―街から少し離れた、ひと気のない鬱蒼とした森の中に歌声が響く。
「ありがとう、美月さん。こんなに楽しく歌えるなんて、本当に久し振り…」
「えっ、そんな、うちは何にもしとらへんのに」
 隣にあるとても明るい笑顔に、私も微笑みを浮かべた…。

 ―あっ、いけない、私ったら何を思い出しているの?
 もうとっくに過ぎ去った、絶対に、二度と訪れることのない日々を思い返しても、胸が痛くなるだけでしょう…。
 一瞬の回想からわれに返った私、先生の隣に立つ、あの子と同じ名前を持つ少女へ少し目をやってみた。
 やや高めの身長ながら、髪をおさげにし眼鏡をかけているという、かなりおとなしそうな雰囲気…先ほどの自己紹介時の口調もそんな感じだったし、あの子とは全く違う。
 と、ふとその少女と目が合ってしまい、なぜか微笑みかけられてしまった。
 な、何よ…編入生なんて、私には関係ないわ。
 そう思った窓際の席の私、彼女から目を逸らして窓の外に広がるきれいな秋空に目を移した。
 そう、本当に、私には全く関係のないこと…。
「では、白波さんの席ですけれど…近藤さん、一つ後ろへ下がっていただけますか? 白波さんは、近藤さんが座っていた席に座ってください」
「あ…はいっ」
 …って、そこでどうしてわざわざそうするの?
 わざわざ人をずらして開けられた席というのは、私の隣…私の視線は外へ向けられたままだけれど、内心では先生の理解不能な行動にいらだっていた。
「白波さんは編入したてで色々解らないことがあると思いますから、そういうときは隣の席の草鹿彩菜さんに遠慮なく聞いてくださいね」
「はい、よろしくお願いします、彩菜さん」
 隣の席についた編入生が声をかけてくるけれど…何ですって?
「ま、待ってください。どうして私がその様なことをしなくてはならないのですっ?」
 思わず先生をにらんで声を荒げてしまったけれど、そうしたくもなるわよ、これは。
「はい、草鹿さんは今期の中間考査も学年一位の成績でしたし、それにしっかりしていらっしゃいますから、適任かと思いまして」
 クラスメイトたちがざわつく中で先生は相変わらずな微笑みを浮かべながらそんなことを言ってさらにざわめきを大きくしてしまう…中間考査はまだ答案も返ってきておらず、当然結果も発表されていないものね。
「そんなの、理由にならないと思います…クラス委員の人などに任せたほうがよくありませんか?」
「そうでしょうか…先生は草鹿さんが適任かと思いますし、まずはやってみてください。では、チャイムも鳴りましたのでこれで朝のホームルームを終わります」
 答えになっていない言葉を残して、先生は教室から出て行ってしまった。
「あ、あの、彩菜さん、よろしくお願いします…」
 隣の席についた白波さんが遠慮がちに声をかけてくるけれど、どうしてこんなことに…。
 彼女が悪いわけではない…のだけれど、気分がよくないのは確かで、その声を無視してしまう。
 …いくら先生がああ言っても、私が冷たい人だと解れば彼女のほうから私を避ける様になるでしょう…そう、他のみんなの様に。

