翌日の放課後、私はまた長めの石段を上っていた。
 昨日のあの出来事は本当にはずかしくって、ずいぶん取り乱してしまったけれど…よく考えなくっても、普通ならあんなひと気のない森の中に人がいるはずがない。
 そう、昨日のあれは幻だったのではないかと思えて…それに万が一幻でなくても、あんな場所に連日いるなんてあり得ないでしょう。
 だとしたらやっぱり人のいないあの場所、というのは魅力的で…私の足はそこへ向かっていた。
 石段を上り切り、小さな社の境内へと…。
「…あっ、よかった、今日もきてくれたんや。うち、どうしてもまたあなたの歌を聴きたくって…ええかな?」
 境内へ足を踏み入れたところで、社殿の端に腰かけていた人がばっと立ち上がり、こちらへ駆け寄ってそんなことを言ってきたの。
「えっ、そ、そんな、どうして…」
 あまりに不意なことに、昨日と同様に固まってしまった。
「どうしてって、あなたの歌がすっごい素敵やったから」
 笑顔でそんなことを言うのは、私と同じくらいの年齢の、でも私とは正反対で明るい雰囲気をまとった少女…間違いなく、昨日森の中にいた女の子だった。
「そ、そんなこと、ない…だ、だいたい、貴女、どうしてこんなとこに…」
 まさか、昨日のあれが幻じゃなかったなんて…。
 その幻でない少女が言うには、昨日たまたま町外れを散歩していたら、ここへ通じる石段を上る私の姿が目に留まり、気になってついてきたというの。
「そんな、あんなところを散歩だなんて、おかしくない?」
「う〜ん、そうかなぁ…じゃああなたは昨日どうしてこんなとこにきたん?」
「それは…さ、散歩してて見つけたから」
「な〜んや、うちと一緒やなぁ」
 お、おかしな偶然が重なってしまった、ということなのかしら…。
「と、とにかく貴女…」
「あっ、うちは天羽美月っていうんや。あなたのお名前は?」
「わ、私は彩菜だけど、とにかく歌うことなんてできないのっ」
「えぇ〜、どうしてよ?」
「そ、そんなの、恥ずかしいからに決まってるじゃないっ」
 妹以外の人にまともに聴いてもらったことなんてないし、それに最近はまともに歌ったことなんてなかったんだから…!
「恥ずかしがらへんでもええのに…昨日のあやちゃんの歌声、ほんまに素敵やったで?」
「だ、だから、そんなこと…って、あ、あやちゃん?」
「うん、彩菜ってお名前やからあやちゃん。何かおかしかった?」
「い、いえ…」
 今までそんなふうに呼ばれたことなんてなかったから、少し戸惑ってしまった。
「なぁ、あやちゃん、お願いっ。今日ここにきたんも、あやちゃんに会いたかったからやし…会えたんは嬉しいけど、やっぱり歌を聴かせてもらいたいなぁ」
 わ、私に会いたかったなんて、どんな理由であれ、そんなことはじめて言われた気がする。
 しかも、そんなまぶしい笑顔で見つめてこないでよ…。
「…わ、解ったわよ、もうっ」
「わぁ…ありがと、あやちゃんっ」
 何だか断りづらくってうなずいてしまったけど、そんなに嬉しそうにされると…緊張する。
「で、でも、今日だけなんだから…あと、歌うのは森の中でねっ」
 こんな恥ずかしい思いをするのは、今日だけでたくさんよ。

 季節はいつしか晩秋を過ぎ、冬へ入っていた。
 当然それにつれて気温も下がって、外はさすがに寒さを強く感じる。
「…っと、ふぅ。今日はこんなとこかしら」
 そんな午後のひととき、私はあの森の中で歌を歌い終えて一息ついた。
 確かに森の中の空気は冷たい…けれど、私はそれほど寒さを感じていなかった。
「わぁ、あやちゃん、お疲れ様。今日も素敵な歌声、ほんまにありがとっ」
 歌い終えた私へ拍手とともに声をかけてくるのは、私の少し前に立ちこちらを見つめる少女、天羽美月さん。
「も、もう、そんなこと…」
 恥ずかしさで顔が赤く染まってしまうのが解る…寒さをあまり感じないのは、そういうこともあり歌を歌っていたこともあり、まぁ色々。
 そう、私と美月さんはあの日以来ほぼ毎日この森へやってきて、午後のひとときをこうして一緒に過ごしていた。
 あのときはあの一度きりで彼女の前で歌うのは終わりにしようと考えていたのに、不思議ね…。
「あやちゃんの歌声、日に日にさらにきれいになってってる気がするなぁ」
「そう、かな…」
 また恥ずかしいことを言われてしまった…けれど、これはちょっと自覚がある。
「だとしたら、美月さんのおかげかな」
「へ? でも、うちは何もしとらへんよ?」
「そんなことないわよ…ふふっ」
 きょとんとする彼女に、こちらは自然と笑みがこぼれた。
 妹がいなくなってから、こんなふうに笑顔になることなんて、なかったわよね…。
 私を笑顔に、あたたかい気持ちにしてくれるのは、美月さん…その彼女に聴いてもらおうって思うと、歌うにも特別な気持ちになる。
 美月さんと出会えたことで、私の心は大きく変わった気がする。
「ありがとう、美月さん」
「…へ? お礼なんて、歌を聴かせてもらっとるうちが言うことや思うんやけど…」
 そんなことないわ、歌だって美月さんが喜んでくれるなら、いくらでも…むしろ聴いてくれていることにお礼を言いたいもの。
「うちも、あやちゃんの歌に合わせて何か演奏できる様になろうかなぁ? 一緒に何かできたら、とっても素敵やし…あやちゃんはどう思う?」
 と、そんなことを訊ねられたけれど…誰かの演奏と、か。
「そうね…その気持ちだけでも嬉しいけれど、そうなったらもっと嬉しいかも」
 妹のピアノに合わせて歌っていたとき、大切な人との一体感を覚えた…美月さんともそんな感覚を共有できるならば、確かにとっても素敵なこと。
 でも、本当のことを言うならば、私は…美月さんがそばにいること、それだけで十分嬉しい。
 そう、私は…自分の気持ちに気付いていた。
 美月さんに惹かれるこの気持ちは、恋…私は、美月さんに恋をしてしまっているの。
 女の子である彼女のことを好きになるなんて、おかしいかもしれない…いえ、おかしいのよね。
 でも、この気持ちは間違いなく、私の初恋…。
「ん〜、あやちゃん、どしたんよ〜?」
「えっ、な、何でもないわっ?」
 …この気持ち、彼女へ伝えることなんてできない。
 だって、女の子を好きになるなんて変でしょうし、そんなことが知れたら…今のこの幸せが、一緒にいられる関係が、崩れてしまいそう。
 私はもう、大切な人と離れ離れになるなんて嫌…だから、この想いは伝えるどころか、絶対に隠し通さなければいけないわ。


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