出会いの季節、舞い散る桜の中で出会った女の子。
「おはよ、あゆちゃん。迎えにきたよ」
 あれから一週間の時がたって、ボクは毎朝その子のお屋敷まで彼女を迎えに行っている。
 学生寮で生活してる僕にとってはずいぶんなことだけど、苦ってわけじゃないから。
 朝倉さん、って呼びかたもいつしかあゆちゃん、に変わってた。
「うん、おはよ…王子さま」
 でも、お屋敷から出てきた彼女はボクのことを相変わらずの呼びかたで呼んでくるんだ…。
 相変わらず勘違いは解けていないわけだけど、悪気はないみたいだしそのくらいいいかな、って思うんだ。
「あら、おはようございます、お二人さん」「手をつないだりして、今日も仲がおよろしいですね」
 登校した教室でクラスメイトに声をかけられると、あゆちゃんはたちまちボクの背中に隠れちゃう…まだまだボク以外のみんなには慣れないみたい。
 ちなみに、最近ではもっぱらボクたちは手をつないでる…恥ずかしいって気持ちもないこともないけど、この方がお互いに安心できるから。
「うん、おはよう、みんな」
「ええ、おはようございます、王子さま」
 …う、これはさすがにちょっとまいるな。
「え〜と、ボクは王子さまじゃないんだけど…」
「そんな、朝倉さんがそう呼んでいらっしゃいますもの」「浅井さんは王子さま、なんですよね?」
 あゆちゃんはこくんとうなずいちゃう。
 はぁ、もう入学式の日みたいなことはないし、さすがにみんなまでボクをそんなふうに思ってるってことはないと思うんだけど、その分ちょっと厭味な感じに聞こえるんだよね。

 人見知りで、おっとりしてて口数も少ないあゆちゃん。
 でも意外…っていったら失礼だけど、頭のほうはよくって、入学式の翌日に行われた実力テストではとある教科以外はとっても優秀な成績だった。
「王子さま…これ、解らない…」
「あぁ、えっと、これはね…う〜ん」
 休み時間、後ろの席の彼女と予習をするんだけど、ボクも英語はあんまり得意じゃないんだよね…。
「と、そういえば…あゆちゃんって春まで外国で暮らしてたんじゃなかったっけ」
「うん…六年、くらい…」
「それなら英語も少しは話したりできても…」
「えと…ロシア語なら、ちょっとだけ…」
 …あぁ、そうだよね、何も英語が主言語の国にいたとは限らなかったか。
 そんなあゆちゃんが苦手な教科はその英語と、あとは体育。
 ボクは結構運動は得意なほうなんだけど、あゆちゃんはやっぱり…っていったらまた失礼なんだけど、全然ダメだ。
「体育、嫌だよ…」
 だから体育の授業前になると元気をなくしちゃって、なかなか着替えてくれなくなっちゃう。
「大丈夫だよ、ペアで何かするときはボクが一緒にするから、ね」
「うん、ありがと…」
 それでも最後はちゃんと授業に出てくれるから一安心…ずっと見学とかなんて、そんなふうにはなってもらいたくないもんね。
 と、安心したのもつかの間、今日の体育の授業は、入学そうそうなのにソフトボールだっていうんだ。
 出席番号順でチームが振られたからあゆちゃんと一緒のチームにはなれたけど、やっぱり彼女はものすごく不安そう。
 何とかしてあげたいけど…よし、こうなったらボクにどこまでできるか解らないけど、やってみよう。
「あの、ボクが投手をやってみていいですか?」
 チーム別に分かれたところで立候補してみた…自分から名乗りをあげるのってあんまりしないから、緊張する。
「えっ、王子さまが?」「確かに運動できそうな雰囲気はしますけど、ソフトボールは経験ありますの?」
「もう、だからボクは…とにかく、ちょっとだけあるよ」
 チームにはソフトボール部の子もいたけど、まずはボクが投げることになった。
「王子、さま…?」
「大丈夫だよ、あゆちゃん。あゆちゃんの守備するほうには、絶対ボールを行かせないから」

