「くっ…」
目が覚めると、そこはベッドの上…頭が痛くって、目覚めがものすごく悪い。
時計へ目を向けると、もう十時過ぎ…この私が寝過ごしてしまうなんて、はじめてのことではないかしら。
もちろんすでに部屋には南雲さんの姿はなく、私一人きり。
「情けないわ…全く」
寝過ごしたこともそうだけれど、あんな夢を見てしまったことも…涙で枕が濡れてしまっていたことも。
こんなに泣いたのは、いつ以来か…母の真意を知ったとき以来、なのではないかしら。
「…しっかりしなさい、私」
顔を洗って泣き疲れた気持ちを洗い流し、制服へ着替えた…って、よく考えたら遅刻も何も、今日は休日だった。
本当に、しっかりしなさい…でも、もう別に制服のままでもよいかと開き直り、軽くパンを口にした後、そのままの服装で机へ向かった。
あのことがあることもあって、休日の私はだいたい勉強をして過ごしている。
「…はぁ」
けれど、今日は全然集中できなくって、ため息をつきながら別のことを考えてしまう。
「心配してくれた白波さんを、あんな感情的になって怒鳴りつけるなんて…」
考えてしまうのはやっぱり昨日のことで、浮かんでくるのはあの子の悲しげな顔。
あれでは、例え彼女が好意を持ってくれていたとしても、もう嫌われてしまったかもしれないわね…。
けれど、それでよいのよ…やはり、私には大切な人など、いないほうがよいのだから。
おかしいわね、ずっとそのほうがよいと思っていたはずなのに、いざそうなると、どうしてこんなに胸が痛くなってしまうのかしら。
本当、情けない…今、この場に私一人しかいなくって、本当によかったわ。
そう思っていたのに、それを邪魔するかの様に部屋の扉をノックする音が聞こえてきた…南雲さんの知人などかと思って無視をしようかとも思ったのだけれど、なかなか諦める様子がなかったの。
「…どなたかしら?」
仕方がないのでゆっくり扉を開けた…のだけれども。
「あっ、彩菜さん、こんにちは。何度ノックをしても出ないから、お留守かと思ってしまいましたわ」
「…え?」
扉の前に立ってお辞儀をしてきたのは、とてもよく見覚えるのある子だった。
「し、白波、さん? どうして、ここに…?」
「はい、どうしても彩菜さんにお会いしたくって…。約束もなしにお休みの日に、しかも学生寮にまで押しかけてしまって、お邪魔だったでしょうか…」
「えっ、あ、会いたかったって、でも、私のこと、嫌いになったのでは…」
つい今の今まで想いを巡らせていた子が突然現れたので、思わずついさっきまで思っていたことを口走ってしまった。
「えっ、私が彩菜さんを…そんなこと、あるはずありませんわ」
しかも、ものすごく強い口調で否定されてしまった。
「むしろ、彩菜さんが私を嫌いになってしまっていませんか…? 昨日、あんな失礼なことを言ってしまいましたから…」
そして、一転して不安げな様子となってそんなことを言われてしまった。
「い、いえ、その様なことはないわ」
「そ、そうですか…よかったです」
全く、同じ不安を抱いていたとはね。
「もしかすると、私に嫌われていないか不安で、わざわざたずねてきたのかしら?」
…って、何をほっとしているのよ、私は…ついさっき、嫌われたほうがよいと考えたばかりでしょう。
「は、はい、それもあります…」
あ、貴女も何を顔を赤くして…と、こほん。
「そ、それもとは、他にも何かあるのかしら?」
「は、はい、あの、えっと…」
なぜか口ごもってうつむく彼女…だけれど、やがて意を決したかの様に顔を上げ、私をまっすぐ見つめてきた。
「わ、私と…お出かけしませんか?」
「…えっ、お出かけ?」
「は、はい、その、彩菜さんと一緒に行きたいところがあって…。お、お弁当も用意してありますし、その、ダメですか…?」
お弁当まで持参だなんて、その様な…まるで、デートか何かみたいではないの。
その様なこと、ただでさえ距離を置かなければと思っているのに、いいはずが…。
「…い、いいわ。私も、特に予定はないもの」
けれど、結局そんな返事をしてしまった。
