お外は晴れていますけれど少し風もあって、やや冷え込んでいました。
 そのためか体育の授業も体育館で行われていましたけれど、そんな中でみしゃさんは寒がる様子もないですし、寒さにお強いみたいです。
「…えへへ〜。実は、服の下にこれを着てたんだよぅ」
 と、服の下をちらりと見せてくださいましたけれど、昨日のプールでも着ていらしたあの水着を身につけていらっしゃったのです…壊れたとのことでしたけれど、もう直したのですね。
「実は水着なのに耐水性がないんだけど、それでもすっごくあったかいんだよぅ? 触ってみる?」
「えっ、えっと、そんな…見せていただいただけで、十分です」
「そうなんだぁ…あれっ、あやちゃん、お顔が赤いよぅ? かわいいよぅ」
「そんな、恥ずかしいです…」
 空気は冷たいですけれど、心の中は少し熱いくらいかもしれません。
「じゃあ時間もあるし、せっかくだから学園全体を歩いてみよっか…あやちゃん、寒くない?」
「はい、大丈夫です」
「うんっ、じゃあ行くよっ」
 声をあげると同時に、みしゃさんはまた私の手を取ってきました。
「こうしたほうが、あったかいよねっ」
「あっ…うふふっ、はい」
 あたたかい、というよりも、心がふわふわしてまいりました。

「わぁ、そんな遠くの国からきたんだねっ。見た感じはやっぱりどう見ても素敵な大和撫子なのに、びっくりだよぅ」
「まぁ、そんな、私なんてまだまだですのに…ありがとうございます」
 みしゃさんと二人、お散歩みたいな感覚で学園の敷地を歩いていきます。
 私の国のことなどを話しながら歩く私たちの手はしっかりつながれたまま…まだつぼみさえつけていない木々を揺らす風は多少冷たくっても、私の心の中はあたたかいです。
 そうした中でこの広大な学園のちょうど中央にある講堂や、初等部に中等部といった場所も案内していただくのですけれど…。
「あっ、そろそろ高等部のほうに戻らないと、お昼ごはんの時間になっちゃうよぅ」
 みしゃさんは普段、昨日私も行った高等部の学食でお食事をされていらっしゃるそうですので、私もご一緒させていただくことになりました。
「う〜ん、ちょっとくるのが遅かったかなぁ…席がいっぱいだよぅ」「そう、みたいですね…」
 私たちが学食に着いたときにはすでにお昼休みになっていて、昨日とは違って学食にはたくさんの生徒さんたちであふれていました。
「ちゃんと席を取ってくれてるといいんだけど…」
 そんなことをつぶやきながらゆっくり移動するみしゃさん…と。
「あっ、姉さん、こっちこっち」
「…あっ、由貴、こんなとこにいたんだっ。待たせちゃったかなぁ?」
 喧騒の中で届いた声にみしゃさんが反応して、その声の主のほうへ歩み寄りました。
「もう、姉さんったら今日は授業のない日のはずなのにちょっと遅いよ…って、あれっ? そっちの子は…誰?」
 席についていたのは十八歳くらいに見える、そしてみしゃさんと同じ裾の長い白衣を身にまとった女の人だったのですけれど、私へ多少不審のまなざしを向けてきています。
 …いえ、私が歩いていますと、この人の多い学食内の少なからぬ子がそうした目を向けてきますけれど、仕方ないですよね。
「うん、今日のみしゃはこのあやちゃんに学園を案内してあげてるんだよぅ」「あの、アヤフィール・シェリーウェル公爵・ヴァルアーニャと申します…」
「えっ、日本人じゃないの…とにかく、私はそちらの永折美紗の妹で助手をしております、永折由貴といいます」
 あっ、みしゃさんの妹さんだったのですね…みしゃさんのほうが妹に見えてしまうのはともかくとして、しっかりしていらっしゃるかたに見えます。
「由貴、あやちゃんも一緒にお食事していいよね?」
「まぁ、いいですけど…」
「うんっ、それじゃみしゃの隣に座ってよ、あやちゃん」
 うながされるままにみしゃさんの隣、つまり由貴さんの向かい側に座ってお食事をはじめますけれども…何だか少し居心地が悪いです。
 いえ、お食事はおいしいのですけれど、ずっと無言の由貴さんがこちらをにらんできている気がして…。
