翌日。
「…さん、起きてください」
耳元から声が聞こえた気がする。
「もう、しょうがないですね…」
次の瞬間、唇に何やらやわらかいものが触れた感触が…って!
「んなっ、ちょっと…!」
思わず目を覚ますと、あたしのすぐ目の前には閃那の顔…。
「あっ、やっと起きましたね。おはようございます」
「お、おはようって、こんな顔近づけて何してんのよ?」
「何って…言わないといけませんか?」
「…っ、い、言わなくてもいいわよっ」
ま、全く、朝から恥ずかしいわね、もう…!
にしても、思ったより少し起きるのがはやいわね…どうやら、結構はやめに行くらしい。
「開場前に行かないと大変ですから。この時間でも遅いくらいです」
「ふぅん、そうなの? じゃ、さっさと準備して行きましょうか?」
そんな慌てることもなく着替えや食事を済ませ、いよいよそのイベント会場へ向かった…んだけど。
「うわ…あ、あによ、これ」
イベントの会場となる大きな建物の前には、ものすごい数の人たちの行列…思わず固まってしまう。
「う〜ん、少しくるのが遅すぎたみたいですね」
閃那は全然驚いた様子もないけど、あたしにとっては想像をはるかに超える人の数で…しばらく呆然としてしまった。
「まさかとは思うけど…あの中に入るんじゃないでしょうね?」
「何言ってるんです、他に何があるんですか?」
うっ、そ、そりゃそうよね、中に入るためには並ぶしかないわよね。
って思ったんだけど、ここで閃那が意外なことを言ってきた。
どうもこのイベントの売り手側に知り合いがいるらしく、その知り合いのサークルのメンバーということにして、並ぶことなく中に入ることができるらしい。
「ティナさんが並びたいっていうんでしたら並びますけど、どうします?」
「そ、そんなの…それで中に入るに決まってるでしょ?」
「解りました、私もティナさんが変な目で見られるのは嫌ですし、行きましょう」
そう言うと閃那は行列とは別の方向へ向かうけど、変な目って…あ。
「そういえば、帽子忘れてきたわ」
何か、あたしの猫耳を完全に隠さないとまずい、ってことだったんだけど…いつもどおりツインテールのリボンで隠してるし、問題はない気がする。
「えっ、忘れたって…どうなっても知らないですよ?」
「だ、大丈夫でしょ、多分」
「もう…でも、本当のことを言うと、私はあんまり隠してもらいたくないんですよ、ティナさんの耳。とってもかわいいですから」
「…んなっ!」
も、もう、変なこと言わないでよね、全く…こんな耳、おかしいだけじゃないの。
閃那の案内で、行列に並ぶことなく開場前の会場内へ入れたあたしたち。
会場はずいぶん広く、売り手側らしき人たちが準備してたりするのが見受けられた。
やっぱフリーマーケットみたいな感じだけど、ちらっと見る感じ、本とかを並べてることが多い様に見えたかしらね。
それにしても、閃那はここに知り合いがいるって言ってたけど、どういう知り合いなのかしら…。
「あっ、いたいた…先輩、こんにちは。今日はありがとうございました」
「閃那ちゃん、こんにちは〜。その代わり、今日はよろしくねん?」
と、色々考えているうちにその人のいる場所に着いて、閃那とその人とが声を交わしてる。
見た感じはあたしたちよりは年上の、眼鏡をしてすらりとした体型の女の人。
「と、そっちの子は…あぁ、閃那ちゃんの恋人さんねん?」
「んなっ…」
ま、まぁ、間違ってはいないんだけど…!
とにかく、その人は坂上りんねさんといって、あたしの通ってる学校の衣装部に所属してるらしい。
閃那はよくその衣装部の部室でゲームとかしてるらしく…って、全く、こっちの時代の生徒じゃないでしょうに。
学校には服飾部もあったはずなんだけど、衣装部はそれとは少し違うらしい。
衣装部じゃいわゆるコスプレっていうのをしたりもするらしい…そういえば閃那はそんな趣味もあるし、そっち繋がりか。
「先輩は、今回は何を出すんです?」
りんねさんは結構このイベントに参加しているらしく、今回も本を出すらしい…閃那の興味がそっちに向く。
「今回は『リリカルなのは』のスバティア本よん」
「あっ、そのカップリングは私も大好きです」
会話に盛り上がる二人…あたしは近くに積んであった、りんねさんが描いたっていういわゆる同人誌を手に取ってみる。
表紙に描かれた二人には見覚えがある…確か、この前閃那と観た『魔法少女リリカルなのはStrikerS』ってアニメに出てたスバルとティアナの二人ね。
ティアナってキャラがあたしに似てるっていうから観てみたわけなんだけど…まぁ、似てるか似てないかっていえば似てたのかも?
