第一章

「お父さま、お母さま、少しあの森の中へ行ってみますね」
 ―これは遠き日の記憶。
 まだ幼かった頃のわたくしの、ある日のできごと。
 一人で森の中を進んでいった、その先には…。

「…リセリアさま、朝でございますわ」
 ―すぐそばからかかってくる声に、わたくし…リセリアは目を覚ましました。
 リセリアのいる場所はつい先ほどまでの森の中ではなく、寝室のベッドの上でした。
 …ふぅ、またあの夢を見てしまったみたいです。
「リセリアさま、おはようございます」
「はい、おはようございます、リーサさん」
 身体を起こしながら、そばにいた人と挨拶を交わします。
「リセリアさま、今日もとってもいいお天気ですよ」
 カーテンを開け、リセリアに笑顔を向けるのはリーサさん。
 リセリアよりも二つ年上の彼女は、服装からも解るとおりリセリアのメイドをしております。
「すぐにお食事をお持ちいたしますわ」
「はい、ありがとうございます。リセリアは、その間にお着替えをすませておきますね」
 リーサさんが部屋を後にしたところで、彼女の用意してくれた今日の服へと着替えます。
 そして、開けた窓から外を見て見ます。
 宮殿の上に広がる空は、白い雲が少しだけ見られるだけの青空です。
「あのかたも、この青い空の下にいらっしゃるのでしょうか…」
 ついさっきまで見ていた夢のことを思い出しながら、ふとそう思いました。

 ランスティア王国。
 大陸の南端に位置する、人口数十万人ほどの小さな国…リセリアは、その国の首都の北にあるお城で暮らしております。
 リセリア・アムルフェスト・ランスティア…それがリセリアの名前。
 ランスティア王国の王女…そしてもう両親が数年前に他界していて他に兄弟もいませんから、リセリアがこの国の次期女王ということになります。
 今はまだ若年ということで摂政が国政を代行していますけれど、リセリアが十八歳の誕生日を迎えたときには…。
「…はぁ」
「リセリアさま、どうなさいましたか? ため息などおつきになられて」
 窓の外を眺めているうちに、リーサさんが朝食を運んで戻ってきておりました。
「いえ、少し考えごとをしていて…えっと、今日は何か予定は入っていますか?」
「はい、今日は夜に舞踏会が予定されておりますわ」
「そうですか…」
 それを聞いてまたため息が出てしまいます。
「リセリアさまがため息をついていらした理由が解りましたわ。十八歳になられたときのことを考えていらしたのですね?」
「あら、やっぱり解って…しまいますよね、それは」
「はい、わたくしはリセリアさまにお仕えするメイドですから」
 リーサさんは、リセリアに仕えてもう数年…両親亡き今となっては、一番お付き合いの長い人です。
それだけでなく、自由に外出をしたり人に会うことのできないリセリアにとって、唯一気軽にお話しのできる人でもあります。
「さぁ、そんなことよりもわたくしの作った朝ごはんを食べて、元気を出してくださいまし」
「うふふっ、そうですね、そうしましょう」
 朝食の並べられたテーブルについて、その向かい側にはリーサさんがつきます。
「では、いただきます」
 リセリアに言わせれば、リーサさんは多分この世界で一番のメイドだと思います。
「相変わらず、リーサさんの作る料理はおいしいです」
「ありがとうございます」
 どんなパーティで出るものも、リーサさんの作ったものには遠く及びません。
 それだけでなく、彼女はどんな家事だって完璧にこなします…だからこそ、リセリアに直接的に仕えるメイドは彼女一人だけで大丈夫なわけですけれど。
 そんなリーサさんは、リセリアの向かい側で食事をはじめます。
 …えっ、メイドが王女と一緒に食事をしてもいいのか、ですか?
 はい、もちろん構いません…リセリアからこうしましょうと提案したことですし、一人で食事をするよりもこのほうがずっと楽しいですから。

