―トライアルの合宿がはじまって。
はじめの数日は皆さんどころかあのかたとも距離を取ってしまっていましたけれど、あの日の屋上での会話以来、そんな私も少しだけ変わってきました。
いつまでも過去にとらわれて、逃げ続けていてはいけない…あのかたにご迷惑をおかけしたり呆れられたりする様なことをなくすためにも、そうしなくてはいけません。
すぐに自分を変えるなんてことは難しいですけれど、それでも…合宿に参加している皆さんはとてもいい人ばかりだということもあって、少しずつではあるものの言葉を交わしたりしていける様になってきました。
でも、それでも私にとって声を交わしたい一番の人はあのかたで…あの日からも、お昼にはお弁当を作らせてもらっています。
今日もまたお弁当を作って、お昼に屋上へやってきた…のですけれども。
「えっと、あれは…いつもの私と、同じ格好の人…?」
いつもあのかたのいらっしゃるベンチに一つあった人影を見て、少し戸惑ってしまいました。
だって、そこにいらしたのは黒いフードとローブの様なマントを羽織った…それは、今は制服を着ているもののそれまではずっとその様な服装でした私みたい…?
「私はここにいますし、他の魔法使いのかた…?」
ああいう格好の人、私以外でははじめて目にしますけれど、そのじっとしている人影からはかなり強い魔力の放出を感じ取れます…?
「で、でも、この感じって…ど、どうして…?」
その魔力の質が私のとっても知っているかたのもので、でもどうしてあの様な格好でしかも隠れるかの様にじっとしているのか解らなくって、戸惑いながら歩み寄ってみます。
「おい…ち、近づいちゃダメです、エステルちゃん!」
「…えっ!?」
不意にそのかた…あのかたが、でもいつもとは違う口調で声をあげるものですから、思わず足を止めてしまいました。
「あっ、あのっ…ど、どう、されたのですっ?」
「もう少しで、収まるはずだから…」
「収まる、って…?」
そう言っているうちに、あのかたから放出されていた魔力が収まっていきます…?
「あ、あの、よく解りませんけれど、大丈夫…です…?」
「大丈夫…だと、思います。えっと…大丈夫だ」
口調はいつものものに戻られましたけれど、まだフードを深くかぶったまま…。
「ほ、本当、です…? でも、どうしてそんな格好で…何が…?」
あのかたとお会いしてから、こういうことってはじめてですから…心配になりつつ、ゆっくり歩み寄ります。
おそばで足を止めても、お顔を隠されたまま、何もおっしゃらないあのかた…。
「…このフードを取ると、エステルに嫌われるかもしれない」
と、うつむき気味にそうおっしゃられます…?
「でも、あたしはエステルに隠し事はしたくない…」
「えっ…あ、あの、何を、おっしゃって…? どうして、私がいす…あ、あなたのことを嫌う、なんてことに…」
本当に何をおっしゃっているのか解らず、ただただ戸惑ってしまいます。
「あたしは…人間じゃないから」
…えっ、それって…?
「頑張って抑えてたつもりなんだが、最近頻繁に…」
「あ、あの…何を抑えて、何が頻繁に…?」
あのかたが、何かとっても大きな秘密を話していらっしゃるのは解ります…けど。
「何か、ご無理を…して、いらしたんです…?」
とってもつらそうに話されておりますし、お身体とお心、どちらも大丈夫なのか、ますます心配になってきてしまいます。
「現代魔法で魔力をセーブできなくなってきたんだ…」
「魔力を、セーブできなく…? そ、そんな、今までそんな無理をしてきたんです…っ?」
そんなこと、今まで全く気づけませんでした…。
「人間の姿を保つのも少し厳しいくらいで…」
「そ、そんな、こ、このままだと…どう、なってしまうのですっ? まさか…生命に、関わることに…」
最悪の展開がよぎってしまい、思わず手にしていたバスケットを落としてしまい、顔も青くなってしまいます…。
「ちょっ…落ち着けって! 人間の姿に戻れないだけで、死ぬなんてことはない…はずだから」
「あ…そ、そうでしたか、よかった…」
はず、というのは不安ですけれど、でもああおっしゃっているんですから…。
「私…衣砂さんがいらっしゃらなくなったら、どうしたらいいかと…。うぅ…」
「な、泣くんじゃねーよ…」
「あっ…ご、ごめん、なさい…」
はぅ、安心したら、そして改めて最悪の展開を想像してしまって、涙が出てきてしまいました…。
ご迷惑になってはいけませんし、何とかこらえます…けど、です。
「で、でも、人の姿でなくなる、とは…そんなことになったら、まわりの人からあんな目で、あ、あなたが見られることになりかねないの、ですよね…」
昔、私へ向けられた人々の目…それが、このかたへ…?
