ここから学園へ登校となると、当然いつもよりはやく出ないといけないわ。
「美月ちゃん、それに彩菜さんも、おはようございます。気をつけていってらっしゃいまし」
まだこの寮にいる他の子たちの姿も見えない中で外へ出ると、玄関先を掃除していた人…穏やかな微笑みを浮かべたメイドさんに声をかけられた。
この寮には専属のメイドがいるのか…って、どうして私の名前を知っているのかしら。
「はい、おはようございます、菖蒲さん。いってまいりますわ」
「まぁ、美月ちゃんったら。やっぱり全然別の子に見えちゃいますけど、その様子だと、お二人は…」
「…うん。あーやちゃんの…菖蒲さんの、おかげですわ。ありがとうございます」
あーやちゃん…菖蒲さん、って…えっ?
「あ、えっと、貴女、もしかして鴬谷菖蒲さん?」
「はい、覚えていてくださったのですね…お久し振りです」
そう言われると、以前一度学園の応接室で会っている彼女だった。
「え、えっと、どうしてそんな服装で掃除なんて…貴女、燈星学園の生徒会長なのでは…?」
「あっ、これは私の趣味です。それに、お掃除も大好きですから」
ま、まぁそれなら私が何か言うことはないけど…でも、彼女には他に言うことがある。
「あの、鴬谷さん、この間は…ごめんなさい。せっかくの提案を、冷たく断ってしまって」
「そんな、お気になさらないで…。それより、美月ちゃんとの関係はもう心配いらないみたいですね…美月ちゃんのこと、幸せにしてあげてくださいね」
何かしら、ずいぶんうるんだ目で見つめられてしまっている。
あの提案を断ったことについて気にしているって様子ではないし、では何なのかしら…。
「ええ、ありがとう…それはもちろんよ」
「…お願い、しますね?」
ずいぶん熱のこもった視線にはっとした…もしかして、鴬谷さんも美月さんのことを…。
それなのに、美月さんが私に会える様に協力したり、こうして祝福してくれるなんて、本当に美月さんの幸せを願っているのね…。
「…ええ、誓って、美月さんのことを幸せにする」
その返事に鴬谷さんは満足げにうなずいて、一方の美月さんは顔を赤らめる…うっ、少し恥ずかしい。
「え、えっと、そういえば鴬谷さん、以前いただいた学園祭の共同開催の提案だけれども、そちらにまだその気があるのならば、こちらは構わないと思っているわ…どうかしら?」
「えっ、本当ですか? でしたらぜひ、お願いいたします」
何だか話をそらせる様なかたちとなってしまったけれど、今のは私の本当の気持ち…美月さんの学校と仲良くなって、悪いことなど何もないものね。
「ではさっそく、今日の放課後にでも、打ち合わせに出向きますね」
「えっ、いや、そんな、それならこちらから…」
「いえ、他にも少し用事がありますから…いいですか?」
何かしら、鷹司先輩に報告でもするのかしら…とにかくそう言うのならば、こちらはうなずくしかない。
「お二人とも、いってらっしゃい…また、放課後にお会いしましょう」
メイド服姿の鴬谷さんに見送られて、駅への道を歩きはじめた私たち。
「彩菜さん、その…手をつないでも、いいですか?」
「…ええ、構わないわ」
そっと、私の右手に彼女の左手が重なって、ぬくもりが伝わってくる…。
「こうして美月さんのあたたかさを感じて登校できるなんて、とっても幸せ…」
「うん、うちもとっても幸せや…」
「…あら? 美月さんったら、口調が元に戻ってしまっているわ…ふふっ」
「あっ、ほんま…本当ですわ。彩菜さんの笑顔を見たら、つい…」
お互いに微笑み合う…そういえば、私がこんな自然に笑えたのって、いつ以来なのかしら。
美月さんが、私を笑顔にしてくれる存在…と、その彼女、ふと表情を曇らせた。
「けれど、明日からは一緒に登校はできませんか…」
そう、よね…今日こうして一緒なのは、私が外泊をしただけのことだもの。
それに、学園祭が終わったら、学校も離れ離れに…そう思うと、つないだ手に思わず力がこもってしまう。
「…大丈夫ですわ、彩菜さん」
「…えっ?」
「今は離れ離れの生活になりますけれど、いつでもお泊りにきてくだされば…」
にっこり微笑まれ、さみしい気持ちは自然と消えていく…そうよね、今までの日々に較べたら、このくらい我慢できる。
「それに、卒業後には彩菜さんと私との二人で一つのお部屋を借りて、一緒に暮らしたいですわね…」
ふむ、確かに卒業をしたら学生寮から出なくてはならないものね…って?
