〜アサミーナとかなさまと秘密の練習?〜

 ―今日の私、石川麻美は事務所でお仕事…なんですけど、大好きな夏梛ちゃんがまだ少し時間がかかっちゃうのに対して、私のほうは時間が空いちゃいます。
 夏梛ちゃんのほうがずっと人気がありますから忙しいのも当たり前なんですけど、事務所で待っていても彼女の集中力を削いでしまいかねません。
 それに少ししたいこともありましたので、私は一足先に事務所を後にしました。
 向かった先は、町外れにあるお社…今日は人の姿もなく静寂に包まれていました。
「今日も明日も、夏梛ちゃんが元気で過ごせますように…」
 まずはお参り…これも大切なことではありますけど、もちろんこのためだけにきたわけではありません。
「えっと、それじゃ、どうしようかな…」
 見渡してみても人の姿はありませんでしたけれど、でもやっぱりいつ誰かがくるかもしれないお社の境内ではとてもじゃありませんけれど無理ですよね。

 お社の周りは結構深い森に包まれていて、私はその中へと踏み入っていきました。
「…たぁっ! やぁっ!」
 そして、落ちていた木の枝を手にして、それを構え声をあげて振ってみます。
 昔から色々な習い事をしていて、そういえば武道の類もほんの少しだけしたことがありましたから思ったよりは身体が動きます…と、もちろんその稽古をするためにここへきた、というわけではありません。
「…せいっ!」
 なおもかけ声をあげつつ枝を振りますけれど…やっぱり、難しいです。
 う〜ん、もっと勇ましかったり迫力のある声が出ないといけないでしょうか…。
「あ、麻美…?」
「やあっ…えっ?」
 と、そんなことをしていると、後ろから声がかかってきた気がしましたので手を止めて振り向いてみると、そこには人の姿がありました…けれど。
「ごめんなさいごめんなさい人違いでした」
 とっても見知ったその子は、でも慌てた様子でそう言います…?
「わっ、か、夏梛、ちゃん…? 人違いって、何が…?」
 そう、現れたのは大好きなあの子だったんですけど、まさかここへ現れるとは思ってもみなくって、それにあんなことを言われちゃって驚くばかりです。
「いえ、私は何も何も見ていません。麻美が見えない何かと戦ってるだなんて知りません!」
「わっ、か、夏梛ちゃん、私は誰とも戦ってないよ…!」
 慌てる彼女の言葉にこちらも慌てちゃいます。
「で、でも、まさか誰かに、しかも夏梛ちゃんに見られちゃうなんて、えっと…!」
 そういうことにならない様にここでしていたのですけれど…はわわ。
「麻美…わ、私を消す気なんですね…? 殺られる前に…」
 一方の夏梛ちゃんはそんなことを口走って…って!
「だ、だから、どうしてそうなっちゃうのっ? わ、私が夏梛ちゃんに何かひどいことをしちゃうなんて、絶対にないことなのに…!」
「…ほ、本当本当ですか?」
 不安げに私を見つめる夏梛ちゃんは涙目になってしまっていました。
「もう、そんなの…当たり前だよ?」
 そんな彼女を見て気持ちを抑えられるはずもなく、安心してもらうためにもぎゅっと抱きしめます。
「う〜…」
 夏梛ちゃんもぎゅっと抱きついてきて…本当に、かわいいんですから。

