―ここは、私立明翠女学園。
 小さな町にあるその学校はとても広い敷地を持ち、また敷地中に植えられた桜の木は千本以上であり春になると見事な光景となる。
 元は明治期に華族の令嬢への教育を行うために設立された歴史ある学校で、現在でも小中高一貫型の名門女子校として名高い。
 お嬢さま学校としても有名で、学力もトップレベルだから入学するのはとても狭き門となっている。
 私、草鹿彩菜は、そこの高等部二年生。
 だいたいの生徒は初等部からずっと通っている子だけれど、私は高等部からの途中入学。
 別にお嬢さまというわけでもなく、むしろどちらかといえば貧しい家庭に育った私がその様な学校へ入ったいきさつは、簡単に言えばお金がないから、という一見矛盾した理由だからになるのかしら。
「では、ただいまより第二学期の始業式を執り行います」
 そんな私が、二学期のはじまりの日に学園の中心にある大きな講堂へ集った初等部から高等部までの全校生徒を前にして、壇上で司会をしている。
 今の私は、高等部生徒会の副会長。
 学力の面でいえば、学費等免除の基準を満たす学年四位以内をずっと維持しているので生徒会役員としても申し分ないのかもしれないけれど、お嬢さま学校であるここにおいて私は…。
 ともかく、これは自ら望んでついた地位ではないけれど、入学した後は成績維持以外に特にはっきりとした目的も見つけられていない学園生活、このくらいの仕事ならばしてもよいかしら、と思っているわ。

 始業式も滞りなく終わって、そこから各自の教室へ戻ってホームルーム。
 講堂から各校舎までは少し距離があり、並木道を歩いていくことになる。
「夏休み、貴女はどう過ごされましたの?」「暑いのは苦手ですから、ずっと別荘のほうで静養しておりましたわ」
「久し振りにお会いしたのですし、どうです、放課後は一緒にショッピングなど」「あ、ごめんなさい、今日からさっそく部活があって…夏休みにずっと海外にいてお休みした分、頑張らないと」
 まだ夏の日差しが照りつける中、みんなは仲のいい子たちとつい先日までの思い出話などをしているけれど、私は一人で歩いていく。
 南雲さんも他の子と話しているし、あえて私に声をかけてくる人なんていない…ま、いつものことね。
 少し歩くと並木道の先に高等部の校舎が見えてくる。
 歴史を感じさせる木造三階建ての校舎で、二年生の教室は二階、そして私のクラスは二組あるうちの一組だ。
「皆さん、夏休みは元気に過ごせましたか? 事故などの報告も受けていませんし、こうしてまた皆さんの無事な姿を見ることができて、嬉しいです」
 教室にクラスメイト全員が戻って席についたところで教壇に立って、微笑みを浮かべ穏やかに声をあげる一人の女の人。
 長めの黒髪をきれいに切り揃え、清楚な雰囲気を漂わせまさに深窓の令嬢といった趣のその人、見た感じ私たちと同い年くらいに見えてまた大和撫子という言葉がぴったりに感じられるのだけれど…。
「アヤフィール先生は夏休みにお国に帰ったりしたんですか?」
「いえ、わたくしは日本で過ごしました。日本の四季というものを、この身で一年間感じ続けてみたいですから」
 生徒の質問に答えている様にその人は担任の先生、それに年齢は三十歳を越えているらしいし、さらに名前のアヤフィール・シェリーウェルから解るとおり日本人じゃない。
 今年からこの学園へやってきたかたで、どういう経緯でここの教師となったかは解らないけれど、あんなに若々しくてしかも和風美人なのだから、すごいわね。
「毎日を楽しく過ごすことも大切ですけれど、学生の本分は勉学です。学校を卒業すると勉強をしたいと思ってもなかなか時間が取れなくなるのが実情ですし、ですからこれから提出していただく夏休みの宿題も、きっと皆さんの将来への糧の一つとなると思います」
 う〜ん、先生の言うことはもっともなのだけれど、人の宿題を夏休み最後の半日で丸写しする人は例外でしょう。
「彩菜、宿題写させてもらってありがとね」
 そう、初日だからはやく迎えた放課後、そんなふうに声をかけてくる南雲さんみたいな人は。
「…次からは自分でしなさい?」
「うん、解った解った」
 本当に解っているのか疑問な返事ね。
「それで、他に何か?」
「うん、今日って会合午後からあったよね?」
「ええ、そうね。それがどうかしたの?」
「やっぱりその前にお昼ごはんを済まさなきゃいけないし、一緒に学食行かない?」
「遠慮しておくわ」
 即答する。
「うっ、は、はやいね…どうして?」
「食事…昼食くらい、一人で静かに食べさせてもらいたいわ」
「もう、相変わらずつれないなぁ。じゃ、また後でね?」
 比較的簡単に諦めて立ち去ってくれたから一安心。
 もちろん一人で食事をしたいというのも理由の一つだけれど、それ以上に彼女と一緒に食事をするとこちらの食欲がなくなるから、できれば避けたい。
 冷たいと思われようが、こればかりは…ね。

