結局、昨日は色々不安ばかりが募ってしまって練習どころじゃありませんでした。
 考えた末に私がしたことといえば、スタジオに鍵をかけちゃう、っていうこと…はい、扉には外からかけられる鍵があって、一度も使ったことはなかったながらスタジオ内に置いてあるってことは知ってたんです。
 学校の施設に鍵まで勝手にかけちゃうなんて私物化も甚だしい…自分でもそう思っちゃいますけど、でも貴重な練習の場を失うのはやっぱり嫌だったんです。
 もう石川先輩がくることもないんですし、練習時も内側から鍵をかけちゃいましょう…そうすれば、もう昨日みたいなことはないですよね。
 うんうん、そういうことで放課後は冬華さんたちと別れた後にいつもどおりスタジオへ…昨日は帰る前に鍵をかけておきましたから、扉の前でポケットから鍵を取り出して扉の鍵穴へ差し込んで開錠して、っと…。
「…って、あれっ、開かない?」
 どうやら今ので鍵がかかったみたいなんですけど、ということは…今までは鍵がかかってなかった?
「え…ど、どういうことなんでしょう…」
 他にここの鍵を持ってる人がいる、っていうことなんでしょうか…不気味で冷や汗が出てきちゃいます。
 …い、いえ、ただ単に私が鍵をかけ忘れちゃっただけかもしれないですよね。
「き、きっとそうに決まってますよね」
 自分にそう言い聞かせて、大きく深呼吸…鍵を開けなおしまして、扉を開けて中へ入ってみました。
 そして、扉を閉じてどきどきしながらまわりを見回してみますけど…誰の姿も見当たりません。
「ふぅ、やっぱり私の鍵のかけ忘れ…」
 ほっとしかけますけれど、そこで色々な違和感に気づいてどきっとしてしまいました。
 そう、なぜか私が入ってきたときすでに明かりがついていたり、テーブルの上に置いてあった雑誌が開いていたり…。
「え…や、やっぱり、誰かいるんですかっ?」
 それらも私がうっかりしてて、って考えたいんですけど…やっぱり他の人がって思えちゃって、びくびくしながらあたりを見回します。
 でもやっぱり誰もいない…と、そのとき背後から物音がしてきますっ?
「ひゃぅっ!」
「ちょっ、あによ、そんなおかしな声あげて…そんなに驚かなくってもいいじゃない」
 びくっとして振り向きますと、ついさっきまで誰もいなかったはずのそこには一人の少女の姿が…!
「そんなにびくびくして、ずいぶん臆病なのね?」
「そ、そそそんなこと、さ、冴草さんがいきなり現れるからですっ。どうして…どこから出てきたんですっ?」
 私の前に現れたのは、昨日もここへきた冴草エリスさん…なんですけど、今日は扉も閉じたままでしたし、一体どこから…。
「あぁ、えっと、そこの変な小部屋からだけど」
 そう言って彼女が視線を向けた先を見て、さすがにそこは納得できました。
 スタジオの片隅にある、小さな扉…その先は物置になっていて、冴草さんは扉のほうから物音がしたときとっさにその奥へ隠れたといいます。
 私と石川先輩がはじめて出会ったときも全く同じ、でもあのときは私が驚かせるほうだったんですけど、とにかくそれはいいです…けど。
「で、でもでも、この部屋には鍵をかけておいたはずですっ。それなのに、どうして…」
 やっぱり、私が鍵をかけ忘れちゃってたんでしょうか…。
「あぁ、あんなの、私にかかればすぐ開けちゃうわよ? 全く、無駄なことして」
「…ふぇっ? えっと、それじゃ、かかってた鍵を、冴草さんが開けちゃったんですか?」
「ええ、そうだけど?」
 平然ととんでもないことを言われちゃいました…こ、この子、一体…。
「え、えっと…で、でも、そもそもどうしてここにいるんですっ?」
 色々謎ばっかり出てきちゃいますけど、そもそもこれです…もうきちゃダメだって言いましたのに。
「そんなの、ここが気になったからに決まってるじゃない。どう見ても、何もない場所なわけないものね」
「は、はぅ、でも、昨日は大人しく帰ってくれましたのに…」
「あれは、あのまま粘ってもあんたが素直に見せてくれそうになかったから。だから今日、あんたがくる前にこうしてきて、色々見させてもらってたのよ」
「そ、そうでしたか…はぅ」
 まぁ、気になる気持ちも解らないことはないんですけど、私の平穏な練習時間が…。
「それで、色々聞かせてもらいたいんだけど…いいわよね?」