 朝食も終えて、午前中は勉強の時間です。
「さすが姫さまです、これなら今宵の舞踏会も皆さんを魅了してやまないことでしょう」
「はい、ありがとうございます」
 ドレスの裾を持って、ダンスの指導の人へお辞儀をします。
 この時間はその道に通じた人を講師にお招きしてその指導を受ける、というかたちになっております。
 今日はダンスのレッスン…これは今日舞踏会があるという理由もありますけれど、普段からこういったものが多いです。
「姫さまはとてもお美しいですし、ヨークリィ侯がお羨ましいです」
「あら、そんなこと…」
 お世辞にも笑顔で受け答えます。
「では、今日のレッスンはここまでにしましょう。姫さま、お疲れ様でした」
「はい、ごきげんよう」
 笑顔で講師の人を見送りますけれど、一人きりになったところでため息をついてしまいます。
 リセリアの立場では、人前では自分の本当の気持ちを出してはいけない…そのくらいのことは解っています。
 あまり波風を立てる様なことは言わず、笑顔を絶やさない…もうすっかり慣れましたし、人前に出ると自然とそうなる様にもなりました。
「ふぅ…」
 けれど、自分の心に嘘をついているわけですから、疲れてしまいます。
「リセリアさま、お疲れ様です」
 部屋へ戻ると、リーサさんがお茶を用意して待ってくれておりました。
 やっぱり部屋…というよりもリーサさんの笑顔を見ると落ち着きます。
 椅子にゆっくりと腰掛けて、お茶を口にいたします…ん、おいしいです。
「リセリアさま? 今日のお昼ごはんは、リセリアさまが作ってみますか?」
「あら、いいのですか? では、お言葉に甘えますね…うふふっ」
 リーサさんの提案に、リセリアは笑顔でうなずきました。
 お料理をするのは大好きですので、嫌な気持ちを吹き飛ばすいい気晴らしにもなります。
 リーサさんもそういうつもりで提案をしてくれたのです…ありがとうございます。

「うふふっ、なかなか上手にできました」
 自分で作った昼食を口にして、自画自賛いたします。
「本当においしいですわ…リセリアさまはもうわたくしよりも料理上手かもしれませんわ」
「あら、それは言い過ぎです…リセリアに料理を教えてくれたのはリーサさんなのですし」
 そう、王女であるリセリアは本当でしたら料理をする機会なんてありません…もちろんそういったレッスンもございません。
 理由は簡単なもので、王女たる身分の者は自分でそんなことをする必要がないから…むしろそういったことをしては手を汚すと言われておりますから。
 けれど、リセリアはリーサさんにそれを教わりました…料理だけでなく、家事全般をこなせる様になっております。
 リーサさんほどではありませんけれど、もしもリセリアがメイドになったら立派なメイドになれるのではないでしょうか、と思います。
「他のメイドたちも、リセリアさまの料理の腕は本物だとおっしゃっておりましたわ」
「あら、お世辞でも嬉しいです…うふふっ」
 厨房などへ行くと他のメイドに会うことももちろんありますし、声を交わす機会もあります。
 けれど、みんな恐縮してしまってリーサさんほど気軽にはなってくれないのですよね…。
 …えっ、どうして王女なのに家事などを自分でできる様になんて、ですか?
 これは別に道楽や暇つぶしなどではなく、自分のことくらいはできる限り自分でできる様になりたかったからです。
 他にも理由はありますけれど…いずれにしても、リーサさんの影響が大きいでしょうか。

 夕方…今日は舞踏会が城内で行われ、リセリアも出席することになっておりますから、服を着替えることになります。
 リセリア自身は普段着ている白いドレスでもいいと思っているのですけれど、王女がその場で一番華やかでなければ国の威信にも関わるかもしれません。
 自分でできることは…ということで普段は自分で着替えますけれど、パーティ用のドレスはさすがにリーサさんに手伝ってもらいます。
「相変わらず、リセリアさまは胸が大きいですわ…」
「あら、うふふっ…でも、あまり強調させなくてよろしいですから」
 リーサさんに見られる分には全然よいのですけれど…と、そんなことを話しているうちに着替えが終わりました。
「やっぱり、リセリアさまはお美しいですわ…王女という身分に関わりなく、世界で一番美しいと思います」
「もう、リーサさんったら言いすぎです」
 鏡の前で身なりを確認…腰のあたりにまで伸びた金色の髪を、リーサさんがさっととかしていきます。
「髪もとってもきれいでなめらかですし…」
「それは、リーサさんの手入れがいいからですよ?」
 最後に、彼女がリセリアの頭の上にティアラを載せて準備完了です。
 と、そこでちょうど部屋の扉がノックされます…迎えがきたみたいです。


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