「とりあえず、この特別棟の案内をするわ…教室棟や学食は別に必要ないでしょう」
「はい、ありがとうございます」
 保健室を出て、私は白波さんにこの学園の案内をすることになってしまった。
 全く、どうしてこの私がこの様なことをしているのかしら…自分でよく解らない。
 けれど、こうして一度案内をすることで、今後は案内などする必要がなくなるでしょうから、そのためだということにしておきましょう。
「あっ、ここは音楽室ですね…吹奏楽部の演奏が聞こえますわ」
 二階へ上がったところで彼女がそう反応を示したとおり、今の時間は皆さん部活動の真っ最中。
「…ええ、そうね」
 一方の私はといえば、最低限の説明しかしておらず、それ以外は黙っていてかなり気まずいはず…なのだけれど。
「彩菜さん、よろしかったら中を見学させていただいてもよろしいですか?」
 彼女はどちらかというと楽しげにさえ見えるという不思議…いわゆる空気の読めない子、なのかしら。
「…今日は部活の見学まで付き合う約束はしていないわ」
「そう、ですか…では、明日の放課後にお願いしてもよろしいですか?」
「その様なこと…」
「…いけませんか?」
 しかも、私が突き放そうとしても全く動じないどころか、またうるんだ目でじっと見つめてきてしまう。
 …こういう反応をされることなんてないから、困ってしまう。
「どうして、私がその様なことをしなければならないのかしら…」
 そんな目で見られるのが嫌で、すっと背を向けた。
「彩菜さん、お願いします…」
 まだ諦めない彼女の声が、泣きそうになってしまっている…。
「…考えておくわ」
「あ…ありがとうございますっ」
 あぁ、私はまたこの様な甘い返事をしてしまった…もっと冷たく返すべきなのに、どうして…。
「けれど、貴女…吹奏楽部に興味があるの?」
 話をそらせようと、こちらから話しかけてみた。
「あっ、はい、少し演奏できますから…意外だったりしますか?」
「…ま、そうね。読書などが趣味の様に見えたから…ともかく、行くわよ」
「あっ、そんなに急がなくっても…」

「あっ、ここは生徒会室ですわね…こういう場所は、少し緊張しますわ」
 特別棟の案内をして、最後にやってきたのがそこ。
「そう、では今日はもう帰りなさい。私はここに用事があるから…では」
 彼女の返事を待つことなく扉を開け、中へ入るとそのまま扉を閉じてしまう。
「で、彩菜は編入生の子のこと泣かせていじめてて…って」
「…今日の会合は、もう終わったのかしら」
 どうやら私の陰口を言っていた南雲さんへ、冷ややかに声をかけた。
「あぁ、会長さん、遅かったですね。いえ、これからはじめるところです」
「…そう」
 ラティーナさんと藤枝さんはおろおろする中、私は生徒会室の端にある机についた。
「は〜い、じゃあ会合をはじめるね。書類仕事は会長さんがしてくれるから、私たちは学園祭のイベントを詰めましょ…明日からあれについても参加者を集めようと思うよ」
 一方、南雲さんたち三人は部屋の中心にある席に集まって、先ほどまでしていたらしいお茶会の片付けもせずに話をはじめた。
 私はそれを聞き流しながら、机に積まれた書類へ目をやって…。
「…し、失礼します」
 と、聞き覚えがある声とともに扉が開いて、誰かが入ってきた。
「えっ、と…どうしたの?」「ドチラさまデース?」
 みんなが不思議そうにする中、足音はこちらへ近づいてきて…って。
「…貴女、何か用?」
「い、いえ、彩菜さんこそ、こんなところで何を…は、はやく出たほうがよくありませんか?」
 小声で話しかけてくるのは言うまでもなく白波さんなのだけれど、どういうつもりなのかしら。
「貴女、先に帰りなさいと言ったでしょう…私は、ここで仕事があるから」
「えっ、仕事…って、どういうことですか?」
「私は、この学園の生徒会長なのよ」
「わっ、そ、そうだったのですか? 彩菜さんが生徒会長さん…確かに、お似合いですわ」
 あぁ、そういえばこの子に私が生徒会長だとか言っていなかったか…って、お似合いとはどういうこと?
「解ったなら、出て行って…」
「でも、どうして彩菜さんだけ他の皆さんと離れた机に一人ついていらっしゃるのですか?」
「…関係ないでしょう、そんなこと。仕事の邪魔になるから、はやく出て行ってもらえないかしら…貴女たちも、はやく仕事をなさい」
「わ、解ってるよ、そんなこと…!」
 こちらへ視線の向いていた三人へ釘を刺し、再び書類へ目を…。
「そんなのいけませんわ。彩菜さんは会長さんなのですから、きちんと皆さんの中心になってお仕事をしないと」
「余計なお世話…と、あ、貴女、何を…!」
 突然彼女に手を取られてしまって、無理やり立たされてしまって…そのまま、三人のいる机へ引っ張られてしまった。
「ど、どういうつもりかしら…?」
「あの、ですから、生徒会長さんなのですから…」
 そんな、すがるかの様な目で見られても…この子、おとなしそうに見えてかなり強引ね。
「…仕方、ないわね」
 正直、何だかもう疲れてしまって…南雲さんたちが唖然とする中、私は長机の生徒会長がつく席へ座った。
 三人とも、白波さんを奇異な目で見ているけれど…本当に何者よ、という感じよね。
「…これでよいでしょう? 貴女はもう帰りなさい」
「あっ、いえ、その…このまま見学させていただいても、よろしいですか?」
 本当、遠慮を知らないというか何というか…。
「…そこの三人がよいというならば、好きにしてもよいわ」
 本当に疲れてしまったので、丸投げをしてしまったのだった。

