―ここは、私立明翠女学園。
 治期に創立されたという長い歴史を持つこの学園は元は華族の令嬢などのための学校で、今でもレベルの高い狭き門なお嬢さま学校として有名。
 日本屈指の広大さを誇る敷地の中には幼稚舎から高等部までがあって、またすぐ隣には大学もあって、昔から今まで一貫して女子校となっている。
 …ある意味、ボクには全然似つかわしくない学校だ。
 だって、ボクは別にお嬢さまってわけじゃないし、かといって何かの特待生ってわけでもないし、それに…。

 僕が学生寮に入って二日後、いよいよ今日は入学式の日。
 入学式は初等部から高等部までが講堂へ一堂に会して行われる。
 真新しい制服を身にまとうとちょっとだけどきどきするけど、それは心地よい緊張感。
 外も快晴で何も申し分なく、ボクは他の生徒たちの波に混じって桜の花びらが舞う並木道を講堂へと向かってく。
「…そこの貴女、少し待ちなさい」
 誰かが誰かを呼び止める声がしたけれど、ボクには知り合いがいないから呼び止められるなんてことはないよね。
 そう、この学園には見知った人は誰もいない…ちょっと不安だけど、多分大丈夫だよね。
「貴女、聞こえないの?」
 鋭い声がさっきよりも近くから聞こえた…と思ったら、誰かがボクの前に立ちふさがってきた?
「えっ、わ、な、何ですっ?」
「何、はこちらの台詞。先ほどから呼んでいたのが聞こえなかったの?」
 慌てるボクに鋭い言葉を投げかけてくるのは、ボクと同じ高等部の制服を着た女の人。
 肩にかかるくらいの黒い髪に、ボクよりは低いけどでも高いほうの背をした、やや大人びた雰囲気のある人だ。
 もちろん初対面なわけだけど、まさかボクに声をかけてたなんて…。
「あ、あの、何か…?」
「ええ、ちょっと…こっちにきてもらえる?」
 なぜか道から外れた桜の木の下に連れて行かれたんだけど、何だろう、不安になっちゃう。
 緊張した様子でその人の言葉を待つボク…。
「…貴女、見ない顔だけれど、新入生?」
「は、はい、そうですけど…それが何か?」
 鋭い口調や視線に、多少たじろぎながらもうなずく。
「そう…でも貴女、本当に女の子なの?」
 って、い、いきなり何を言い出すのっ?
「見た感じ、女装した男に見えるのだけど…まさか、偽装入学しようとしているのでは、ないでしょうね?」
 あんまりな言葉だ…けど、その人は冗談でそんなことを言ってきている様子でもなく、本気で疑っているみたいだった。
 ここへきてから学生寮で会った人や今日の道行くみんなもボクに不審の目を向けてきていたけど、まさか面と向かってこんなことを言われるなんて…。
 確かにボクは背も高いし顔立ちも中性的でさらに胸もあんまりないから、男の子に見えるって自覚は自分にもある…けど。
「そ、そんな、ボクは男なんかじゃ…!」
「ボク、と言っている時点で十分に怪しいんですけど」
 うっ、それは…昔からの口癖がなかなか直せないだけなのに。
 まいったな、どう言ったら解ってもらえるんだろう…。
「仕方ないわね、生徒証を見せていただける?」
「えっ、は、はい」
 言われるままに、以前入学手続きをした際に受け取った、カード状の生徒証を手渡した。
 その人は生徒証を受け取ると、手にしていた鞄からモニタのついた小型の機械を取り出して生徒証をそれに差し込んだ。
 するとモニタに何かが表示されたけど、ボクからはよく見えない…何をしているんだろう。
 しばらくモニタを見ていたその人、少し考え込んだ後に生徒証を機械から抜いてボクに返してきた。
「…ま、生徒証のデータまでの偽装はまずないでしょうし、学園が性別の誤りをするとも思えないから、これは私の思い過ごしだったみたい。浅井智さん、ね…ごめんなさいね」
「あっ、そ、そんな、解ってもらえたらいいんです」
 素直に謝ってもらって少し慌てちゃうけど、とにかく一安心だ。
 でも、そんなチェックをしてるなんて、この人はどういう人なんだろう…ボクがさらに声をかけようとする前にどっか行っちゃったんだけど、気になるね。

