翌日、夏梛ちゃんは先日同様如月さんと一緒にイベント会場へ行っちゃいました。
 私は一人、ホテルで待機…ここじゃ練習はできませんし、東京のどこかへお出かけなんていうのも、あの子がお仕事を頑張っている中でそんな気持ちにはなれません。
 こうなると、やっぱりファンとして彼女のところへ行きたくなるんですけど、昨日、それに今日も強く止められちゃいました。
 何だか、私じゃ迷子になっちゃうとか、見たくないものまで見かねないとか、何より人ごみが激しすぎるとか…。
「私のこと、心配してくれてるんですよね…」
 それはとっても嬉しいことですし、実際私は人ごみが苦手…というより、そんなたくさんの人がいる中へ入ったことがありません。
 でも、迷子になるなんて、昨日の場所はきちんと覚えていて今日の彼女がいるお店の場所も確認しましたし、それに案内図を見れば大丈夫なはず…それに、私だってゲームやアニメが好きなこともあってこの世界に入ったんですし、見ないほうがいいというのもよく解りません。
「うん…やっぱり、夏梛ちゃんのところへ行ってみよう」
 そう決めましたら、さっそく服を着替えたりして準備を整えて、出発です。

「…や、やっぱり、やめておいたほうがいいのかな…?」
 勢い勇んで出発した私でしたけれど、会場の入口付近にたどり着いた頃にはもうそんな弱気になってしまっていました。
 もうすでに開場の時間は過ぎているはずなのに、入口まで長い行列が、この暑い中続いていて…その光景を見ただけで、少し気が遠くなってしまいます。
 昨日は関係者用の出入口を使いましたから、一般のお客さんが入るのにこんなに並ばなきゃいけないなんて…昨日の会場の様子は解っていましたけれど、それでもちょっと予想できてませんでした。
 これは、行きかたが解らないからってタクシーを使っちゃってよかったのかも…電車とかだったら、やっぱりとっても混んでいそうですし。
 うん、それはよかったんですけど…ど、どうしよう。
 夏梛ちゃんが止めてきたのも解るほどの、ちょっと恐怖を覚えるほどの人の数…あの子に会うためには、あの中に入らなきゃいけないんです、よね…。
「…う、うん、行きましょう」
 せっかくここまできたんですから…大きく深呼吸をして気持ちを落ち着け、思い切って人の波に入ってみることにしました。
 行列は会場の入り口よりもかなり前から続いてまして当然建物の外なわけで、真夏の日差しが照りつけてきます。
 当然とっても暑くってまぶしいですし、日傘を差したくなっちゃいますけどこんなたくさん人のいる中ではご迷惑になりますしさすがに差せません…麦わら帽子をかぶってきたのは正解でした。
 ただ、麦わら帽子に白いワンピースといった私の服装、他の皆さんを見てみますと相当浮いている様にも見えてしまいます…男の人の姿のほうが多そうですけれど、それにしてもです。
 でも、私にとって真夏の外出着はこれなんですし、それに何ていっても私はとっても目立たないという特技といってもいいものを持っているんですから、大丈夫です…きっと。
 …夏梛ちゃん、私…絶対会いに行くから、待っててね。