「…あっ、もう外がすっかり真っ暗ですわ」
「そうね」
 白波さんと二人きりの生徒会室…時計へ目をやると、もう午後八時を過ぎていた。
「彩菜さんは、毎日こんな遅くまでお仕事をしていらっしゃるのですか?」
「…今日は特別よ」
 貴女が私の書類整理の邪魔をして会合へ参加させたりするからよ、全く…あちらは私がいなくても話は進んだというのに。
「えっと、南雲さんと藤枝さんにラティーナさん、でしたっけ…あの皆さんにも、お手伝いをしてもらったら…」
 ラティーナさんはともかく、南雲さんたちは苗字で呼ぶのに、どうして私ははじめから「彩菜さん」なのよ…。
「…いいのよ、別に」
「確かに、ちょっと難しい書類ばかりですものね…って、あの、これは別に皆さんには無理な仕事と言っているわけではなくって…!」
「…気にすることはないわ」
 実際、あの三人に頼むよりも自分でしたほうがずっとはやく終わる、というのは本当だし。
「けれど、今日はもう遅くなってしまったし、帰りましょう」
「あ、はい、そうですね、彩菜さん」
 片づけをして生徒会室を出るけれど、さすがにこの時間となると人の気配がない。
「あの、彩菜さんはどちらで暮らしていらっしゃるのですか?」
 街灯の灯る並木道を歩きながら、そんなことを訊ねられた。
「ええ、私は学生寮に入っているのだけれど、貴女は?」
「あっ、そうでしたか…私は、お家から電車にて通っておりますわ」
 学生寮に入っている生徒は全体の半数程度、といったところ…この学園を中心に発展をしたという町だけあって駅も近く、そういった生徒も多い。
 中には車で送迎してもらっている生徒もいるみたいだけれども…さすがお嬢さま学校、といったところかしら。
「そう、ならばここでお別れね」
 高等部学生寮へとのびる道のそばで立ち止まった。
「残念です…私も、学生寮に入りましょうか…」
「…いや、家から通うことができるのならば、そちらのほうがよいかと思うわ」
 悪い冗談はやめてもらいたいわ…その様なことになっては、気の休まる場所がなくなってしまう。
「では、これで…」
 そのまま立ち去ろうとするのだけれど、彼女は私をじっと見つめてきていて…な、何なのかしら。
「…書類の整理を手伝ってくれたことには、お礼を言うわ…ありがとう。では、気をつけて帰りなさい…さようなら」
 そんな視線に負けてしまい、きちんと別れの挨拶をしてから背を向けた。
「そんな、こちらこそ今日は色々とありがとうございました。その、さようなら…また、明日…」
 後ろを振り向く気にはならなかったけれど、彼女がずっとあの場に立って、私が見えなくなるまで見送り続けている気がした。

 やっと戻ってくることのできた自分の部屋…片側のベッドの上では、もうすでにパジャマ姿となった南雲さんがCDを聴いたりとくつろいだ様子なのだけれど、もう声をかけてくることはないし、私も気にしない。
 それにしても、今日は本当に疲れた…こんなに疲労感を覚えるなんて、ここ最近ではなかったわ。
 今すぐにでもベッドへ倒れこみたい…のだけれど、一応部屋に他人がいるのだから、そんなことはできない。
「…会長さん?」
 とりあえず食事を作ろうかと思っていると、南雲さんがヘッドホンの音楽を消して声をかけてきた。
 呼びかたがもう以前とは変わっているけれど、ともかく部屋で声をかけてくるなんて、あの日以来はじめてね。
「…何?」
 疲れているということもあって、私の声はかなり不機嫌。
「今日の編入生、ずいぶん会長さんに懐いていたけれど、あれってどういうこと?」
「…知らないわ、そんなこと」
 それっきり会話は途切れ、私が食事の準備のためキッチンへ向かうと、彼女も再び音楽を聴きはじめた。
 あんなことを聞いてくるなんて、私が味方を作ろうと白波さんを引き入れようとしている、とでも思ったのかしら。
 けれど、おあいにくさま…私は誰とも親しくなどなりたくないの。
 私は、一人でいい…なのに、どうしてあの子は私が冷たい態度を取ってもついてこようとするの?
 南雲さんの訊ねてきたことなんて、私が知りたいくらいよ…。


次のページへ…

ページ→1/2/3/4/5

物語topへ戻る