普通の楽器の音色とは全く違う、あの楽器の音色。
 それは気のせいなどではなく、確かに私の耳に届いていた。
 かすかに耳へ届くその音色をたどる…どうやら、グラウンド向こうの建物から流れてきており、そこへ近づくと次第に音色がはっきりとしてきた。
「やはり、間違いないわ…魔導楽器の音色ね」
 建物の入口へやってきたときには、もう確信が持てた。
 録音などではない生の音を聴くのは、本当に久し振り…やはり、あまりに美しい旋律ね。
 けれど、まだ遠い…もっと近くで聴いてみたい。
 そうして自然と中へと入ってしまったその建物はどうやら特別棟らしく、廊下には薬学室など様々な部屋へ通じる扉が見られる。
 中には訓練室なんていうよく解らないものもあったけれど、音色がするのは二階…気にせず階段を上がった。
 そこまでくると、もう胸に響くほどに音色はすぐそばにまで聴こえる様になってきたのだけれど、少し気づいたことがあった。
 聴こえる旋律は今まで耳にした中でも一番かもしれないほど美しく、また見事な演奏なのだけれど、その中にどこか物悲しいものを感じたの。
「心を映す、鏡…」
 ふとつぶやいたのは、魔導楽器の異名…あの楽器は、演奏者の心の様子を音色へ反映しやすいものらしい。
 では、今これを演奏している人は悲しい気持ちだというのかしら。
 そして、それはもしかすると私の妹…。
 けれど、私は妹の前に姿を見せてはならない…彼女の養子先の人にそう言われているのに、どうして近づこうとするの?
 もしも会ってしまって、それが元で妹の今後の生活に支障をきたしてしまっては、私は…い、いえ、こっそりと様子をうかがうくらいならば、よいわよね…?
 色々心の中で葛藤をしているうちに音色はどんどん近づいてきて、ついにそれが演奏されていると思われる扉の前にまでたどり着いてしまった。
 そこは周囲に音楽室や上映室、それにスタジオなどのある一帯で、音色が流れているのは練習室の扉の向こう…誰かが演奏の練習をしているのかしら。
 それは、ずっと会っていない妹なのか…。
「…いけない、少し落ち着きましょう」
 私以外に誰の姿もない廊下で、高鳴る胸にそっと手を当て、目を閉じる…。
 耳に届くのは、すぐそばから聴こえる魔導楽器の音色だけ。
 やはり憂いを帯びた旋律に聴こえるけれど、それでも素敵な音色だということに変わりはなく、聴いているうちに胸の高鳴りも収まって、曲に惹きこまれていく。
 それに、この曲…私も知っているわ。
「♪どうしてこんなにもまばゆい…」
 あまりに美しい旋律に心が惹かれてしまい、つい音色にあわせて歌を口ずさんでしまった。
 …あっ、いけない。
 とっさに口を手で抑えたときにはもう遅く、扉の向こうから流れてきていた音色も止まってしまった。
「何をしているの、私は…」
 練習をしている人の邪魔をしてしまった…しかも、私の存在に気づかれてしまった。
 このまま立ち去ろうか、それとも扉を開いて謝ろうか…中にいる人が妹なら、私は顔を合わせてはいけないのだけれど…。
 どうしてもそのまま立ち去る気にはなれなくって、もう存在に気づかれているのに何となくわずかだけ扉を開いて中をのぞいてみた。
「…あっ」
 と、部屋の中にいた人と目が合ってしまい、私は固まってしまった。
 目の合った少女も少し固まってしまった様子だけれど…部屋にはその一人の少女しかいない様子。
 少女はおそらく高校生くらい、もちろんこの学園の制服を着ていて、おしとやかでかわいらしい雰囲気…妹もそうした雰囲気を持っていたけれど、今そこにいる少女は妹ではない。
 そう、そこにいたのは妹じゃなかった…安心した様な、残念な様な、複雑な気持ち。
 一方のその少女は魔導楽器のそばに立っていたのだけれど、おもむろにそのそばに立てかけてあったスケッチブックを手にすると、ペンを手にして何かを書き、こちらへ掲げてきた。
 そこには「誰?」と書かれて…あっ、いけない。
「ご、ごめんなさい、邪魔をしてしまって…」
 妹でないことが解ったので、扉を完全に開いて中へ入らせてもらった。
 一方の少女は、小さく首を横へ振る…そのかわいらしい仕草に、少し心が和む。
「そ、そう、ならよいのだけれど…」
 何だかじっと見つめられているのだけれど、怪しい人だと思われているのかしら…いえ、扉の隙間から中の様子をうかがうなんて、確かに怪しい。
「私は…え、ええ、この学園に妹がいて、それで…ね」
 不審者じゃないと解ってもらおうと弁解…と、少女はまたスケッチブックに何かを書き込み見せてくる。
 えっと…「妹さんを探しているの?」か。
「え、ええ、様子が見られたらいいわね、と思って。魔導楽器の音色が聴こえたから、ここへきてみたのだけれど…」
 またスケッチブックに何かを書かれる…「ここには、私以外いませんよ?」か。
「ええ、そうみたいね。では、先ほどまでの演奏は、貴女が?」
 小さくうなずかれ、次いで少女がそっと魔導楽器の鍵盤に触れると軽やかな音色が奏でられた。
 私も含めてだけれど、力のない者が鍵盤に触れても何も音が出ないのだから、不思議なものね…。
「貴女は魔導楽器が弾けるのね。先ほどの演奏、よい音色だった…けれど、少し…」
 引っかかるところがあった…と、その様なこと、初対面の私が言うのもおこがましいか。
 そう思い直し、不思議そうな表情で私を見る少女に…と、そういえば、また別のことが気にかかる。
「いえ、何でもないけれど…そういえば、貴女、しゃべることが…?」
 いくら気になったとはいっても、自分でも情けなくなるほど軽率な言葉…これこそ思い直したほうがよかった。
 もしかして驚いて声が出ないのでは、とも少し思ったのだけれども、少女がさみしそうな表情を浮かべながらうなずいたから、そんなものではないことが解った。
「ご、ごめんなさい、おかしなことを聞いて…」
 とっさに謝るけれど、もっと気のきいた言葉は出てこないのかしら、全く…。
 そんな情けない私に対して、少女のほうは強く首を横へ振ってくれた。
 私などに気を遣ってくれて、いい子ね…本来なら、こちらがそうしなければならないというのに。
「そう…その、私は草鹿彩菜というのだけれど、貴女は?」
 そのことにはそれ以上触れないことにして、話題を変える意味もあり自己紹介をしたけれど…しまった、フルネームで名乗ってしまった。
 私は本名で歌手活動をしているから、こういうときは名前だけを言うことにしているのだけれども…全く、今日は少し軽率なことが多すぎる。
 一方の少女はといえば一瞬きょとんとした表情を見せるものの、すぐにスケッチブックに何かを書いてこちらへ…「私は、天川梨音です」か。
 どうやら、私のことは知らないみたい…よかった。
「梨音さん、ね…よろしく」
 安心して、サングラスを外して声をかけた。
 そう、私のことを知らなかったことにも安心をしたけれど、別のことにも安心をしていた。
「貴女の様な魔導楽器の奏者が、この学園にいてよかったわ」
 少し不思議そうな表情を向けられた…サングラス越しでなく直に見ると、やっぱりとってもかわいらしい。
 …って、そうじゃなくって。
「この学園へ編入をする私の妹も、魔導楽器の奏者なの。だから、もしかすると会う機会があるかもしれないけれど、そのときは仲良くしていただけるかしら」
 笑顔でうなずいてもらえて、また一安心。
 けれど、妹がこの少女に会う可能性は高いけれど、私がまた会える可能性はかなり低いか…妹にも、そして梨音さんにも。
「それで、その…もし貴女さえよければ、もう一度演奏を聴かせていただけないかしら?」
 少しさみしい気持ちに包まれそうになって、思わずその様なことを頼んでしまっていた。

