第7.5章

「夏梛ちゃん、もうすぐ着くよ」
 ―すっかり秋めいた日、私と夏梛ちゃんはお仕事のために電車に乗って移動していたんですけど、外の景色を眺めながら隣に座る彼女へそう声をかけます。
「それは楽しみ楽しみです」
「うん、私も楽しみ」
 お互いに微笑みあっちゃいますけど、私たちがそんな気持ちになっているのは、これから向かう場所が私にとって特別な場所だから。
 いつかは夏梛ちゃんと一緒に、とは思っていましたけれど、こんなにはやく、しかもお仕事関係で行くことになるなんて、ちょっと予想していませんでした。

「わぁわぁ、ここが麻美が生まれ育った町ですか…きれいなきれいなところです」
 日も傾きかけた頃、目的地の駅へ着きまして私たちは電車を降りたのですけれど、駅を出たところで夏梛ちゃんがそんな声をあげます。
 私たちがやってきましたのは、山あいにありますあまり大きくない町…駅前も私たちが今暮らしている町に較べますとずっと小規模ですけれど、でも夏梛ちゃんの言うとおり小ぎれいな印象を受けます。
「やっぱりやっぱり、麻美は懐かしくなります?」
「うん、それはやっぱり…つい半年ちょっと前まで、ずっと暮らしてきた町だから」
 そう、この町は私にとってそういう場所…声優になってから事務所のあるあの町へ引っ越しましたけれど、それまではずっとここで過ごしてきました。
 駅前はこちらにいた頃にもほとんど足を運びませんでしたからあまりそういう気持ちには…とも思っていたのですけれど、やっぱり空気などからなのでしょうか、懐かしく感じられちゃいます。
「それでそれで、ここからどうします?」
 う〜ん、本当でしたら私の通っていた学校などを彼女に案内をしてあげたいところ…なんですけど。
「もう夕方だし、それに明日のためにゆっくりお休みしたほうがいいと思うから、私の実家に行こっか」
「ですです、解りました、そうしましょう」
 私たちは遊んだりするためにきたわけじゃなくって、お仕事でここへきたんですから、仕方ないですよね。
 でも、私の実家に夏梛ちゃんがきてくれる…それだけでも嬉しいものですし、どきどきもしちゃいます。

 駅から私の実家まではそれほど距離もないことから、二人手を繋いでのんびり歩いて。
 静かな町ですけど表通りを歩くことになりますから少なからず人通りはありまして、やっぱり夏梛ちゃんが目を惹いていた気がします。
「わぁ…わぁ、ここが麻美のご実家ですか…。やっぱりやっぱり、大きな大きなお屋敷です」
 そうして私の実家の玄関先にまでやってきたわけですけれど、夏梛ちゃんが少しため息をついちゃいました。
 う〜ん、このあたりでは普通の大きさのお家なんですけど、でも一人で暮らす分にはちょっと…ううん、かなり大きすぎるでしょうか。
「じゃ、中に入ろっか」
「…ま、待って待ってください」
 玄関の鍵を開けて扉を開こうとしますけれど、夏梛ちゃんが止めてきました?
「えっ、夏梛ちゃん、どうしたの?」
「え、えとえと、麻美のご実家だって思うと、緊張緊張しちゃいまして…」
 そう言って深呼吸をする夏梛ちゃんはかわいいですけど、気持ちは解ります。
 私だって、まだ一度も行ったことのない夏梛ちゃんのご実家へはじめて行く、ってなりましたらとっても緊張するって思いますから。
 でも、私がそうなる場合と今回とでは、決定的に違うところがあります。
「大丈夫だよ、夏梛ちゃん。お家には誰もいないから」
「あれあれっ、そうなんでしたっけ?」
「うん、だから安心して中に入って?」
 そう、夏梛ちゃんはご実家でご両親と暮らしているっていいますからそこへ行くとなるととっても緊張しますけど、私の実家はそういう状態ですから大丈夫です。
「わ、解りました…」
 夏梛ちゃんもうなずいてくれましたから、改めて扉を開くのでした。

「ただいま…それに夏梛ちゃん、いらっしゃいませ」
「え、えとえと、お邪魔します…」
 久しぶりになる実家…懐かしくなりながら、夏梛ちゃんを迎え入れます。
「やっぱりやっぱり、立派な立派なお屋敷です…けど、誰も誰もいないっていう割にはずいぶんずいぶんきれいです。麻美、もしかしてもしかして私を迎え入れるために一度帰ってきてお掃除とかでもしたんです?」
 中へ入って、あたりを見回しながら夏梛ちゃんがそう言いますけれど、彼女の言葉どおりお家の中はきれいに保たれていました。
「わざわざそんな大変大変なことをするんでしたら、いくらいくらこの町でのお仕事だからっていっても、別の別のところに泊まればよかったのに」
 続けての彼女の言葉どおり、今日私たちがここにきたのは、実家にくるのが目的でしたわけではなくって、たまたまこの町でお仕事がありますのでそれならここに泊まれば、というわけなのでした。
「ううん、私は半年くらい前に引っ越してきて以来、今日がはじめて帰ってきたことになるよ」
「あれあれっ、そうなんです? じゃあどうしてどうして…」
「うん、私がいない間は管理人さんがいてくれて、お掃除とかしてくれてるから」
「…えっ、か、管理人さんです?」
 あれっ、夏梛ちゃんが少し固まっちゃいました。
「あっ、大丈夫だよ。毎日いるってわけじゃないし、それに今日…私が帰ってきてる間は空けてもらう様にしてるから」
 ですから、お家では私たち二人っきりになれる、というわけです。
「そ、そうなんですか…でもでも、お家にわざわざそんなそんな人がいたりするなんて、やっぱりやっぱり…」
 あれっ、夏梛ちゃんの反応が何だか微妙な感じ…あっ。
「う〜ん、そうだよね、本当はこういうことしてるのってあんまりよくないことだし、私もはやく何とかしたいとは思ってるんだけど…」
「…えとえと?」
 あれっ、今度は戸惑われちゃいました?
「夏梛ちゃん、どうしたの?」
「いえ、麻美が何を何を言っているのかよく解らないんですけど…」
「えっと、声優として得てる収入以外のお金でお家に管理人さんを置いていたりするのがよくない、って言われたかと思ったんだけど…違ったの?」
「私はただそんなそんな人がいたりするなんてやっぱりやっぱり麻美はお嬢さまなんですね、って感じただけです」
「そ、そうなんだ…そんなこと、ないと思うんだけど…」
「そんなそんなことあります。それにそれに、声優の収入以外のお金でも麻美が使って使っていいお金なんですから、よくないよくないとか思いませんよ?」
 こんなに私のことを気遣ってくれて、夏梛ちゃんはとってもやさしいです。
「ありがと、夏梛ちゃん。でも、私のお仕事は声優で、それにこれからもずっとこのお仕事を続けていきたいから、やっぱりお金もこのお仕事での収入だけでやっていける様になりたいの」
 そうじゃないお金は私の実力で得たものじゃないですからね…。
「う〜んう〜ん、この間もそんなそんなこと言ってた気がしますけど、麻美は真面目真面目ですね…あんまりあんまり無理はしないでくださいね?」
「うん、ありがと、夏梛ちゃん」
「…むぎゅっ!? あ、麻美ったら…あぅあぅ」
 また私のことを気遣ってくれたことが嬉しくって、思わず彼女のことをぎゅってしちゃいました。
 うん、夏梛ちゃんに心配をかけない様に、そして声優としての収入だけでちゃんと全部のことができる様に頑張らなきゃ。

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