「それで…麻美は何をしていたんですか?」
 しばらくぎゅってしてあげてすっかり安心してくれた夏梛ちゃん…名残惜しげに身体を離したところでそうたずねてきます。
「うん、えっとね…このオーディションを受けようかなって、考えてて…」
 募集についての詳細の書かれた紙をポケットから出して、彼女へ見せてあげます。
 私が受けようかなって考えているそれは、ゲーム…RPG作品の主人公候補の声。
 いわゆるキャラメイクによるたくさんの声の中の一つになりますから、色んなタイプの声があるわけで…せっかくの機会ですし、私も挑戦しようかなって思ったんです。
「あ〜…なるほどなるほどです。どういう作品なんですか?」
「えっと、うん、普通に剣と魔法の世界のお話で…それで、そういう作品の声っていうとかけ声とか多いよね?」
 声のほとんどは戦闘時のものとなりますから。
「でも、そういう声って普段出さないからあんまりイメージがつかなくって…それで、こうして実際に武器を振っている感覚で声を出して練習してたの」
 これって、実際にやってみると普通の台詞よりも難しいかもしれません。
「麻美は勉強家ですね…えらいえらいです」
 と、夏梛ちゃん、背伸びをしながら私の頭をなでてきちゃいます…!
「わっ、か、夏梛ちゃん…」
 夏梛ちゃんになでられるなんて、心の中がほわんとなっちゃいます…。
「で、でも、そんなことないよ、ただ経験や想像力が不足しているだけだって思うし…」
 だからこそ、こうしてこっそり練習をしていたわけなんですけど…。
「そんな、そんなことはないです!」
 彼女は強く声をあげながらさらになでてくれるんです。
「わ、わわっ、夏梛ちゃん…う、うん、ありがと」
「そうですそうです、私にも手伝えることはないですか?」
「えっ、夏梛ちゃんに手伝ってもらうなんて、もったいないよ…!」
 お仕事で疲れているはずのそんなことまで言ってくれるなんて、その気持ちだけでも嬉しくってそうお返事しちゃいました。
「そ、そうですか? 麻美の役に立てると思ったんですけど…ごにょ」
 と、ちょっとしゅんとされちゃいました…ここはお言葉に甘えたほうがいい、ですよね?
「えっと、それじゃ、その、夏梛ちゃんの演技を見せてもらえると嬉しいかな…って、あっ、もちろん夏梛ちゃんがよければ、だけど…!」
「私の演技ですか? 例えば…何をすればいいですか?」
「う〜ん、例えばダメージを受けて悲鳴とかをあげる声…って、えっと、これは別に夏梛ちゃんの悲鳴を聞きたいからじゃなくって、そういう声って普段あげる機会なんてないからやっぱり難しくって…!」
 言っている途中でそんなことに気づいて思わず慌ててしまいます。
「なるほど、確かにそうですね、難しいです…って、麻美ってそういう趣味が?」
 そう、収録時も特に相手がいるわけじゃないですしそれを本当に痛そうにとか感じさせないといけないんですから…って!
「だ、だから、そうじゃなくって…純粋に難しいからで…!」
「冗談冗談です。で、どうしましょう…ある程度設定を決めてください」
 も、もう、夏梛ちゃんったら…。
「は、はぅ、ならいいんだけど、設定って…う〜ん、それじゃ、戦闘不能に陥ったときの声とか、かな…?」
「戦闘不能…またまた難儀ですね…」
 う〜ん、夏梛ちゃんでも難しいって感じちゃうんですね…でも、ああいうゲームですと絶対にあるはずですし…。
「では…」
 ちょっと心配になる中、彼女は大きく深呼吸をして…。
「つ…ぅ…たすけ、て…」
 消え入りそうな声をあげ、同時に倒れてしまいます…!
「…って、わっ、夏梛ちゃん、大丈夫っ!?」
 不意のことに慌てて彼女を抱きとめます…と。
「もうもう、麻美ったら…演技ですよ?」
「あっ、そ、そうだっけ…やっぱり夏梛ちゃんの演技が上手で、思わず本当に苦しそうに感じられちゃって…」
「そんな、大げさ大げさなんですから…」
 そっと身体を離しますけど、でも本当にそう感じられたんですから。
「あっ、そうだ、夏梛ちゃんもこのオーディション、一緒に受けてみたら…って、夏梛ちゃんならオーディションを受けなくってもお呼びがかかったりするのかな」
「そんなことは滅多にないですよ? 声優なんてたくさんたくさんいるんですから」
「う〜ん、そうなのかな…でも、夏梛ちゃんはその中でも特別だって、私は思うんだけど…」
「う〜ん、私もまだまだ新人ですから…」
「それでも…私の中では、一番なの」
 また気持ちがあふれちゃって、ぎゅっと抱きしめちゃいます。
「…わ、わわっ」
「私が、夏梛ちゃんの一番のファンでもあるんだから、ね…」
「全く全く…です」
 彼女はちょっと呆れた様子にも見えましたけれど、照れちゃってるみたい…?
「あっ、でももちろんファンである以前に…一番大切な、大好きな人でもあるけれど、ね」
「全く全く…もうっ! 素直すぎるんですから…」
 今度はそっぽを向かれちゃいましたけど、その顔は真っ赤になっていました。
「夏梛ちゃん…もう、かわいいんだから」
 とっても愛しい想いに包まれて、なでなでしちゃいます。
「麻美のほうがかわいいですよ?」
 と、夏梛ちゃんからも私をなでなでしてきちゃいます…?
「わっ、そ、そんなこと…夏梛ちゃんのほうが、ずっとかわいいのに…」
 恥ずかしくなっちゃいますけど、それ以上に幸せな気持ちに包まれて、心がほわほわしちゃいます。
 練習も大切ですけれど、でも今は…何よりも大切な人のぬくもりを、こうして感じていて、いいですよね。


    -fin-

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