夏梛ちゃんと私が声優としてのデビューを果たした作品『Candy panic!』は、元々私たちの所属する事務所とは深い縁がありました。
 主演の声優さんを公募したオーディションが行われたのも事務所でしたし、そこからデビューを果たした夏梛ちゃんや私もそのまま事務所の所属となって今に至っていますから。
 そうした深い関係、そして私が所属しているということもあって、webラジオの収録は事務所内にあるスタジオで行われることになりました。
「えっと、それでは、よろしくお願いいたします」
 収録当日、いらしたスタッフさんたちに挨拶…マネージャの如月さんは夏梛ちゃんについていっていませんけれど、こちらはあくまで事務所での収録ですからね…。
 その夏梛ちゃんはまた東京でのお仕事なんですけど、今日の午後には帰ってきてそのままデートをする約束…もうすぐまた会えますし、楽しみです。
 その前に、このお仕事をしっかり頑張らなきゃ…そう意気込んでスタジオのブース内に入りますけれど、事務所内ということでさすがに新鮮さはないものの同時に過度の緊張もしなくってすむかも。
 そのスタジオは、事務所にいくつかあるものの中で一番小さなところ…ブース内にはマイクの設置された小さなテーブルと椅子が一つあるくらい。
 出演するのは私だけなのですから、これでちょうどいいくらいなわけで…ゆっくり椅子へ腰かけます。
 テーブルの上へ目をやると、マイクの他には水と台本が一冊、あと…雰囲気を出すためか、あのゲームと攻略本まで置いてありました。
 台本については、実はまだ目を通せていなくって、本番になってから開く様になんて言われています。
 しかもリハーサルの類もなくって、軽い打ち合わせをしただけ…ちょっと、不安が高まってきちゃったかも。
「…ううん、きっと大丈夫です」
 そう、台本はこうして用意してあるんですし、生放送っていうわけでもないんですから、落ち着いてすれば…大きく深呼吸をして気持ちを落ち着けます。
 そうこうしているうちに、外のスタッフさんから本番の合図が出てきまして…いよいよです。
「…『Candy panic!』のwebラジオ、『きゃんぱにらじお』はじまります」
 まずは導入部…ここと自己紹介は自分なりでやってください、と言われていましたけれど、どうだったかな。
 もう少し工夫したほうがよかったかもしれませんけれど、第一回なのですし、まずはこんなところですよね。
「ついにはじまりました記念すべき第一回めの放送、聴いてくださって本当にありがとうございます」
 言葉遣いは敬語で…いえ、普段の私も夏梛ちゃん以外の人へはそうなっていますけど、それだけが理由じゃありません。
「お送りするのは、作中で桃井綾子役をさせていただいています、石川麻美です。この作品でデビューしてそれにまだ間もない未熟者ですけれど、よろしくお願いします」
 そう、あくまでこの作品に役があるから選ばれたわけなんですから、なるべくその役…綾子さんに近い雰囲気でしゃべらなくっちゃ。
 もっとも、夏梛ちゃんの話だと綾子さんは夏梛ちゃん以外の人と接する際の私とほとんど変わらないそうですから、そう意識しすぎなくってもいいのかもしれませんけれど…。
「サブキャラの綾子さん役の私が進行役だなんてちょっとおこがましいかもしれませんけれど、私自身もびっくりしていますから、どうか許してあげてくださいね」
 うん、夏のイベントで突然発表されたときには本当にびっくりしちゃいました…。
「この『きゃんぱにらじお』は毎週水曜日に放送されます。色々な企画を用意していますから、楽しみにしていてくださいね」
 この収録の数日後に公開、というかたちになるわけですけれど、収録のほうはきちんと一回一回分けて行われます。
 私が選ばれたのって、やっぱりあの作品に出演している声優さんの中で一番予定が空いていたから、だったりするのかな…と、自己紹介はこのくらいでいいですよね。
「では、記念すべき第一回放送のはじめの企画をお送りしていきましょう」
 紙の音が聞こえない様に台本を開いて…って?
「…えっ、あ、あの? こ、これって…」
 台本の中を見て、私…頭の中が真っ白になっちゃいました。
 もう、どうすればいいのか解らなくって、ガラス越しにブースの外にいるスタッフさんたちへ目をやりますけれど、先へ進める様に促されるだけ…。
「は、はぅ、で、では、まずは…」
 何とか進行をしようと、黙っていてはいけないって声を出しますけれど、おろおろと情けない声しか出ないのでした…。

「え、えと、お疲れさまでした…それに、申し訳ありませんでした…」
 収録が終わり、深々と頭を下げてスタジオを後にする私…もう、泣いてしまいそうです。
「あっ、麻美ちゃん、お疲れさま」
 実際、しばらく扉の前でうつむいてしまっていたのですけれど、こちらへかかってくる声にはっと顔を上げます。
「そっか、ラジオの収録してたんだっけ。はじめてのラジオ、どうだった…なんて、私はまだラジオに出たことなんてないんだけどね。サクサクサク…」
 こちらへ歩み寄りながら明るい声をかけて、そしていつもどおりお菓子を食べている女のかた…。
「あ、えと、山城さん…」
 はぅ、いけません、まだ…言葉が上手く出てきません。
「もう、私のことはセンパイ、って呼んで…って、麻美ちゃん? ちょっと震えてるみたいだけど、収録で何かあったの?」
 そんな私の様子に気づいて、心配げな声をかけられますけれど…い、いけません。
「い、いえ、何でも…私は、大丈夫ですから…。し、失礼します…っ」
「えっ、ちょっ、麻美ちゃんっ?」
 ぺこりと頭を下げ、そのまま逃げるかの様にその場を後にしちゃいました。
 山城さんを戸惑わせることになってしまいましたけれど、ごめんなさい…でも、あのまま心配され続けたりするよりはいいはず、ですよね…。
 だって、私は…自分のふがいなさ、情けなさに悲しくなっているだけですから、それで他の人に心配してもらうなんて、いけないことですから…。

 今日は午後から、東京から帰ってきたばかりの夏梛ちゃんとデートの約束があります。
 普段でしたらもうとっても嬉しくってたまらないところなんですけど、今の…逃げるかの様に事務所を後にしてしまった私の気持ちは複雑です。
 だって、あの子はラジオ収録を頑張ったご褒美にとあんなことを提案してくれたのだと思いますけれど、私は…頑張れなかったのですから。
 そんな私と、帰ってきたばかりで疲れているはずのあの子がデートなんてしてもいいのかな、とすら思えてしまって、遠慮のお電話かメールをしようかとも考えてしまいました。
 迷い迷ってかなり遠回りをして歩いていましたけれど、でもそれでも最終的には待ち合わせ場所である公園の入口前にまでやってきちゃいました。
 やっぱり、夏梛ちゃんには会いたいよ…理由はともあれ、彼女のほうから誘ってくれたんですから、なおさらです。
 おかしな心配をかけない様に、何とかいつもと同じ態度で…。
「…うん、行きましょう」
 大きく深呼吸をして気持ちを落ち着け、公園内へ足を踏み入れました。


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