第三章

 ―夏梛ちゃんが東京へ行ってしまってから、もう数日。
 私は毎日あの神社へ行って、夏梛ちゃんの無事や元気を祈りつつ、その近くの森の中でお稽古をしています。
 すでに出演が決まっていてもうすぐ収録のあるアニメのモブキャラの声もありますし、それにオーディションを受けると決めたいくつかの作品へ向けての練習、あとこれは木陰とはいっても夏場の屋外でするにはちょっと厳しいですけどユニットとしてのダンスの練習もありますし、自主練習はいくらしても十分ということはありません。
 こんな大切なことを、この間の私はさみしさにかまけてできていなくって…夏梛ちゃんと声優としてこれからも一緒に歩んでいくには、こういう日々の積み重ねをおろそかにしてはいけません。
 うん、それはもちろん解っていて、ちゃんと気合を込めて頑張っているんですけど…。
「…はぅ」
 夜、自分のお部屋に帰ってくると気が抜けちゃうことがあって…夕ごはんを食べて後片付けもし終えた後、ため息をついてベッドの上に倒れこんじゃいます。
「夏梛ちゃん…やっぱり、さみしいよ…」
 横になったまま壁へ目を向けると、そこにはかわいらしく微笑んだ夏梛ちゃん…のポスター。
 ポスターを眺めるだけじゃ足りないって感じるのは、私の贅沢、わがままなのかな…。
 でもやっぱり実物の夏梛ちゃんに会いたい…離れ離れでいますと色々心配にもなっちゃいますし、それにお話ししたり、ぎゅってしたりしたいです。
 もちろんそんなことはできなくって、切なさが胸の中に募っていっちゃいます…けれど、その全てができないってわけじゃ、ないんですよね…。
 一度身体を起こしてテーブルの上に置いてあったものを手に取り、また力なくベッドの上に倒れこんで、手にしたものを見つめます。
 それは、液晶画面に夏梛ちゃんの姿の映る携帯電話。
 私の通っていた学校は携帯電話禁止でしたこともありつい最近まで持っていなかったのですけれど、事務所に入った際に社会人として緊急のときなどに連絡の取れる様にしておいたほうがいいということで、固定電話もあるのですけれどこちらも持ったんです。
 もちろん夏梛ちゃんも持っていて、電話番号とメールアドレスは教えてもらっていますし、何かあったら連絡してください、とも言われています。
 ですから、声を聞くだけなら…そうでなくっても、言葉を伝えるだけでしたら、今すぐにでもできます。
「夏梛、ちゃん…」
 自然とボタンに指がのびそうになりますけれど…何とか思いとどめます。
「ダメ…ダメです」
 夏梛ちゃんは、自主練習の私とは違って、しっかりお仕事をしているんです。
 今はまだお仕事中かもしれませんし、そうでなくっても疲れてお休みしているかもしれないのに、そこに電話とかしちゃうなんて…いけませんよね。
 メールにしても、こんなさみしいって気持ちを伝えたりしたら、迷惑になっちゃう…。
「夏梛ちゃん…うん、私、我慢するよ…」
 彼女だって、さみしいと思ってくれているのかも…でもそれを我慢しているんですから、私も我慢しなきゃ。
「はぅ、夏梛ちゃん…」
 でもいくら我慢してもさみしいことに変わりはなくって、枕にぎゅっと顔をうずめてしまうのでした。

「いらっしゃいませ…あら、麻美ちゃん、こんにちは」
「あっ、はい、こんにちは、美亜さん」
 翌日も午前中はあの森の中でお稽古…お昼はあの喫茶店へ行きました。
「いつものと、あとお昼ごはんかしら?」
「あっ、はい、よろしくお願いします」
 お店の中はやっぱり落ち着いた雰囲気で、ゆったり席について美亜さんの淹れてくださった紅茶を飲んで一息つきます。
「麻美ちゃん、今日も練習していたのね…お疲れさま」
「いえ、そんな、私にできることをしているだけですから…」
 今日もお店には私と美亜さん以外に人の姿はなくって、お昼ごはんを運んできてくださった彼女はそのまま私の向かい側に座っています。
「それでもとっても偉いと思うわ。でも…」
 そこで言葉を切ってこちらを見つめる彼女ですけれど、表情が少し曇っています…?
「…えと、どうかしましたか?」
「ええ…麻美ちゃん、少し無理していない? 好きな子と会えないさみしさを埋めようと…」
「えっ…えと、それは…」
 そういう理由もなくは…ううん、それも結構大きくって、言葉を詰まらせちゃいました。
「やっぱり…でも、しょうがないわよね。やっとお互いの想いに気づいて正直になれたばかりだもの、少しでも長く一緒にいたい、と思うのは当然よ?」
 はぅ、そうなんです…恋人同士になれたのに、すぐに離れ離れになっちゃいましたから、よりさみしさが増してきます。
 それに、夏梛ちゃんみたいなとってもかわいい子、何かに巻き込まれたりしていないかとか色々心配にもなっちゃいますし…はぅ。
「でも、明後日には私もあちらへ向かうことになっていますから、それまでの辛抱です」
「そうね…でも、それまで麻美ちゃん、それに夏梛ちゃんももてばいいのだけれど…」
 そんなに私って無理をしている様に見えちゃうんでしょうか…って、夏梛ちゃんも?
 う〜ん、やっぱりあんまり我慢せずに、電話かメールをしてみようかな…。
「ねぇ、今から会いにいったらどうかしら?」
 と、美亜さんは私の考えよりもさらに先をいくことを言ってきました…!
「えっ、で、でも、それはさすがに…!」
「あら、無理をすることはないと思うのだけれども。麻美ちゃんは特に決まった予定はないのだし、それにどちらにしても明後日には向かうことになっているのよね?」
「そ、それはそうなんですけど、でも練習しなきゃ…」
「麻美ちゃんはこの暑い中、毎日しっかりよく頑張ったわ。少しくらいお休みしても、誰も責めないわよ?」
「そ、そうなんでしょうか…でも、夏梛ちゃんが…」
「夏梛ちゃんだってきっとさみしい想いを我慢しているって思うし、恋人さんが会いにきたのだから喜んでくれるんじゃないかしら?」
 私の思う疑問をことごとく美亜さんがつぶしていって、もう問題らしい問題がなくなっちゃいました。
 あとは、お金も大丈夫ですし、夏梛ちゃんのスケジュールも把握してますし…あれっ、もしかして、普通に行けちゃいます?
「行っても、いいのかな…夏梛ちゃんのところに」
「ええ、やっぱり想い合う子たちは少しでも一緒の時間を過ごせたほうがいいもの…行ってらっしゃい?」
 独り言の様な私の言葉に、美亜さんは優しく微笑んで…それで、私の気持ちは決まりました。


次のページへ…

ページ→1/2/3/4

物語topへ戻る