だって…私を見つめる彼女の目が、いつになく真剣なまなざしだったから。
休日に、白波さんと外出…もちろん彼女の足は学園の敷地外へ出た。
私が正門を抜け、そして学園の敷地外へ出るなんていつ以来のことかしら…思い出せないくらい、相当前のことね。
正門からまっすぐのびる道路はきれいに整備されており、その歩道脇には学園の生徒を客層に狙った甘味処やファッション関係などの店舗が見られて、休日だけあって普段学生寮で生活している生徒らしい少女たちの姿がよく見受けられた。
「何だか、皆さん…私たちのこと、気にしていらっしゃいませんか?」
歩を進める彼女の言葉どおり、すれ違う少女たちの視線がこちらへ向いているのが解った。
「そうね…私が生徒たちの風紀取締りを行っている、とでも思われたのではないかしら」
これまで学園の外では一度もその様なことをしたことはないものの、プライベートな外出もまずしたことがないし…。
「そうですわね…そういえば、どうして彩菜さんは休日ですのに制服なんですか?」
私の服装がそれだから、そう勘違いをされても仕方のないところかしら。
「別に…何となくよ」
今日が平日だと思った…とは、さすがに言えない。
ちなみに、白波さんはもちろん制服ではなく、フリルのついたかわいらしい服装。
そんな私たち、学園の正門の先にある駅まで行くものの、彼女は電車に乗るわけではなく、そのまま駅の反対側の町並みへ入っていく。
学園側は都市計画に基づいて整然と区画整理のなされているのに対し、駅を挟んだそちら側は雑然とした印象はぬぐえない。
けれど、その風景に私はとても見覚えがあり、懐かしさすら感じていた…それもそのはず、その町は私が数年前まで暮らしていた場所だったのだから。
そう、私の通う学園は、数年前…引っ越す前に私の暮らしていた町にあった。
もっとも、この町自体によい思い出は全くといっていいほどなかったから、学園へ入学してからこちら側の区画へきたことなど一度しかなく、ずっと学園の中にこもりきりだったけれど。
その様な町を歩く彼女は私から見ても解るほどに緊張している様子でありこちらからも声をかけづらく、数年前とほぼ変わらない町並みの中、私は黙ってついていっていた。
一体、彼女はどこへ向かい、何をするつもりなのかしら…。
見慣れた風景を懐かしむこともなく、私はずっと彼女の背中を見つめつつ、そんなことだけを考えていた。
だって、この町にいた頃のことなんて…今でもそうかもしれないけれど、ともかくよい思い出なんて何もなかったから。
母親との関係はああだったし、今でもそうながら友人などもおらず、そして……と、ここで思い至ったことに、思わず視線を彼女の歩く先へと向けた。
まさか、彼女の目指している場所というのは…い、いえ、その様なこと、あるはずがないわ。
私の心の中に浮かんだ「まさか」の気持ち。
はじめは小さな、単なる偶然でしょうと思うだけのものだったけれど、時間がたつにつれてどんどんまさかという気持ちが大きくなってきた。
「…待ちなさい。白波さん、貴女…私を、どこへ連れて行こうとしているの?」
そして、住宅地を抜け町外れへ差し掛かったところで、我慢ができなくなってしまった。
「その、もう少しで着きますから、それまで…お願いします…」
前を歩く彼女から返ってきたのは、震え気味の返事…そして祈るかの様な口ぶりのものだった。
「…解ったわ」
彼女は何か重大な決意を秘めている、そんな感じだったから、私も一言うなずいてまたついていくことにした。
彼女の行く先に、何が待っているのか…それは想像がつかなかったけれど、でも彼女にとってだけでなく私にとっても重大なことがありそう、そんな予感がしたわ…。
私たちがたどり着いたのは、町外れにある、木々に覆われたそれほど高くはない山の上。
長めの石段を上った先にあったそこは、木々に囲まれ小さな社の立つ厳かな空間。
…ここの雰囲気、本当に昔と全く変わっていないわ。
「あ、あの、彩菜さん…ここで、お弁当を食べませんか…?」