「由貴ちゃん、元気ないみたいだけど、何かあったのかなぁ? もしかして、遅くなっちゃったのを怒ってる?」
「えっ、う、ううん、何にもないよ?」
 みしゃさんもおかしいと感じたみたいですけれど、由貴さんははっとして首を横に振ります。
「えっと、それよりも、アヤフィールさんは姉さんに学園の案内をしてもらっているそうですけど、留学生になるんですか?」
 そして話をそらせるかの様にそうたずねられてしまいましたけれど、由貴さんから私へ話しかけてくださいましたので、少しほっといたしました。
「あっ、私自身はそういうわけでは…」
「そうそう、あやちゃんはこう見えて、みしゃより年上なんだよぅ?」
「えっ、姉さんより年上、って…まぁ、見た目は明らかにそうですよね。でも、実年齢もそうだっていうことは…じゃあ、アヤフィールさんはどうして学園の見学を?」
「あっ、それはみしゃも気になってたんだよぅ。あやちゃんが編入したりするわけじゃないって思うんだけど、何か特別なわけでもあるのかなぁ?」
 そういえば、それについてはまだ摩耶さんにしか説明をしておりませんでしたっけ。
「はい、私の娘をこちらの高等部へ入れようかと考えておりまして」
「あぁ、そういうこと…って、えっ?」「あ、あやちゃんって娘さんがいるの? し、しかも高等部に入るみたいな…えっ、そ、そんなのって…!」
「え、えっと、お二人とも、落ち着いて…」
 まわりの皆さんを驚かせてしまわれるほど驚いてしまわれたお二人、特にみしゃさんの反応に、私も驚いてしまいます。
「はぅ、ごめんなさいだよぅ。でも、そんな…じゃあ、あやちゃんって、結婚とかしてるの…?」
 何だか私は自分のことで人を驚かせてばかりの気がしてしまいます…。
 しかも、みしゃさんをあんなにしゅんとさせてしまって…胸が痛むと同時に、こんなことを思ってはいけないのかもしれませんけれど、それでも彼女が私のことを気にかけてくださっているのかなと、少し嬉しくもなります。
「いえ、結婚はしておりませんよ?」
 安心していただくために、やさしく微笑みます。
「えっ、でも、娘さんがいるんだよね…?」
「はい、おりますけれど、あの子は私の養子ですから。でも、実の娘と何ら変わらない、かわいい子ですよ?」
「…あっ、そういうことだったんだぁ。ちょっと安心したよぅ」
「うふふっ、それでしたらよかったです」
 ちなみに、私は結婚どころかこれまでお付き合いをしたこともありませんけれど、それにしてもそんな心配をなさるなんて、みしゃさん…。

 私がシェリーウェル公爵という爵位を継承したのは二十五歳のときのこと。
 若くしてあの国における王家に次ぐ家格を誇る家の当主となった、そして独身である私には、たくさんの縁談が舞い込んでまいりました。
 いえ、そうした話は爵位継承前よりたびたびありましたけれど、私はそれをことごとく断っておりました。
 若くして亡くなられた婚約者に気を遣っているのか、とも思われたりもいたしましたけれど、そうではありません。
 男性が嫌いなのか、と問われればそうなのかもしれませんけれど…正確にいえば、これまでに出会った男女問わず全ての人に対し、恋愛感情がわかなかったのです。
 もしかすると、私は人を好きになることのできない人間なのでしょうか、と悩んだ時期もございました。
 恋愛感情などなしに人と結婚したほうがよいのかも、と考えた時期もありましたけれど、昔でしたらともかく今の時代でしたら気持ちの伴っていない、そして自分でしたいとも思っていない結婚をしても相手のかたに対しても失礼になると思いますし、また友愛の情は普通にわいておりましたから、無理に恋愛感情を抱くこともないでしょう、と思い至ったのです。
 幸い、子供として大切にしたいと思える子に出会えて、その子を養子にいたしましたので、名家の存続という意味で結婚を勧める人も黙ってくださり、私もその子に母としての愛情をかけるだけ…そう、つい先日まではそう思っておりました。
 そして、そうした心でこれからも過ぎていくかと思っておりました…けれど。
