第二章

「吹奏楽部も練習を頑張ってるみたいですね…新入生の見学者もいるみたいですし」
 ――放課後、冬華さんと一菜さんと別れ特別棟の二階へやってきた私の耳に、音楽室から漏れる色々な楽器の演奏音が届いてきました。
 でも、それもいつもの場所…音楽室のさらに先にひっそりあるスタジオへ入り扉を閉じますと、全く届かなくなりました。
 完全な防音の施された、外からの音の全く届かない静寂に包まれた場所に一人きり…以前は休日などになると石川麻美先輩がいらっしゃったりしましたけど、今ではここへくるのはもう私だけです。
 やっぱりちょっとさみしいですけど、だからっていってどうにかなるわけでもないですし、あんまり考えない様にしておきましょう。
 そうそう、ここはしっかり練習して、少しでもあのかた、そして夢へ近づかないと、です…練習に没頭していれば気も晴れますし。
「え〜と、それじゃ…こほんっ」
 スタジオの真ん中あたりに立って、まずは発声練習から…基本は大切ですし、日々の積み重ねが重要です。
 …なんて生意気言ってますけど、まぁほとんど独学だったりします…ちょっとは、自分で買ってきたり石川先輩が使っていた本とかも参考にしてますけど。
「…はぅ、そう思うと、ちょっと不安になってきちゃうかもです」
 危うくため息をついちゃいそうになりましたけど、でもあのかたは実際にオーディションを通ってますし、的外れなことをしてるってわけじゃないはずですよね。
 幸い、私にはこのスタジオっていう、いくら声を出しても誰にも迷惑をかけずに思う存分に練習できる場所があるんですし、卒業後にどうするかってことはありますけど、今はこの学校でできることをするだけです。
「うん、頑張りましょう…さて、次は何をしましょうか」
 演技の練習でしたり色々することはあるわけですけど、もうちょっとだけ発声練習をしましょうか。
「ん、んっ…」
「…あんた、さっきから何を変な声出してるの?」
 練習を再開しようとしたとき、背後から声がかかってきました…?
「…って、ふぇっ!?」
 そ、そんな、ここには誰もいないはずなのに、どうなってるんですっ?
 びくってして背後を振り向いてみると…そこには、一人の女の子の姿があったんです…!
「は、はわわっ、だ、誰です、あなたはっ?」
 まさか人がいるなんて思いもしませんでしたから胸がすごくどきどきしちゃって、それに頭の中も混乱しちゃいますけど、これって本当にどうなってるんですっ?
「誰、って…そっちこそ誰なのよ? 人のこと見てそんなに慌てたり、ちょっと失礼なんじゃない?」
 一方、その女の子は私の態度が気に障ったのか不機嫌そうな様子…。
「は、はぅ、えっと、ごめんなさいですぅ…」
 と、とにかく、落ち着かなきゃいけませんよね…!
「えっと、その、私は松永いちごといいます…」
 何とか名乗りながら、唐突に現れた女の子のことをきちんと見てみます。
「ふぅん、いちごだなんて…ずいぶんおいしそうな名前ね」
「…はぅっ」
 いきなり人が結構気にしていることを言ってきたその女の子は、もちろん私と同じこの学校、そして高等部の制服を着ています。
 背は私より少し低いですから小柄な子ですね…でも髪はツインテールにしているのに腰のあたりまでありますから結構な長さなわけですけど、それ以上に目につくのは髪の色が金色に近い、っていうことです。
 顔立ちもどこか日本人離れしてますし、つり目な目の瞳の色も…日本語は普通にしゃべってますけど、見たことのない子ですし留学生か何かでしょうか。
「…あによ、人のことじろじろ見て」
「は、はわっ、な、何でもないですぅ」
 つり目でにらまれちゃってびっくってしちゃいます。
 はぅ、ちょっと恐い子なのかもですけど、でもじろじろ見ちゃったのは確かに失礼だったかもですよね…。
「あ、あの、それで、あなたは誰なんですか?」
 それでもこっちはちゃんと名乗ったわけですし、何とか怯まずたずねてみます。
「あによ、私はエリス・メ…じゃなかったわ。えっと、冴草エリス、高等部一年よ」
 何だか少し言葉を詰まらせた気もしますけど、とにかく名字は日本人なんですね…名前は外国人っぽいですけど、留学生ってわけじゃないのかもです。
「そうですか、後輩さんですね…でも、中等部にこんな子いませんでしたよね」
「あによ、当たり前でしょ、この前通いはじめたばかりなんだし」
 はぅ、一応こちらが先輩なんですけど、敬語とかはないんですね…外部入学生だからなのか、それとも私に先輩としての威厳とかがないからなんでしょうか。
 …まぁ、お世辞にも私に威厳がある、なんてことは自分でも思えませんけど。
「そ、それで、冴草さんはどうしてこんなところにきたんです?」
 やれやれです、ようやく本題に入れます…何だか疲れちゃいました。
「あによ、どうしてそんなことあんたに言わなきゃいけないのよ?」
 って、まだ一筋縄ではいかないんでしょうか…むぅ。
「ま、どうしてもっていうなら、話してあげてもいいんだけど?」
「え、えっと、どうしても聞きたいですぅ」
「ふぅん、じゃあしょうがないわね」
 …何だかこれじゃどっちが先輩なんだか解らないんですけど。