 あぁ、やっぱり失われていくんですね…。
「…いいわよね?」
「は、はいですぅ」
 鋭い目でにらみつけられて、私は渋々うなずくのでした。

 仕方ありませんから、冴草さんにこの部屋は使われていない録音スタジオで、ここにあるもののほとんどはそれに関連した機材だっていうことを教えてあげました。
「う〜ん、何となくは解ったけど…」
 椅子に座って話を聞く彼女、促されてまた出しちゃった紅茶を飲みながらそうつぶやきます。
「解ってくれたならよかったです。それじゃ、そういうことでそろそろ…」
「ちょっと、何話を締めようとしてんのよ。この部屋のことは解ったけど、結局あんたはここで何してるわけ?」
 うっ、誤魔化しきれるかなって思って、そのあたりのことには全く触れてませんでしたのに…。
「えっと、それは…べ、別に気にするほどのことじゃないですよぅ?」
「あからさまに怪しいわね…もしかして、何か悪いことしてるんじゃないの?」
「そ、そういうわけじゃないんですけど…」
「ならいいじゃない、言ってみなさいよ」
 うぅ、この子に言う必要性なんて全くないと思うんですけど、にらみつけられちゃってますし逃げられそうにないです…覚悟を決めましょう。
「え、え〜と…だ、誰にも言わないって約束してくれるんでしたら、いいです」
「あによ、そんな大層なことなの? ま、別にいいけど?」
「そ、そうですか…その、私はここで声優になるための練習をしてるんです」
 あぁ、ついに言っちゃいました…しかも出会って間もない、別に同じ夢を目指してるってわけでもない人に。
「わ、私、声優になるのが夢ですから、それで…」
 言葉を続けながら冴草さんの様子をうかがいますけど、特に反応がありません。
 うぅ、やっぱりこういうのって呆れられちゃうものだったんでしょうか…相手も言葉がないみたいです。
「…ま、まぁ、それだけのことですから、冴草さんもここのことは気にしないで、帰ってくださいですぅ」
 呆れられようが笑われようが、あとはこの子が他の人に言ったりしないことを信じて帰ってもらうだけ…。
「ちょっと待ちなさいよ」
「…は、はぅ、まだ何かあるんですか?」
 呼び止められてびくっとしちゃいますけど、これ以上私をいじめるのは…。
「いや、その声優っていうのが何のことか解んないんだけど?」
「…ふぇっ?」
 思いもよらぬ言葉に一際大きな声が出ちゃいました。
「そっ、そんなびっくりされても、解んないものは解んないんだから、ちゃんと説明しなさいよねっ?」
「は、はいですぅ」
 顔を真っ赤にされて怒鳴られちゃってまたびくっとしちゃいました。
 あ、あの様子からしてからかってるわけじゃなくって、本当に解らないみたいですね…びっくりなことは確かですけど、縁のない人にはぴんとこないのかもですね。
「えっと、つまり、声優っていうのはアニメとかゲームとか、まぁ他にも色々ありますけど、そういうものに声を当ててる人のことです」
「…は?」
 え…もしかして、アニメとかのキャラクターそのものがしゃべってるとか、そんなふうに思っていたんでしょうか。
「あによ、そのアニメとかゲームって」
「…え?」
 でも、彼女が言葉を詰まらせた理由は私の想像のさらに上をいくもので、今度は私が言葉を詰まらせちゃいました。
 いえ、まさかそんな、この日本に住んでいて、この歳になってそれらの存在すら知らない人なんているんですか?
「そういえば、さっき目を通しかけた雑誌にそんな言葉が出てきてた気もするけど、本当に何のことよ? もしかして、常識なの?」
 …ほ、本当に、今私の目の前にいました。
 信じられません…この学校にはいわゆる箱入りのお嬢さまもたくさんいますけど、そういう子でさえ存在くらいは知ってますのに。
「あっ、あによっ、さっさと教えなさいよねっ?」
 私があまりにあっけに取られちゃったからでしょうか、さっきよりもさらに顔を真っ赤にして怒鳴られちゃいました。
「しょ、しょうがないですね…」
 どうしてこんなことをわざわざ、とも思っちゃいましたけど、断ると恐そうでしたから説明してあげることにしました。


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