本はこの二人の話みたいだけど、中身はどんなのなのかしら…と、自然とページを開いてく。
「んふふ、今回のは年齢制限ありだから、かなり過激よん?」
「わぁ…って、ティナさん、ストップです、見ちゃいけませんっ!」
閃那が慌てて止める声がしたけど、そのときにはすでに遅く…あたしは中身を見て固まってしまった。
いや、だって、これ…み、見てられないわよっ。
「ちょっ、待ちなさいよ…こ、このイベントって、こんなの平然と売ってんのっ?」
慌てて本を閉じながら二人を問いただす。
「え、えっと、確かにそういうのもありますけど、ちゃんと全年齢対象のものもありますから…!」
「ものも、って…と、とにかく、あんたたちはこんなの見たり描いたりしていい年齢じゃないでしょっ」
何歳からいいのかは知らないけど、少なくてもあたしたちの年齢で見ていいものじゃないでしょ…。
「あら、お堅いことを言うのねん。でも、少なくても私は百歳越えてるから大丈夫よん?」
「んなっ?」
思わず言葉を詰まらせちゃったけど、あの学校に通ってるならそういう人がいてもおかしくない、のか…。
とにかく、っていうことは、いくら未来からきてるとはいえ年齢は大してあたしと変わらない…。
「…閃那は、これは読まないわよね?」
「は、はい、もちろんですよ〜?」
笑顔で返事をされたけど、目が泳いでるわね。
「あっ、えっと、じゃあ私は開場後に回るルートの最終確認をしなきゃいけませんから…!」
と、閃那はカタログを手にすると、そそくさとあたしたちから距離を取って、カタログで顔を隠してしまう。
つまり、これを読むんだ…こ、こんな過激なの、どういう気持ちで読むのよ…。
「んふふっ、私の本が参考になればいいんだけど〜」
「…って、は? いきなり何言ってるんです?」
りんねさんが意味不明なこと言ってきた。
「何って、今夜のことよん? 閃那ちゃんと、するんでしょ?」
「す、するって、あにをよ?」
「もう、とぼけちゃってん。この本みたいに、絡み合うんでしょ?」
「…んなっ、な、何言ってるのよっ? そっ、そんなことするわけないでしょっ?」
思わず声が裏返っちゃったけど…でも、それにしてもこの人は何をとんでもないこと言ってんのよっ。
「そんな照れなくっても…恋人同士なら当然のことなのに、かわいいわねん」
ど、どういう常識してんのよ…当たり前なわけないじゃない、全く。
「でも、そんなにまごまごしてると、閃那ちゃんを他の子に取られちゃうわよん?」
だ、誰が何に対してまごついてるのよ…って。
「…それ、どういう意味よ?」
「あら、知らないのん? 閃那ちゃんってモテモテなのよん?」
「…は?」
「衣装部の中にも閃那ちゃんのこと好きだって子がいるし、閃那ちゃん目当てにあの子のアルバイト先に行く子も多いわよん? ラブレターもたくさん貰ってるし」
確かに、閃那はあたしも知らなかったほどたくさんアルバイトしてる。
それは今回のイベントの資金のためだそうで、だからあたしには一緒にしようとお願いしなかったらしい…あたしがいると仕事に身が入らない、ってのもあるそうだけど。
とにかく、そういうわけで閃那が外に出る機会は多いわけだけど、そんなことになってたなんて。
「恋人だって油断してると、他の子に取られちゃうかもしれないわよん?」
そんな言葉を受けながら、あたしは閃那に目をやる。
…そりゃ、あんな素敵なんだから、そういうのがあってもおかしくない。
むしろ、あたしなんかと付き合ってるほうが不思議、か…。
「…ふぇ? ティナさん、どうしましたか? 視線が熱いです…照れちゃいます」
あたしの視線に気づいた閃那がこっちを見てくるけど、相変わらずとぼけたこと言って…もうっ。
「いいわね、閃那は人気者でっ」
「えっ、いきなり何言って…しかも怒ってます? せ、先輩、何かおかしなこと…」
「あら、私は何も言ってないわよん? それより、そろそろ開場時間みたいねん?」
「あっ、本当です…それじゃティナさん、行きましょうか」
「しょ、しょうがないわね…」
あんまり気分のよくない状態で、あたしはその場を後にしたのだった。
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