 隣の席に編入生がやってきたからといって、何かが変わるわけじゃない。
 授業のほうはいつもどおり…と、中間考査直後の授業なので、まずはやはり答案の返却があった。
 クラスメイトたちが返ってきた答案を見せ合ったりして盛り上がる中、私も答案を受け取って一人静かに席へ戻る。
「…わぁ、彩菜さん、満点だなんてすごいですわ」
「…え?」
 気づくと、白波さんが椅子をこちらへ寄せて私のそばで答案を覗き込んできていた。
「な…何をしているの、貴女。戻りなさい」
「大丈夫ですわ…他の皆さんなんて、席を立ったりしておりますもの」
 にらみつけても全くひるむ様子がない…。
「それよりも、彩菜さんってすごいんですね」
「…そんなこと、ないわ」
「あっ、そういえば先ほど担任の先生が、彩菜さんが学年での主席だとおっしゃっておられましたっけ…」
「…そんな余計なことを憶えるより、きちんと授業内容を覚えるのね」
 まだ彼女が目を向けてきている答案を折りたたんで机の中へしまった。
「そんな、私は彩菜さんのことをもっと知りたいです」
 なっ…何を言っているの?
「あ、貴女ね…」
「…では皆さん、授業をはじめますから、静かにして席に戻ってください」
 と、私が言い返そうとするのとほぼ同時に教師の声にさえぎられてしまった。
 …ま、話を打ち切ることができたのだから、かえってありがたいわ。
「あの、彩菜さん…」
 なのに、休み時間になるとなぜかまた私に声をかけてくる白波さん。
「…何?」
「彩菜さんは朝、登校途中に立っていらっしゃいましたけれど、何をしていらしたのですか?」
「そんなこと…関係、ないでしょう?」
 本当にどうでもよいことだったので、視線を窓の外へ向けてしまう。
「そんな、こと…」
 そのまま声が消えていってしまったし、これで私に声をかけるなんて諦めてくれたかしら。
 現に二時間めは何ら声をかけられることなく終わり、一安心…していたのだけど。
「彩菜さん、次は体育の時間とのことですけれど、教室で着替えるのですか?」
 私の考えが甘かったみたいで、次の休み時間にまた声をかけられてしまった。
「…どうして、私に聞くの?」
「えっ、何かおかしかったですか?」
 そんな素で聞き返されても困るのだけれど…。
「…ま、いいわ。着替えは更衣室でするから、みんなについていけば解るわ」
 最低限の義理は果たした私はすっと着替えを手にして、まだおしゃべりなどをしてのんびりとしている他のクラスメイトを尻目に教室を後にした。
「あっ、彩菜さん、待ってください。私も一緒に行きます」
 って、白波さん、わざわざ慌てて後を追ってきた。
「…どうして、ついてくるの?」
「えっ、彩菜さんと一緒に行きたくって…」
 もう、だからどうしてそう思うのかしら…全く理解できないし、こうなったら、周囲に誰もいないことだしはっきりと言わせてもらおう。
「…貴女、もう少し周りを見たら? 私と一緒にいたりしたら、貴女もクラスの子たちから孤立するわ。現に、私などに話しかけたりしているから、まだ他の生徒から声をかけられていないでしょう…友人になってくれる人を探すのなら、他の人を当たることね」
 彼女へ視線を向けることも、足を止めることもせずそう言い放つ。
 編入早々でクラスから孤立するのは嫌でしょうから、さすがにこれで…。
「そんな、彩菜さんは、クラスで一人ぼっち…?」
 今頃気づいたの…本当、周りを見ていない。
「そんなの、さみしいですわ…」
「…いいのよ、それは私が望んでそうしているのだから、貴女も私などは放っておいてもらえるかしら」
「嫌ですわ、そんなの…」
 白波さんには関係ないのに、どうしてそんな悲しい声をあげるの?
 そんな彼女を無視して一人更衣室の中へ…彼女も私のそばで着替えはじめたけれど、背を向けて完全に無視をする。
 他の生徒がくる前に体操服へ着替え終えて、まだ着替え終えていなかった彼女のそばをすっと通り過ぎ…。
「わぁ…彩菜さんって、やっぱりスタイルがいいです。すらっとしていらっしゃいますのに胸も大きいですし、羨ましいですわ」
「…って、な、何を言っているのっ?」
 あまりに不意な言葉に、少し顔が赤くなってしまったのが解った。
「何って、本当のことですわ…では、行きましょう?」
 思わず反応してしまったために、更衣室へやってきた他の生徒と入れ違うかたちで結局一緒に外へ出ることになってしまった。
 けれど、今のは反応しても仕方ないでしょう…全く、どこを見ているのよ。
 それに、人を羨ましがるほど、この子のスタイルは悪くないし…と、私もどこを見ているの?
「…どうか、なさいましたか? お顔が少し赤いみたいですけれど…」
「な、何でもないわ」
 貴女がおかしなことを言うからでしょう、全く…。


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