけれど、今の状況を把握した今、任せておくわけにはいきません。
 リセリアが王女として行使する権力のはじめが、最後の務めにもなるのですね…。
「リセリアさま、どちらへまいりますか…?」
 人気のない、けれどそう遠くない場所から剣戟の音が届く中、リセリアとリーサさんは歩いています。
「相手の軍を率いる責任者に、お会いしないと…」
 と、目の前の扉を開けると、とても広い空間…謁見の間の脇に出ました。
「誰もおりませんわ…けれど、ここで待っていれば敵の大将さんがやってくるかもしれませんわ」
「なるほど、こちらの大将の首を取りに、ですね」
 それも一理ありますけれど、そんなにのんびりと構えているわけにも…と、そのとき正面の扉が開きます。
 本当に敵の大将さんがやってきた…と思ったのですけれど。
「リセリアさま、それにリーサさんも、こんなところに? おはやく、ご避難を…」
「アヤフィールさん…いいえ、リセリアは避難をしているわけにはまいりません」
「そんな、どうして…。ジャンヌさんが抑えているとはいえ、敵の兵士はもう城内に入りはじめておりますのに…」
「これ以上、双方に血を流させないため…リセリアでこの国の歴史に幕を下ろすのは忍びないですけれど、仕方ありません」
「降伏される、のですね…けれど、リセリアさまの身の安全が保障されるとは…」
「覚悟の上、です」
 リセリアを見つめるアヤフィールさん…やがて、悲しげにうなずきます。
「…では、わたくしもついていきます。外は、乱戦となっておりますから…」
 そう言ってすっと剣を手にします…多少の心得はあるといいます。
 アヤフィールさんが先頭に立って、扉へと向かおうとしますけれど…そのときでした。
 突然破られる窓、そしてそこから入ってきてリセリアたちの前に立ちふさがる人影…。
「そなたが、この国の王女…と、何?」
 こちらへ向け剣を構えるその人ですけれど、そこで固まってしまいます。
 リセリアたちも、固まってしまいました。
 なぜならば、現れたのは全身を漆黒の鎧に身を包んだ…そう、あのかただったからです。


    (第2章・完/第3章へ)

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