「えっ、み、美月さん、今のって…ど、同棲、ということ?」
「あっ、もしかして、彩菜さんは…お嫌、でしたか…?」
しゅんとされてしまったけれど、今のは突然のことにびっくりしてしまっただけ。
「そんなはずはないわ…そうね、それは素敵な考えだし、ぜひそうしましょう」
「はいっ」
ふふっ、今まで未来のことなんてほとんど考えたことがなかったけれど、胸が高鳴ってきたわ。
美月さんと一緒に歩める未来…何て素敵なことなのかしら。
けれど…。
「…あやちゃん、どうしたん? 何か、気がかりなことでもあるん?」
私の表情が曇ってしまったことに気づいたのか、美月さんは声色を変えることも忘れて声をかけてきた。
「…いえ、大したことはないのよ」
と、不意に手が引っ張られた…美月さんが特に何もない歩道で突然足を止めたのだ。
「ど、どうしたの、美月さん?」
私も足を止めて、手も離してお互い向き合うかたちになった。
「もう、あやちゃん? うちとあやちゃんは、将来を誓い合うた仲、そうやないん?」
「え、ええ、そう…私は、美月さんのこと、愛しているわ」
突然どうしたのかしら、恥ずかしい…けれど彼女のまなざしは真剣そのものだったから、私も真面目に返事をした。
「うん、うちもあやちゃんのこと、愛しとるよ。だから、あやちゃんには何でも話してほしいなって、あやちゃんの悩みごと、どんなささいなことでも聞いてあげたいなって、そう思とるんよ?」
あっ、さっきの私のこと、そんなに心配してくれてて…。
「あやちゃんは一人やないんやから、一人で何でもかかえこまへんと、うちを頼りにしてくれていいんやで…な?」
彼女のその言葉、心の中にあたたかく染み込んでくる…。
「美月、さん…ありがとう」
「そんな、お礼言われることやないで…わっ、あやちゃん、泣くことでもあらへんよっ?」
「あ…ご、ごめんなさい…」
いけない、自然と涙があふれて、止まらない…。
「あやちゃんったら…しょうがあらへんなぁ」
そんな私を、美月さんはぎゅっと抱きしめてくれたのだった。
幸い、私と美月さんが抱きあったとき周囲に人の姿はなかったけれど、よく考えたらずいぶん恥ずかしい…。
しかもそのせいで危うく電車に乗り遅れてしまうところだったけれど、何とか間に合ったわ。
電車で登校というのは私にとってはじめての経験…思っていたよりは混んでいなかったけれど、同じ制服を着た少女が結構いて、しかもこちらを気にしている様子だった。
そんな電車を降りて、学園へとのびる道を歩くときも、やはり周囲の視線を感じたかしら。
「彩菜さん、手を…つなぎましょう?」
ま、私たちが手をつないで歩いていたのが目を惹いたのでしょう…恥ずかしいけれど、美月さんと一緒にいる幸せのほうがより大きく感じられたから、大丈夫。
そして、電車の中と違って周りの人との距離もある程度は取れるから、歩きながらあのこと…さっき私がはぐらかそうとしてしまった悩み事について、彼女に話してみたの。
美月さんとこうして一緒になれて、将来まで誓い合う仲になった、これはもちろん嬉しいのだけれども、その将来、私は一体何をしているのかしら…という将来へ対する、というよりも進路への不安、これが一つ。
そして、もう一つは…妹のこと。
両方とも、特に妹のことなんてこれまで他の人に話すなんて思いもしなかったことだけれども、美月さんになら…ということで、全てを話したわ。
「彩菜さんの妹さん、ですか…」
さすがに少し重い話になってしまって、全てを聞いた美月さんは神妙な面持ちで考え込んでしまった。
しかも、ずいぶん長い話になってしまったから、もう教室にまで着いてしまったわ。
「そこまで深く考えなくってもいいのよ、美月さん。妹には確かに会いたいけれど、今すぐに…というわけでもないもの」
「はい、けれどやっぱりお会いできないままだなんてさみしいですし、私も何とかできないか考えてみますわ」
「ええ、ありがとう、その気持ちだけでも、嬉しいわ」
お互いに微笑み合って、教室へ入るのだった。
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