「私立天姫学園、か…いいところかもしれないわね」
 家路へ向かう私の心は、ちょっと軽やか。
 結局妹の様子をうかがうことはできなかったけれど、彼女がこれから過ごす場所がどの様なところなのかを見ることができた。
 それに、素敵な魔導楽器の奏者がいるということも解った。
 天川梨音さん、ね…彼女の様な人がいれば、何も心配いらないでしょう。
「…ずいぶん楽しそうですね。何かいいことでもあったのですか?」
「ええ…って…」
 背後からかかってきたなじみのある声に返事をしかけて…はっとして固まってしまった。
 こ、この声は…足を止めてゆっくり後ろを振り向くと、そこにはやはり彼女の姿。
「それはよかった…ですけれど、今日は雑誌の取材がある、と伝えていたはずです」
「そ、そう…だったかしら」
「そうでした」
 鋭く射る様な氷姫さんの視線に、私はサングラス越しながら思わず目を逸らす。
 そ、それに、その様なこと…私が取材などが嫌いなこと、知っているくせに。
「ご、ごめんなさい…」
「謝るくらいなら、はじめからしないでください。だいたい、彩菜は軽率な行動が多すぎます」
 それは…今日の行動を思い返しても、否定できないわ。
 けれど、それを差し引いても今日はよい日だった。
 できればまた、彼女の演奏を聴いてみたいものね。


    -fin-

ページ→1/2/3

物語topへ戻る