「は、はぅ、どうしよう…」
 あの子の言葉を無視してイベント会場へやってきて、そして入口の行列はくぐり抜けた私なんですけど…会場の片隅で、途方に暮れてしまっていました。
 会場へ入れたのはいいのですけれど、人の波に流され、それで自分がどこにいるのか解らなくなっちゃったうえ、人ごみにもまれるというはじめての経験で知らない、しかも男の人などに押されたり触れられたりするのが怖くって、思わず端の空いたスペースへ逃げ込んでしまいました。
 しかも、売っているものへ目を向けると、中にはちょっと、すぐ目を背けちゃう様なものまで見られちゃって、恐怖心がさらに大きくなってきちゃいます。
 夏梛ちゃんが私に見せたくないと言っていたのはきっとそれのことですし、人ごみが怖いとか迷子になっちゃったとか、全部あの子が心配したとおりになっちゃいました。
「うぅ、ごめんね、夏梛ちゃん…」
 こんなことになっちゃったのも、彼女の言葉を無視した私のせい…ダメな子ですよね、私って。
 こんな私じゃとてもあの子のところまでたどり着けそうもありませんし、このままイベントが終わるまでここでじっとしてたほうがいいのかな…。
「あれっ、そこにいるのって…あ、アサミーナさんですかっ?」
 と、会場の端でしゅんとしちゃってますと、そんな声とともに誰かが私の前へ駆け寄ってきました…?
「わわっ、や、やっぱりアサミーナさんだ…こ、こんなところで会えるなんて、ぐ、偶然ですねっ」
 少し緊張した様子で声をかけてきたのは、私よりも少し背の低い、長めの髪をツインテールにした、でもどことなくかっこいい顔立ちをした女の子だったんですけど、あの独特の呼び名といい、この子には見覚えがあります。
「え、えと、貴女は…昨日、夏梛ちゃんと私のCDを買ってくれた…?」
「は、はひっ、お、覚えていてくださって光栄ですっ」
「そんな、私のファンだなんて言ってくれた人のことを忘れるわけありません」
「はわわっ、あ、ありがとうございますっ」
 そう、目の前に現れた子は昨日の、私のファンだと言ってくれた子でした。
 その子はものすごく感激した、でも同時にとっても緊張した様子でもあって、これって私に会えたから、なんですよね…。
 声優やアイドルは皆さんに夢をあげるお仕事、といつか夏梛ちゃんが言っていましたけれど、この子を見ていると確かにそう思えます…今まであまりそういう自覚はなかったんですけど、頑張らなきゃ。
「あの、それで、アサミーナさんはこんなところで何をしてるんですか? 今日も何かのイベントっぽい服装ですけど…」
「えっ、えと、これは別に、そういう服装じゃないんですけど…お、おかしいですか?」
「はひっ、そ、そんなことないです、とっても素敵ですっ。ただ、この場にはあんまり似つかわしくない様な…あわわ、何でもないですっ」
 はぅ、やっぱりこの服装って浮いてしまっていたんですね…。
「そ、そのっ、アサミーナさんって今日は何かイベントに出られるんでしたっけ…? 私は把握してないんですけど…」
 しゅんとしかけた私を気遣ってか、その子は慌てて話題を変えました。
「あっ、いえ、今日は何もありませんけど…私の予定をチェックしてくれていたんですか? その、ありがとうございます」
「わわっ、お、お礼なんてもったいないです…けど、それじゃアサミーナさんも同人誌を買いにきたんですか?」
 そういうその子の手には同人誌が入っていると思われる紙袋が握られていて、彼女はその目的できたみたい…なんて、ここにいる人はきっとみんなそうですよね。
「あっ、いえ、私は夏梛ちゃんに会おうと思ったんですけど…」
「かなさまに、ですか? あっ、そういえば今日もイベント出演されてますよね」
 あっ、この子は夏梛ちゃんのことをそう呼ぶんですね…。
「うん…あっ、はい、それで、その場所まで行こうと思ったんですけど…」
「…アサミーナさん? どうしましたか?」
「えと、その…道に迷っちゃって…」
 思わず口ごもっちゃいましたけど、やっぱり口にすると恥ずかしいです…。
「はぅっ、か、かわいい…じゃなくって、そ、そうなんですかぁ」
 ほら、あの子も呆れちゃって…って、その前に何かおかしなことを言いませんでしたか?
「で、でも、こんなところにいても仕方ないですし、私、行きますね? 私のこと、応援してくださって本当にありがとうございます」
 それは空耳だということにして、ファンの前でいつまでも情けない姿は見せていられませんから、そう言って微笑みます。
 方向は解っていますから、何とか人の波に飲まれない様にして、そして二階への階段を見つけられれば何とかなるはず、ですよね。
「…ちょっ、待ってください!」
 と、一歩を踏み出そうとした私の手を、その子が掴んできました…?
「…えっ、あ、あの?」
「は、はひっ、ご、ごめんなさいっ。で、でも、その、迷ってるんでしたら、わ、私がかなさまのところまで案内しましょうか…?」
「えっ、そんな…でも、貴女にもご予定などあると思いますし、ご迷惑になりませんか?」
「そ、そんなの大丈夫ですっ。アサミーナさんのお力になれるんでしたら、とっても光栄ですからっ」
 手をぎゅっと握られながら強い口調でそう言われちゃって…ここまで言ってくださるのでしたら、断ってはかえって失礼でしょうか…。
「あの、では、お願い…」
「…ちょっと、人を行列に並ばせておきながら、あんたはこんなとこで何してんのよ?」
「…はひっ!」
 お返事しようとした瞬間、その子の背後からちょっと怒り気味の声がかかってきたものですから、その子はびくっとしちゃいました。
「人がこんな人ごみでしかも暑い中、頼み込まれたから列に並んであげたりしてあげたっていうのに、まさか別の女の子に声をかけてるとか…ちょっと、信じられないわ」
「はわわっ、こ、これは違うんですっ」
「あによ、そんな手なんか握ったりして、何が違うっていうのよ?」
「わはっ、こ、これはその…!」
 現れた人ににらまれて、あの子は慌てて私から手を離しました。
「あによ、せっかく我慢してこんなとこまできてあげたっていうのに…バカっ」
 あの子、それに私まできつい目つきでにらまれてしまってびくっとなっちゃいます。
 その人は私よりも年下なはずながら背は少し高くって、髪を大きめのリボンでツインテールにした、目つきはつり目ですけどきれいな女の子…明らかにあの子の知り合いなんですけど、この会話って友人というよりも、あれですよね…?
 私も、もし夏梛ちゃんが同じことをしていたら勘違いしてショックを受けちゃいそうですし…ここは、何とか誤解を解かなきゃ。
「あ、あの、私はそういうのじゃ全然なくって、道に迷っていたところを…」
「あによ…こほん、でもどうして手なんて握られていたんですか?」
 はぅ、口調は一応丁寧なもののにらみつけられて少し怯みそうになっちゃいますけど…ちゃんと説明しなきゃ。
「それは、私を行きたいところに案内しようと手を引いてくださっただけで…」
「そうなんですか? …あたしを置いて?」
 あの子をにらみつけちゃいました…。
「そ、そんなことはなかったと思いますけど…そ、そもそも、私には夏梛ちゃんっていう大好きな子がいて、私が行きたい場所もその子がいるところなんですから」
「…へ? 好きな子、って…しかも、女の子? あたしたちと同じ…?」
 私の言葉に固まっちゃったその人ですけど、それってやっぱり…。
「もう、そうだよ、この人、昨日のイベントで会いに行ったアサミーナさんだよ? 私の好きな声優さん、って昨日も言ったじゃないですか…もう忘れちゃったんですか?」
「え、え〜と、どうやらそうみたいね…。それでも手を握ってたりしたら複雑な気持ちになるんだけど…と、とにかく、あたしの勘違いだったみたいで、ごめんなさい」
 さらにあの子の言葉で解ってもらえたみたいで、頭を下げられてしまいます。
「あっ、い、いえ、そんな、どうか謝らないでください…!」
 うん、解ってもらえたらそれでいいですし、それに…やっぱり、この人のお気持ちもよく解りますから、なおさらです。
 そう、大好きな人が他の人と手をつないだりしていたら、そういう気持ちになって当然ですよね…。


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