小さな社の境内、その中心で足を止めた白波さんが振り向いて、手にしていた包みを見せながらそう言ってきたけれど…その声は震えていた。
…あれでは、食事が喉を通らないのではないかしら。
「…いえ」
そして、それは私も同じ…あまりの緊張に、胸がずっとどきどきしてしまっている。
「その前に、私をこの様な場所へ連れてきた理由を、聞かせてもらえるかしら。ここが、その目的地なの?」
「い、いえ…」
ここではないというつもりなのか…では、まさか…。
「あ、あの、それをお話しする前に、彩菜さんに謝らなくってはいけないことが、ずっと隠していたことが、あるんです…それを、聞いていただけませんか?」
「ずっと隠していたこと…?」
「は、はい、その…私、本当は、燈星学園の生徒なんです」
「…えっと?」
彼女の告白がどういうことなのか、一瞬理解できなかった。
燈星学園、と言ったわよね…それは確か、この町の駅から二駅先にある私立校。
「そこから明翠女学園へ編入した、というだけのことではないの? 別に、その様なことは隠すというほどのことでは…」
自分でそう言って、それは少しおかしいことに気づいた。
「いや、燈星学園も悪くない学校だそうだし、距離も近い…わざわざそこから編入をするというのは、おかしな話ね」
「はい、私は本当はまだそちらの学校の生徒で、今は菖蒲さんと摩耶さんに協力してもらって、一時的に明翠女学園の生徒になっているのですわ…」
「…どうして、そんなことを?」
「それは…彩菜さんのおそばに、近づくためです」
「私に、ですって?」
そう…はじめからそういう目的だったから、不思議なほど私につきまとってきていたのか。
「けれど、何故その様な…」
ここでふと浮かんだのは、先ほどの彼女の言葉に出てきた「菖蒲さん」という人の名…これは確か、以前私に学園祭の共同開催を提案してきた、かの学校の生徒会長の名だったはず。
その様な人が協力をしている、ということは…。
「まさか、以前共同開催の提案を断った私に貴女を近づけこの様に親しくし、その上で懐柔しようとした、ということかしら…?」
わざわざその様なことをする理由、このくらいしか思い浮かばない。
「そう…その様なことのために、私の心をもてあそんでくれたのね…」
あの胸の痛みもどきどきも、全てもてあそばれていただけのことだったのか…。
「あ、彩菜さん…!」
「…黙りなさいっ! 散々人のことを騙しておいて…裏で私のこと、笑っていたのでしょうっ?」
そう、そうよ…普通に考えたら、私などに親しげに近づく子なんているはずないのだから、その様な裏に気づかず騙された私が全て悪いのよっ!
「こんな、こんなところでそんなこと言うなんて、どういうつもりなのよ…! どこまで人を馬鹿にしたら気が済むというの…!」
あまりの悔しさに、涙があふれてしまう…。
「い、いいわ、貴女たちのおかげで、私はこれからも一人で生きていく決心がついたわ。それには感謝してあげる、だから…」
今すぐこの場から消えなさい、と言うつもりだったのだけれども…言えなかった。
「…あやちゃん、やめてっ!」
突然、聞き覚えのある声が、聞き覚えのある呼びかけかたで耳に届いたから…。
「えっ…い、今の…」
思わずあたりを見回すけれど、この厳かな空間に人影は見受けられない。
「彩菜、さん…う、ううん…」
私、そして私の前で涙ぐんでいる白波さん以外は。
今の、空耳か…そうよね、それ以外、あり得ないわ。
「あやちゃん、違う…違うんや…」
い、いえ、また聞こえた…というより、目の前の子がしゃべっている?
「ど、どういう、こと…?」
「今まで黙ってて、ほんまにごめん…うちのこと、解る…?」
ゆっくり眼鏡を外し、そして編んでいた髪をさっとばらす白波さん…って、えっ…?
「う、うそ…ま、まさか、美月…」
愕然としてしまう私…その脳裏には、あのときの情景が浮かんできていたわ。
そう、忘れ得ぬ…彼女と過ごした日々の記憶が。
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