 誰もこないはずのスタジオへ唐突に現れた日本人離れした容姿の、そして身体は小柄なのに態度はちょっと大きな女の子、冴草エリスさん。
 彼女はさっきも言っていたとおり高等部からこの学園へ通いはじめた外部入学生ということもありこの学校の色々なものが珍しく感じられるそうで、 ちょうど今日から部活見学がはじまったということもあり、その見学がてら色々なところを見て回っていたらここを見つけた、ということです。
「でも、部活なんてどれもいまいち、自分でやってみようなんて思えなかったわね…っと、この紅茶なかなかおいしいわね。お代わりちょうだい」
「はいですぅ」
 ずっと立ち話っていうのも何ですから、私たちはテーブルを挟むかたちで椅子に座って話してて、それに私が持ってきていた紅茶も出してあげました。
 この紅茶は部屋で淹れたものを水筒で持ってきてるんですけど、もともとは石川先輩が用意してくれていたもの…って、どうして私がついであげてるんでしょう。
「弓道とかも見たけどなまじ天才を見てるからお遊びに見えちゃうし、そこでやってた吹奏楽だっけ、あんなのも聴いてる側のほうでいいわ。文芸部とかもあるみたいだし、そっちはちょっと興味あるけど」
「そ、そうなんですか、本を読むのがお好きなんですか?」
「まぁね…で、ここは何の部活なわけ?」
「…ふぇ? えっと、ここは何の部活でもないですし、私は何の部活にも入ってませんよ?」
「えっ、でもだって、さっき変な声出してたじゃない。あれは何なのよ?」
 うぅ、この人には私がそれをしてるところを見られちゃってたんでした。
 扉に背を向けてましたし、それに集中して練習してましたから、いつの間にか入ってきていたことに全然気づかなかったんです。
「むぅ、あれは変な声じゃなくって発声練習ですっ」
「…発声練習? あによ、それ」
 発声練習が全く解らない、ときましたか…普通の子はやっぱりぴんとはこないものなんでしょうか。
「それに、この部屋もどういう部屋なの? 明らかに普通の教室とは違う感じなんだけど」
 冴草さんはそう言いながらあたりを興味深げにながめてますけど、ここにあるもののこともよく解ってないみたい…?
 やっぱりアニメを観たりしてる子なんてそうそういるわけないですよね…となるともう彼女は完全に招かれざる客人です。
「え、えっと、そんなことないですし、ここは本当に何の部活動の場でもありませんから、冴草さんも他のところ…そうそう、例えば文芸部の部室とかに行ったほうがいいですよぅ?」
 これ以上色々知られたりする前に立ち去ってもらうのみですし、紅茶を取り上げながら立ち上がって彼女も立つ様に促します。
「ちょっ、あによ、まだ飲みかけなのに。それに、じゃああんたはここで何してるのよ?」
「別に、取り立てて言うほどのことはしてませんから…えと、あと、ここのことは他の人には言ったりしちゃダメですからね?」
「あ、あによそれ、あからさまに怪しいじゃない」
「いいからいいから…本当にここには何もないですから、もうこないでくださいねっ?」
 そう言いながら扉へ歩み寄り、外の世界への出口を開いてあげます。
「ちょっ、あによ、失礼すぎでしょ…」
「えと、それじゃ、さようならですぅ」
 まだ色々言いたげな彼女を無理やり廊下へと押し出し、そのまま扉を閉じちゃいました。
「だ、大丈夫でしょうか…」
 自分でしておいて何ですけどあまりに強引な追い出しかたでしたから、すぐに戻ってくるんじゃないかってびくびくしながら扉を見つめます。
 でも、一分、二分…五分たっても、扉はそのままで開くことはありませんでした。
「…ふぅ、大丈夫みたいです」
 ほっとため息をつくと同時に、気が抜けちゃってそのまま椅子へ座り込んじゃいました。
 何とか乗り切ることができましたけど、まさかここに人がくるなんて予想外でした…普通の生徒でしたらこんな目立たない場所の扉なんて目に留まらないって思いますし、それに留まったとしても何も書いてなくて中も見えない扉なんて開けようとしない、って思うんですけど…。
 まぁ、でも、石川先輩や私もここをこうして見つけてますし、一年に一、二人は好奇心旺盛な生徒がきちゃうのかもですね…。
 幸か不幸か、冴草さんはここにあるものも私のしていることも全く解らないっていう子でしたけど、中途半端に解る子がきたら何て言われるか…はぅ。
 そもそも、あんな追い出しかたじゃ冴草さんもまたきちゃうかもですし、さらに彼女が誰かを連れてくる、なんていうこともあるかもしれません。
「…むぅ、これはどうしましょうか」


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