 その日のボクの投球成績は、最後まで投げ切って全員をノーヒットに抑え、ボールは内野にまでしか飛ばなかったから、外野にいたあゆちゃんのほうに飛んでいくことはなかった。
 疲れたもののあゆちゃんとの約束は守れて、そのときは無事終わって一安心だった。
「王子さま、すごかったです…もしよかったら、ソフトボール部に入っていただけませんか? 入ってくださったらエースの座は確実です」
「えっ、いや、ボクなんてそんな…というか、ボクは王子さまじゃないから」
 何だかクラスのみんなのボクを見る目が変わった気がして、ソフトボール部の子がそんな声をかけてきたりもしたんだけど、そこは一言断ってそれで終わった。
 でも、翌日…いつもどおりあゆちゃんと手をつないで登校すると、正門の奥、すっかり葉桜になっちゃった並木道に数人の人が立ってるのが見えたんだ。
「どうしたの、かな…?」「う〜ん、ボクにも解らないよ」
 不思議だったけど、ボクたちには関係ないと思うしそのまま歩いて通り抜けよう…としたんだけど、その人たちはこっちに駆け寄ってきてボクたちを取り囲んできた?
「貴女が浅井智さんね…話はうかがいました、その実力をぜひ我がバレー部で発揮しませんか?」「何を言ってるの、貴女ならテニスのほうが絶対似合いますわ」「いいえ、ここはぜひラクロス部に……!」
 口々にそんな声をあげる人たちは制服姿の人もいたけど、だいたいは何かのユニフォーム姿…これってもしかしなくっても部活動の勧誘?
 入学式の翌日からそういう人たちはときどき立ってたけど、そのときはそう熱心に声をかけられなかったのに、これは昨日のソフトボールのことが伝わったらしい。
 …あ、いけない、すぐ隣にいるあゆちゃんがものすごくおびえちゃってる。
「あ、あの、ごめんなさい。声をかけてもらえるお気持ちはありがたいですけど、入る気持ちがあったらもう入ってますし、それにこのままだと遅刻しちゃいますから…し、失礼しますっ」
 あゆちゃんの手を引っ張って、何とかその場を脱出…さすがにあんまり無茶なことはしてこなかった。
 でも、まさか昨日一時間のことがこんなことになるなんて、まいったな。

 朝の勧誘は何とか逃れられたけど、それで終わりじゃなくって、休み時間には数人が教室までやってきて声をかけてきた。
 お昼休み…昼食は校舎とは別の建物となる立派なレストランみたいなきれいな学食にあゆちゃんと一緒に行ってるんだけど、そこでも数人の人に声をかけられちゃった。
 これは放課後も気が重いなぁ…って思ったら、やっぱり放課後も校舎を出たところで数人の人に囲まれちゃった。
「えっと、ごめんなさい、何度こられても…」
 何度も同じことを言ってるし、そろそろ解ってもらえるとありがたいんだけどな…。
「そんな、貴女ほどの逸材がどこにも所属しないだなんて、もったいないです」「どうしてどこにも入ろうとしないんです?」
「えと、それは…」
 思わず言葉を詰まらせてしまったのは、実はボク自身にもはっきりした理由が見えてなかったりするから。
 まぁ、まず第一はこんな突然の事態に戸惑ってる、っていうのがあるんだけど。
 でも、やっぱり…一番は、気になることがあるからかな。
「貴女みたいな王子さま、きっと注目の的になるでしょうに…」
 うっ、またそんなこと言って、ボクは王子さまじゃないし、そんな目立ちたくもないんだけど…。
「…ダメ…王子さま、あゆみだけの…!」
 ため息をつきそうになったそのとき、突然あやちゃんが今までにない大きな声をあげると、ボクの手をつかんだまま駆け出しちゃうんだ。
「わっ、あ、あゆちゃんっ?」
 あまりに突然のことにびっくりして、ボクはただ引っ張られていっちゃったんだ。

 幸いにボクたちを取り囲んでた人たちはあっけに取られたのか後を追ってこなくって、ボクたちは道から外れた林の中に入っていった。
「あ、あゆちゃん、待って、どうしたのっ?」
「はぁ、ふぅ…」
 ボクが少し強手を引っ張ると彼女はやっと止まってくれたけど、走りすぎてものすごく息を切らしてた。
「えっと、あゆちゃん…突然、どうしたの?」
 道からも外れて静寂に包まれた林の中、彼女の息が整うのを待って改めて声をかけた。
「王子さまは…あゆみだけの、王子さまなの…」
 顔を赤くしてボクをまっすぐ見つめる彼女は、いつもより強い口調…。
「王子さま…他のところに行っちゃ、ダメなの…」
 今にも泣き出してしまいそうな表情でじっと見つめられる。
「…大丈夫だよ」
 そんな表情をされると我慢できなくなっちゃって、ボクは彼女をそっと抱きしめる。
 いつも幼い雰囲気な彼女だけど、身体のほうは華奢ながらそう小さいわけじゃない…な、何だか少しどきどきしてきちゃった。
 これは、あゆちゃんに安心してもらうためなんだから…落ち着け、ボク。
「ボクは、あゆちゃんと一緒にいるから、ね?」
「うん…王子さま」
 嬉しそうにボクを見上げる彼女と視線が合って、ますますどきどきしてしまうのだった…。


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