 教室には冷房が効いていたから、廊下へ出ると一気に暑さが襲ってきた。
 そんな中を、私は渡り廊下を通って音楽室などのある、特別棟と呼ばれるこちらはコンクリート製の近代的な建物の校舎を抜け、さらに先の建物へ向かった。
 その建物は学食となっていて、生徒たちはそこで食事をするかお弁当を自分で持ってくるか、昼食はそのどちらかを選べる…と、もちろん食べないなどの選択肢もないことはないけれど、お勧めはできないわ。
 ともあれ、南側にある池を一望できる様に景観の工夫された学食は内装も明るいながら落ち着いた雰囲気で、席が多めなのを除けば一般のレストランなどと変わらない感じ。
 席はだいたい二百席くらいだったかしら…高等部の全生徒と教師を合わせると約二百五十人だから全員は入らないけれど、学食で食事を取らない人もいるからそれで十分。
 今日は午後からの授業もないから学食で食事を取る生徒も少なく、かなり閑散とした感じ。
 なので普段は結構豊富なメニューも今日はかなり減らされてしまっている…いつもは端で行われているパンの販売もない。
 ま、私はいつもAランチだから特に問題なく、周囲に誰もいない席について…会合まで時間はたっぷりあるし、のんびりと食事をしましょう。
 お嬢さまがたの舌を納得させるために質のよい食材を常に使っているという料理をゆっくり取っていく…。
「あら、草鹿さん、お食事ですか? わたくしも、ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか?」
 と、半分くらい食べたところで誰かが声をかけてきた。
「は、はい、構いませんけれど…」
 普通なら断るところなのだけれど、そんな返事をしてしまう。
「ありがとうございます。では、こちらへかけさせていただきますね」
 優雅な身のこなしで向かい側の席についたのは、私のクラスの担任であるアヤフィール先生…さすがに先生の申し出は断れないわ。
「こんなに暑い日は、やはりそうめんがいいですね…いただきます」
 先生と食事を同席するのはこれがはじめてだけど…う〜ん。
「…あら? どうか、なさいましたか?」
「い、いえ、何でも…」
 …いけない、ついついじっと見てしまったわ。
 けれど、先生がそうめんを食べる仕草が優雅なのはともかく、あの箸の使いっぷりは並の日本人よりも上手で、やっぱり日本人にしか見えないわ。
 それにしても、先生はどうして私と食事を…何だか気まずいのだけれど。
「草鹿さんは、夏休みにはどこかへ行きましたか?」
 口を開いたのは先生…相変わらずの穏やかな物腰で世間話を振ってくる。
「いえ、特には…ずっと学生寮のほうにいましたし」
「まぁ…帰省などはなされなかったのですか?」
 普通はそうするわよね、って私も思うけれど、それでも私以外にも数人の生徒が学生寮に残っていたわね。
「はい…私にはもう両親もいませんし、帰る場所がありませんから」
 さらに祖父母もいないしその他の親類とも疎遠なのだから、これはいよいよそんなところ。
 学生寮に残っていた人も、それぞれ事情があるのでしょうね。
「そう、でしたか…では、お身内のかたは、もうどなたも…?」
 一瞬脳裏をよぎるのはあの子の笑顔…だけれど、すぐに思い直す。
 少なくとも、よほどのことをしない限り二度と会えないのだから…小さくうなずくと、さすがの先生も少し深刻そうな表情をして黙ってしまった。
「いえ、別にそれほど深刻なわけではありませんよ? 現に、今こうして生活できていますし」
 同情などは嫌なのでそう言うけど、実際今の私の言葉は間違っていない。
 卒業するまでの生活も、成績を落とさない限りは保障されているのだから…その分、勉強に手を抜くことはできないわけだけれども。
「そう、ですか…では、この学園生活でよいご友人を作ってくださいね」
 ずいぶん唐突な言葉ね…。
「人は一人では生きていけません…支えあえる素晴らしい、生涯の友をここで見つけられることを、願っております」
 …それは余計なお世話。
 私のことを思って言ってくれているのは解るのだけれど、それでもそう思ってしまった。
 そんな人、できるわけがないのだから…。
「あとは…草鹿さんの、進路志望でしょうか。一学期の調査では未定となっておりましたし、心配です」
「…うっ」
 それを言われると、弱いわ…。
「本当に、何も決まっていないのですか?」
「は、はぁ、まぁ…」
 大学へ行くのは、お金の面でちょっと考えてしまうのよね…母の残してくれたお金は、やはり使いたくないし。
 それに…将来、私は何をしたいのか、全く思い浮かばないのよね。
「何となく、という理由で大学へ行くことはしたくない…そう悩む草鹿さんの姿勢は、好ましいものだと思います」
 …そうかしら?
「では…草鹿さんの好きなもの、それを目標にしてはいかがでしょう。叶わない夢と自分で壁を作ってしまっていても、それは努力次第ですし、目指すものがあるのとないだけでも、大きく違うものですよ」
 私の好きなもの、か…それすらない気がするから、結局「未定」になったのよね。
「今すぐに答えを出さなければならないものでもありませんから、ゆっくりと考えてみてください。では、ごちそうさまでした…また、ご一緒いたしましょう」
 いつの間にか食事を終えていた先生はそう言って席を立った。


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