「んっ…」
 翌朝、何も夢など見ることなく目が覚めた。
 よほど疲れていたからかしら…でも、それでもいつもと同じ時間に目が覚めたわ。
 …もしかすると、昨日のあれが夢だったのかもしれない。
 ふと、そう思った…だってそうでしょう、私に親しげにしてくる子の存在や、この私があんなに振り回されてしまうなんて、普通では考えられないことだもの。
「そうね、あれは夢だったのよ」
 自分にそう言い聞かせて登校する。
 まだ朝練をしている部活があったりと、少しはやくきすぎてしまったわ…かといって並木道に立つ気も今日はないし、教室で本でも読んでいましょうか。
 そんなことを考えつつ、人もまばらな廊下を歩いて教室の扉を開ける。
「…あっ、彩菜さん、おはようございます」
 と、私の隣の席に姿のあった子がこちらを見て笑顔で…って、えっ?
「ど、どうしてあの子がいるのよ…」
 思わず教室へ入らずに扉を閉じてしまったけれど、今のは…私の目の錯覚や幻聴の類、なのかしら。
 ええ、きっとそうね、私としたことが、まだ昨日の夢のことなどを引きずっているなど、情けない。
 小さく深呼吸をして、心を落ち着けてから、改めて扉を開けた。
「彩菜さん、おはようございます」
「…うわっ!」
 今度は目の前にさっきの子の姿があって、また思わずそのまま扉を閉じようとしたけれど、今度はその前に彼女が手で扉を抑えてしまった。
「彩菜さん、どうなされたのですか? 教室に入らないと…」
 微笑みを浮かべてそんなことを言うのは、言うまでもなく昨日の編入生、白波美月さんだった。
 あぁ、あれは夢じゃなかったのね…しかも、彼女の態度も昨日と変わらないし。
 少し、ほっとしたかしら…なんて、その様なことは全くないのだから。
「…ええ、おはよう」
 少し動揺する気持ちを何とか抑えて、彼女の横を抜けて席へ向かった。
「はい、おはようございます。今日もよろしくお願いいたしますわ」
 どうして、その様に嬉しそうにしてついてくるのかしら…すでに教室にいたほかの生徒たちも変な目で注目してきてしまっているでしょう。

「彩菜さんは本を読むのが好きなのですね」
 席について本を広げても、隣の席な白波さんが椅子を私に寄せてきてしまう。
「どんな本を読んでいらっしゃるのですか?」
 しかも、私が無視をしても話しかけてくるのだから…昨日の時点で解っていたことなのだけれど、空気の読めない子ね。
「…別に、たいしたものではないわ」
「でも気になりますし、教えていただけませんか?」
 危うくため息をついてしまいそうになったところで、ようやくチャイムが鳴って救われた。
 それに気づいて彼女が席へ戻る頃には、はやくも先生が教室へやってきて朝のホームルームがはじまる。
「では連絡のほうですけれど、学園祭で歌姫を選ぶコンテストが企画されているとのことですので、参加希望者は生徒会室前に設置された箱に名前を書いた紙を入れてください、とのことです」
 ホームルームで先生が説明をはじめたのは、昨日のあの会合で決まったこと。
「推薦での応募でもいいとのことですけれど、その場合は推薦者本人の名前も書かないと無効になりますから、注意してくださいね」
「あっ、ここは彩菜さんが付け加えたところですわね…」
 南雲さんたち、推薦の場合でも参加する人の名前だけでよい、なんてしていたのよね…それでは本人の意向を無視して応募をする人がいた場合、誰が応募したのか解らなくなってしまうでしょうに、やはり彼女たちだけに全てを任せると詰めが甘くなると改めて解ったわ。
「わたくしも歌は好きですから参加したいところですけれど、上がり性ですので難しいでしょうか…ともあれ、歌声に自信のあるかたは参加してみるとよいかもしれません。よい成績を収めたかたは、学園の援助でCDデビューができるみたいですから」
 先生のその言葉にみんながざわつきはじめるけれど、CDデビューが確約されているというのは確かにすごいことだものね…普通に考えたら学園祭の企画程度でその様なことはないはずなのだけれど、理事長の鷹司先輩が了承してしまったのよね。
 鷹司家の財力からすれば可能なことなのでしょうけれど、それにしてもお金の使いかたを間違っているわ。
「あの、彩菜さん…」
 と、みんながざわついているのだから黙っていないでしょうとは思ったけれど、やはり隣の彼女が身を乗り出してきた。
「アヤフィール先生、上がり性だったのですね…全然そうには見えませんわ」
 …って、貴女が反応するのはそちらなのね。
 けれど、確かにそれは意外かもしれないわ…上がり性なのに、どうしてたくさんの生徒たちの前で教鞭を振るう教師なんていう職を務められているのか。
「あと、それと…彩菜さんは、参加なさらないのですか?」
「…参加とは、何に?」
 この流れで訊ねられることなんて、あれしかないでしょうけれど…。
「はい、今回のコンテストに…」
「…どうして、私が参加をしなければならないのかしら?」
 本当、この子はときどき突拍子もないことを訊ねてくる…。
「それは、その、何となく…」
「何となく、って…歌えない人が参加できるものではないでしょう、これは」
「で、でも…」
「でも、ではないわ。この話はもうやめてもらえないかしら?」
 突拍子もない、そして妙に的外れでもない言葉で私の心を惑わすのはやめてもらいたいわ。
 私は歌えない…そう、人前で歌う気は全くないのだから、嘘など言っていない。
 重ねあう音色もない、それに聴かせたいと思う人もいない空しい歌声なんて、人前で披露できるわけがないわ。
 全く、何となくで適当なことを言わないでもらいたいわ。
「はい、皆さん、静かに…ですけれど、草鹿さんと白波さん、一日でとっても仲良くなったみたいで、よかったです」
 …って、な、何をこの教師はおかしなことを言っているの?
 どこをどう見たらその様に見えるというのか…全く、今日も疲れる一日になりそうね。


    (第3章・完/第4章へ)


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