 ボクの名前は浅井智。
 名前からして男女どちらとも取れるものなんだけど、さらに外見も中性的な上に一人称が「ボク」だったりするから、さっきみたいに男に間違えられることもよくある。
 でも、ボクだって間違えられたくって間違えられてるわけじゃない…外見や名前なんてしょうがないものだし、一人称についても、まぁこれはちょっと自分のせいなんだけど、昔からの癖だから。
 女の子らしい服装とかをしないのは、自分にそんなの似合わないって解ってるから…今の制服姿も、自分で着てみて似合ってないって思う。
 そんなボクがどうしてこんなお嬢さま学校に入ったのかといえば、そんなボクを見かねた両親が女らしくなってもらおうって強く勧めてきたから…正直に言うとボク自身は別にどっちでもよかったんだけど、ね。
 この学園は基本的に高等部なら中等部の生徒がそのまま進学するから、外部入学生はごくわずか…それもあってものすごい難関校だから半分落ちて当たり前って気分で受けたんだけど、なぜか合格しちゃって今に至るわけ。
 入学金だけでもずいぶんしたはずなのにね…でも、女子校に入ったからってボクが女の子らしくなるだろうか。
 自分が別に今のままでいいかな、なんて思っちゃってるし…あ、でもさっきみたいなことやまわりの微妙な目は嫌かな。
 あぁ、なるほど、そんな浮いた存在にならないためにちゃんと女の子っぽくなれ、ってこと?
「…って、こんなこと考えてる場合じゃない」
 さっきの人に呼び止められて足止めをされたこともあって、並木道のほうを見るともう誰も歩いてなかったりする。
 …うわっ、入学式から遅刻なんてことになったら最悪だし、急がないとっ。
 もう人の姿のない並木道を一人走ろうとする…んだけど、そんなボクの目にあるものが映った。
 それは、桜の木の下で一人たたずむ女の子の姿。
 長めでウェーブのかかったきれいな髪をなびかせたその子は、とっても可憐な雰囲気で…舞い散る桜の花びらの中でたたずむ姿は、まるで花の精みたい。
 ボクと同じ高等部の制服を着てるけど、ボクと違ってすっごくよく似合ってる。
 ああいうのを見ると、ボクがいくら女の子らしくしようとしても無意味だって感じるよね…絶対ああにはなれないよ。
 半ば見とれちゃう感じだったんだけど…ふと、数日前に見かけた、桜の木の根元で眠っていた子のことを思い出した。
 今たたずんでる子と、数日前のあの子はずいぶんよく似てて…いや、多分同じ子だね。
 前のときは眠ってたわけだけど、今は何をしているんだろう…よし。
「あの…何をしてるの?」
 気になっちゃったし、意を決して歩み寄って声をかけてみた。
「は、はぅぅ…!」
 すると、ものすっごくびっくりされちゃったんだ…ずいぶんかわいい声をあげられちゃったし。
「あっ、えっと、ごめん、驚かせちゃったかな…?」
「う、ううん…」
 おどおどされながら首を横に振られたけど、明らかにびっくりしてるよね。
 それはいいんだけど、しぐさがかわいすぎる…同年代くらいの子のはずなんだけど、ちょっと幼く見えるかも。
「ね、ねぇ、キミ、こんなところで何してたの?」
 とにかく、気を取り直して、と。
「…桜、見て…」
 なぜか顔を赤らめてうつむかれちゃうその子の返事は消えてしまいそうなくらい小さかったけど、そこがまたかわいい、なんて感じちゃう。
 ボクとは違って、本当に女の子って感じ…ぎゅってしちゃいたくなるよ。
「そうなんだ。でも、あんまりゆっくりしていると入学式に間に合わなくなるよ?」
「…あ」
 もしかして、忘れていたんだろうか…ずいぶんおっとりとした感じの子だし、あり得るかも。
「はわ、行かなきゃ…新入生だから…」
 いや、新入生じゃなくっても行かないといけないんだけど…とにかく慌ててはいるみたいだけど、口調といい動きといいゆったりしすぎてて全然慌ててるみたいには見えない。
「じゃあ、一緒に行く?」
「…いいの?」
「うん、ボクも新入生だから、ね」
「うん…」
 と、赤らめた顔をうつむかせたまま、その子はボクの服の端をつかんできた…またまた何だかかわいいなぁ。
 とにかくあんまり時間がなさそうだから、ボクはやや急ぎ足で並木道を歩いてく…その子はそんなボクの制服の端をつかんだままでついてきたんだ。
 ちょっと息を切らせちゃっててかわいそうなことをしたかもだけど、間に合ったからいいよね。


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