「はぅ、あやちゃん、もうそろそろ帰らないと、なのかなぁ?」
「そう、ですね…」
 日も傾きはじめた頃、立派な講堂のそばへやってきたところでかけられる言葉に、少しさみしくなりながらも小さくうなずく私…つないでいる手に、少し力が入ってしまいます。
「うん、そうだよね…あやちゃん、明日からの予定って、どうなってるのかなぁ?」
「はい、えっと、明日には国へ帰らないといけなくって…」
「そっか…」
 私と同じくらいしゅんとしてしまわれたのは、今日一日学校の案内をしてくださったみしゃさん。
 一緒に過ごしたのはまだほんのわずかな時間なのですけれど、別れるのがとってもさみしい…できることでしたらもっと一緒にいたいと、確かにそう感じています。
 でも、国に残している娘のことを考えると、やはり予定は変えられません…。
「でもでも、あやちゃんの子供さんがここに留学してくるってことは、あやちゃんもまたこっちにくるかもしれないんだよねっ? そのときは、またみしゃに会いにきてくれるかなっ?」
「はい、そのときは、かならず…」
「うん、約束…だよぅ?」
 手を離した私たち、お互いに見つめ合って微笑みますけれど…その目は、涙でうるんでおりました。
「では、私はこれで…みしゃさん、今日は本当にありがとうございました」
 とっても名残惜しいですけれども、その気持ちを振り切って、私は彼女へ背を向けたのでした。

「ちょっと待ってください」
 みしゃさんとお別れして、摩耶さんのお屋敷へ続く道を一人歩いていますと、後方からどなたかの駆ける足音に、呼び止める声が届きました。
 もしかするとみしゃさんが、とも思いましたけれども、その声は別の人のもの…かといって、聞き覚えのないものでもありませんでした。
「えっ…由貴さん? どうか、なさいましたか?」
 私を追いかけてきたのは、みしゃさんの妹さん…少し意外でした。
 だって、由貴さんはお昼からはずっと私たちと行動をともにしていたのですけれども、私とはほとんど口をきいてくれなくって、嫌われてしまっていると感じておりましたから。
 …いえ、その思いは今の今でも持っています。
「あの、アヤフィールさんに少し言いたいことがあるんですけど…」
 そうおっしゃる彼女の声は鋭く、また私を見る目も厳しいものでしたから。
「は、はい、何でしょうか…?」
 そうしたご様子ですから、少し不安になってしまいます。
「…アヤフィールさん、本当にこのまま、姉さんに会うことなく帰るつもりですか?」
「えっ、それは…どういう、ことですか?」
「突然現れて、今まで恋になんて興味も示さなかった姉さんの心を奪っておいて…このまま去ろうっていうんですか?」
 そうおっしゃる由貴さんはとっても強い口調で、涙まであふれさせてしまいそう…。
「あなたも姉さんのことが好きみたいに見えましたけど、その程度の気持ちだったんですねっ。それなら、もう二度と姉さんの前に姿を見せないでくださいっ」
 …由貴さんが私を嫌っている様に感じられた理由が、ようやく解りました。
 由貴さんは、みしゃさんのこと…姉として以上に、好きだったのかもしれません。
 けれど、妹としての立場を越えられない…さらには、そんな中に突然現れた私が…。
「解ってくれたなら、さっさと帰ってくださいっ」
「…解りました、けれど…ここへは、またやってきます。私は、みしゃさんに…恋を、しましたから」
 しっかりと、由貴さんを見つめます。
「ただ、今はまだお会いしてもすぐに離れ離れになってしまいますから…みしゃさんにふさわしい存在になれましたら、また戻ってまいります」
「何、それ…そんな存在になれなかったら、どうするんです?」
「そのときは、もう二度とみしゃさんの前には現れません」
 けれど、私のこの想いは本物…ですから、かならずまた戻ってまいります。
「そう、ですか…戻ってくるんでしたら、私も認めざるを得ない様になってないと、承知しませんからねっ?」
「はい、もちろん…」


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