美亜さんの喫茶店を後にして、日傘を差した私は同じ町…でも閑静な住宅地とは打って変わった、波の音が届くところへやってきました。
「海、ですね…」
 この町は海沿いに面してまして、きれいな砂浜の見渡せる場所でふと足を止めました。
 ここには数ヶ月前…私がこの町で暮らしはじめてすぐの頃にもきましたけれど、三月のあの頃とは違って、今日の浜辺は夏休みということもあってたくさんの人で賑わっています。
 私は人ごみが苦手ですからあえて近づきません…けれど。
「夏梛ちゃんと一緒に海水浴できたら、とっても楽しいですよね…」
 これまでは一緒に行く人も、行きたいと思う人もいませんでしたけれど、今は違います。
 夏梛ちゃんと一緒に…あっ、まずは水着を用意しなくっちゃいけないんですよね。
 夏梛ちゃんの水着姿…。
「…はぅ、想像しただけでどきどきしちゃいます」
 …って、私はこんなことを考えるために海へやってきたんじゃありません。
「もう…夏梛ちゃんも頑張っているんですし、しっかりしなきゃ」
 気を取り直して砂浜を後にした私、その海岸のすぐそばにある神社へやってきました。
 なかなか大きなその神社は参道などもきれいでしっかり日々の手入れがされている様子…その参道をゆっくり歩いて社殿へ向かいます。
 暑さのためか人の姿がほとんど見当たりませんけれど、木々に囲まれた、それに厳かなこの場所は幾分涼しく感じられましたし、手水舎の水は冷たくて心地よいです。
「夏梛ちゃんが、毎日無事で、そして元気でいますように…」
 まずはお参り…日傘を閉じて社殿の前に立ち、そして手を合わせて強くそう願います。
 怪我や病気などなく、それに他にも何かトラブルとか絶対ない様に…夏梛ちゃん、あんなにかわいいですから、おかしな人に声をかけられたりしていないかとか、心配はつきません…。
 えと、とにかく大丈夫だって信じて、それに今の私が彼女のためにできることってまずはこうして祈ることですし、明日からも毎日ここへきてお参りしましょう。
 でも、私がここへやってきたのは、お参りをするためだけじゃありません。
「…あっ、麻美ちゃんじゃない。こんにちは」
「…えっ? あ、こ、こんにちは、朱星さん」
 と、背後から声がかかってきましたので、すこしびくっとしてしまいながら振り向くと、参道に一人の女の人の姿がありまして挨拶を交わします。
「うん、今日は一人なんだ? 夏梛ちゃんは?」
 そうたずねてくるのは、少し高めの背をした、そして明るい雰囲気と、少し山城センパイにも通じる印象のある女の人。
 彼女は朱星雀さんといってこの神社の巫女さんで、今ももちろんその装束を着ていらっしゃいますけれど、正直に言いますとあまり巫女さんっぽくないかもしれません。
「あっ、えと、夏梛ちゃんは東京のほうでお仕事があって…」
「そっかぁ、それはさみしいなぁ」
「…夏梛ちゃんがいても、抱きついたりしちゃダメですよ?」
「もう、単なる親愛の証なのに厳しいんだから。でも麻美ちゃんもかわいいし…」
「わっ、私はかわいくなんてないですし…で、ですからあんなことしないでくださいねっ?」
「ふふっ、しょうがないなぁ」
 そう、何だか人に抱きつきたがったり、あんなこと言って人をからかってきたりしますので、ちょっと軽い印象があります…あっ、でも悪い人ってわけじゃないですよ?
「この前ここであったミニライブもよかったし、いつも二人で一緒にいるかと思ってたのに、そういうわけじゃないんだ」
 朱星さんが口にしたのは、少し前にこの神社で行われた、私の所属する事務所のイベントのこと…この神社と事務所とは結構仲が深いみたいで、毎年七月にそうしたものが行われるんです。
 そして、そのイベント内にて私と夏梛ちゃんが組むユニットの初ライブが行われた、というわけです。
「は、はい、私たちはあくまで声優のほうがメインですから」
「そっか…それで、今日は夏梛ちゃんの無事を願いにきたんだ?」
「あっ、それもありますけど、その…また、森の中を使わせてもらってもいいですか? その、ちょっと練習をしたくって…」
「ん、なるほど、そういうことか…もちろんいいよ」
「あ、ありがとうございます」
 私や夏梛ちゃんのこの神社との繋がりは、あのイベントよりさらに前…デビュー作のゲームのお稽古をする際、よくここにこさせてもらっていたんです。
 神社を包む森は結構深くって、そこに入り込めば人もきませんし声も届きませんから、あくまで外ですので落ち着かないところはあるもののなかなかいい場所です…朱星さんともその際に知り合いました。
 でも、私がはじめてここへきたのは、やっぱりはじめてこの町にきたばかりのとき…そのとき、夏梛ちゃんの姿を見かけたんでしたっけ…。
「でも、こんな暑い中頑張るなんて、やる気だね。夏梛ちゃんもいないのに」
「ううん…夏梛ちゃんがいないからこそ、一人でもちゃんと頑張らなくっちゃいけないんです」
「ふぅ〜ん、その様子だと、夏梛ちゃんとの関係に何か進展があったのかな?」
「…え、えっ? そんな、どうしてですっ?」
 突然の言葉に慌ててしまいますけれど、何だか知っている人に会うたびに言われちゃってる気がするかも…。
「えっ、だって、麻美ちゃんと夏梛ちゃんってずっと想い合ってるみたいで、でもなかなか告白できないでいるみたいだったけど、麻美ちゃんが離れ離れになったのをたださみしがるだけじゃなくってそういう前向きなところを見せるっていうことは、つまりいい方向に進展があった表れなんじゃないかなぁ」
 はぅ、朱星さんにまで…私だけでなく、夏梛ちゃんもそんなに解りやすかったのかな…。
「…なんて考えたんだけど、違った?」
「い、いえ、その、その通りです…」
 あそこまで解っちゃうなんて、私たちの関係を隠しておくなんてやっぱりとても無理そうだった、ということですよね…それに、少なくってもお知り合いの人には隠さなくってもいいのかな、とも思えます。
「あ、やっぱり…よかったよかった、お幸せにっ」
「あ、ありがとうございます…」
 だって、皆さん祝福の声をかけてくださって、気恥ずかしくはありますけれど、でも…性別のこととか気にせずお祝いの言葉をかけてくださいますから、とっても嬉しいです。
 全ての人がこうではないのでしょうけれど…ですので、より皆さんのお言葉がありがたく感じられます。
「…って、あ、あの、もしかして抱きつこうとしてます?」
「えっ…もう、お祝いのつもりだったのに、つれないなぁ」
 と、こちらへ近づこうとする彼女、やっぱりそこは…ちょっと困ったものかもしれません。

