〜素直な気持ちを…〜

 ―奇跡なんて、そうそう起こるわけない。
 でも、あたし…雪乃ティナが今こうしていられるのは、奇跡というしかないことがいくちもあったから。
 この世界と他の世界との境界を守護する、紅玉の巫女と呼ばれる存在、九条叡那さんの力で、猫だったあたしが人間になれたこと。
 家族なんかいなかったあたしに、ねころ姉さんとティセっていう姉妹ができたこと。
 そして…かつて猫だったあたしの傷を治してくれた、あの人の存在…。

「ふぅ…今日は、このくらいね」
 ―叡那さんの護る神社の上空。
 他の人の目に入らないそこで、さらに結界まで張って、あたしは魔法の練習をしていた。
 ティセも魔法が使えるのだけれど、とにかくこんな力が使えるっていうのも奇跡の一つだと思う。
 とにかく、魔法の練習を終えて神社の境内へと降りる。
 町からも離れ、森に囲まれたとても静かなその場所…そこに人影が一つ。
「ティナさん? 私に黙ってまた魔法の練習ですか?」
 あたしのそばに歩み寄ってそんな声をかけてくるその人は、当然見知った人。
「え、え〜と、別に…」
「誤魔化してもダメですよ? そんな姿しているんですし」
 確かに今のあたしの服装は、魔法を使うときに変化するいわゆるバリアジャケットっていうやつ…言い訳はできないか。
「もう、練習するときは私も一緒に、と言っているのに…困ったものです」
 そう言ってあたしをにらむ目は鋭く、少し叡那さんにも似ているけれど、それは当たり前。
 とにかく、そんな鋭い視線もすぐに緩む。
「そうでなくてもティナさんは神社の仕事もはやく覚えようとして無理しがちなんですから…そんなに汗もかいて」
 と、その人は手にしたハンカチであたしの顔の汗をぬぐってくる。
「も、もう、そんなことしなくていいわよ…それに、ハンカチが汚れるでしょ?」
「そんな、ティナさんの汗は汚くなんてないですよ?」
 そんなことを言ってハンカチのにおいをかいでる…って、何してるのよっ。
「ふふっ、ティナさん、猫耳が大きく揺れてます…かわいい」
「う、うっさいっ」
 猫耳なんて恥ずかしいから、ツインテールのリボンで隠してるっていうのに…!
「そ、そんなことより、今日はどうしたのよ? 閃那はあまりこの時代の叡那さんやエリスさんたちに会わない様にって、あんまりここにはこないのに」
 この恥ずかしいことばっかり言ってくる、あたしと同い年くらい…っていうのも色んな意味で変だけど、とにかくこの子は九条閃那っていう。
 かつて猫だった頃のあたしの傷を治してくれた人、そして叡那さんとエリスさんの未来からやってきた娘…そして、あたしの恋人だったりする。
「えへへ、ティナさんに会いたくって」
「も、もう、何言ってるのよ…!」
 はじめてこの姿で会ったときは、未来に影響出ない様にってあたしを消そうとしたりと冷たい雰囲気も感じたんだけど、今は全然違うわね…。
「あと、ティナさんを誘いにきたんです」
「…は? 何によ」
「今って学園も夏休みですし、数日間泊りがけで東京のほうに行こうかと思ってまして」
 そんなこと言っても、未来からきた閃那はこっちの学校には通ってないわけだけど…とにかく、これって泊りがけのデート?
「ティナさんは、コミックマーケットって知ってますか?」
「…へ? あによ、それは」
 と、どうやら夏にそういう名前の大掛かりなイベントがあるらしく、閃那はそれに行きたいらしかった。
 あたしははじめて耳にしたものだけど結構有名らしく、何か一人じゃ大変らしいから人手がほしいらしい。
「ふぅん、要するに荷物持ちってわけか…ま、いいけど」
「もう、ティナさんったら。イベントも大切ですけれど、それ以上に二人で泊りがけでのお出かけのほうが楽しみなんですからね?」
 うっ、そ、そうなんだ。
 恥ずかしい…けど、嬉しいのは確かね。

 泊りがけでの旅行、しかも閃那と二人っきりでだなんて、もちろんはじめてのこと。
 その間は神社の仕事ができなくなるわけだし、それに未来からきたとはいっても一応実の娘になるわけだから、あらかじめ叡那さんとかにも許可を取っておく。
 あっさり大丈夫だと言われて、さらに閃那のことをよろしく、なんて言われたりしたからずいぶん恥ずかしかったわ。
 そんなこんなで、前日には学園の学生寮で二人一緒に準備をして、当日を迎える。
 東京までは新幹線とかに乗って移動するわけだけど、そういえばこういうのに乗るのってこれがはじめてね。
「えっ、そうなんですか?」
 座席につきながらそのことを言うと、隣に座る閃那が意外そうな顔を向けてくる。
「しょ、しょうがないじゃない。あの町から出る用事なんかなかったし、それにだいたいは空飛んでけばいいわけだし」
「いいなぁ、空を飛べるなんて。私は飛べませんし…」
 そういえば、閃那ってそうなんだっけ。
「だ、大丈夫よ。閃那ならすぐに飛べる様になるって」
 何しろあの叡那さんとエリスさんの娘なんだし、それにどう感じたってあたしよりずっと強い力を持ってるわけなんだから。
「そう、ですね…そうなればティナさんと一緒に空の散歩とかができますし、頑張ります」
 も、もう、相変わらず恥ずかしいこと言うわね……まぁ、そうなったら確かに楽しいとは思うけど。

 やがて、あたしたちを乗せた電車は東京にまでたどり着くけど、何かすごい人の数。
 あの町の外に出たことのなかったあたしにはずいぶん騒がしく感じるし、こういうのってちょっと苦手かもしれない。
「これで人が多いなんて言ってたら、明日は大変ですよ?」
 しかもさらっととんでもないこと言われたし。
 どうも、明日行く場所はものすごい、大きな神社の初詣よりずっとたくさんの人でごった返すらしい。
「ちょっと、想像できないわね…無事に終わればいいんだけど」
 人ごみ、ってのを経験したことないし、少し不安になるわね。
「無事に乗り切るためにも、今日ははやめに休んで明日に備えましょう」
「そうね、そうしたほうがよさそうだわ」
 あらかじめ明日の会場の近くのホテルを閃那が予約してくれてたから、そこに向かって旅の疲れを取りつつ、明日行くイベントについてちょっと知っておく。
「あっ、そういえばあまり詳しく話してませんでしたっけ。カタログがありますから…」
 恥ずかしいことにあたしはここまでろくな知識もなくきたわけだけど、とにかく出されたカタログを見つつ閃那の説明を聞いた。
 イベントってのは、簡単にいえば個人とかサークルってものの単位で作ったコミックとかゲームとかの即売会らしい…フリーマーケットみたいなもの、って想像しておいた。
 明日から三日にわたって行われるそれは、そういうイベントでも最大級のものらしい。
 まぁ、閃那はアニメとかそういうの好きだもんね。
 そのあたり、第一印象からはずいぶんかけ離れてるのよね…別にいいんだけど、誰の影響でそういうのが好きになったのかしらね?
 叡那さんはそういうの全然興味ないし、エリスさんもそんなにはって感じだと思うし…う〜ん?

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