そんなことにはならない、と思いたくって首を横へ振りますけれど、でも…!
「あたしは…まわりにどう思われようと構わない」
そんな私に、あのかたはそうおっしゃって…?
「だけど…お前にだけは、嫌われたくない…」
「わ、私は衣砂さんがどんな姿でも嫌ったりしませんっ! だって、私は…っ」
思わず衣砂さんのことが好きなのですから、とまで言いそうになりますけど、それは何とかこらえます。
「エステル…ありがとう、お前はやさしい子だな?」
と、そんな私にあのかたはやさしく声をかけてくださいました。
「そ、そんな、私はただ、あなたことが…と、とにかく、私は衣砂さんがどうなっても、嫌うなんてことは絶対に、絶対にありませんから、あんな心配はしないでくださいっ!」
ご自身のことが大変なのにそんなあり得ないことを気にされてはいけませんし、強く声をあげてしまいます。
「…っ!」
と、次の瞬間…私はあのかたに抱きしめられてしまいます…!
「は、はぅ、衣砂さん…」
とってもどきどきしてしまって、そのまま身を預けてしまいそうになります…けど。
「で、でも、何とかする方法、ないのです…? やっぱり、私みたいな目で衣砂さんが見られてしまうのは…ああおっしゃられても、やっぱりつらいですし、もし私にできることがあれば…」
「そうだな、魔力を抑えられれば…。でも、気にするな…私は大丈夫だから」
「で、でもでも…やっぱり、私にできることがあれば、何でも言ってくださいっ」
魔力を抑えることができればいいのなら、魔法の使える私で何とかできるかもしれませんし…。
「あんな思い、衣砂さんにはやっぱりさせられませんし、私が…私が、お力になりますっ! ですから…っ」
また涙があふれてしまいそうになりながら、ゆっくりあのかたから身体を離します…と。
「ありがとう…その言葉だけで、十分だ」
そうおっしゃるあのかたはさっき抱きしめてくださった拍子にフードも外れていたのですけれど…。
「い、衣砂、さん…その、お姿は…?」
やっと見ることのできたお姿、でもそれは今までとは少し違っていて…銀色になった髪に瞳の色も紅、そして何より狐の様な耳、それにしっぽまで生えていらしたのです。
「ううん、でも…笑顔を見せてくれて、嬉しいです」
そう、お姿は変わっていてもあのかたであることは間違いなくって、それに笑顔を見せてくださったのですから、それはとっても幸せなこと。
「あっ、お弁当…落としてしまって、中が崩れてしまったかもしれませんけれど、それでもよろしかったら、えっと…」
ここへやってきた本来の目的を果たそうとしますけれど、やっぱり心の中はあのこと…突然お姿が変わってしまってまわりの皆さんの目がどうなるか心配、ということが残ります。
あのかたはああおっしゃいましたけれど…やっぱり、私で何かできることはないか、考えてみるべきだって思います。
魔力を抑えられなくなってしまった、ということであのかたのお姿が変わってしまって。
私は見るのははじめてでしたけれど、妖狐…という種族なのでしょうか。
生命に影響があるわけではない、とはおっしゃっていただけましたし、それに今一緒に合宿を行っているトライアル参加の皆さんもあのかたの外見の変化についてそう気にはされず、そこは一安心でした。
でも、魔力を抑えられないなんていうことが本当に何の影響もないことなのか心配ですし、それに…やっぱり、外見のことで昔の私みたいなつらい思いをされることにならないか、ということも不安です。
ですから、私で何かできることはないかなって、膨大な蔵書を持つ図書館へ毎日通ってそれへ対して何かできそうなことを調べてはいるのですけれど、今のところこれといって何も見つかってはいません…。
トライアルでの私の課題についても何もしていない状態ですけれども、今はそんなことよりもあのかたのことのほうがずっと大切です。
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