 朱星さんに許可も得ましたので、私は一人参道を外れ、神社を包む森の中へ足を踏み入れます。
 森、といってもそう木々が密集しているわけでもなく、虫などもあまり出てきませんから歩きづらかったり不快感を感じたりすることはあまりありません。
 それでいて木々の枝や葉が真夏の陽射しを防いでくれていますし、倒れるほどの暑さはありません…うん、これでしたら大丈夫です。
 私が初等部から高等部までずっと過ごした学校、私立明翠女学園もまわりをこの森の様にたくさんの木々で包まれていましたっけ…先ほどお会いした美亜さんもそこの卒業生だといいますし、ちょっと懐かしいです。
 そんなことを思ったりしながら歩いていきますけれど、元々神社も静かでしたし、少し森の奥へ入るともう本当に外界の気配は感じられなくなりましたから、ある程度のところで足を止めます。
「…はぅ、少し不安になっちゃうかも」
 この世界にただ一人だけ取り残されちゃった感覚…以前は夏梛ちゃんと二人できていたから、こんな感覚にはならなかったんですよね。
 待ち合わせをして、一緒にここへきてお稽古…そんな日々のことが脳裏に蘇って懐かしくなりますけれど、同時にさみしい気持ちまで出てきちゃいました。
「…はっ、いけません、しっかりしなくっちゃ」
 さみしがるばかりで何もしていないと、また夏梛ちゃんを失望させちゃいます…そんなこと、もう二度とあってはいけませんのに。
 また声のお仕事でも一緒に出られる様に、一緒の作品の収録ができる様に、私も頑張らなきゃ。
「うん…私は、大丈夫」
 だから、夏梛ちゃんもお仕事、無理せずに…また元気な姿で会おうね。


    (第2章・完/第3章へ)

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