序章

 ―夕食の準備ができたのにあの子の姿がなくって。
「あっ、わたくしが呼んできますから、皆さんはこのままお待ちください」
 食堂に集った皆さんへ声をかけて、わたくしは一人その場を後にしました。
 そのまま外へ出てみますと、あたりはすっかりきれいな夕焼けに染まっていましたけれど、そうした中、穏やかな波の音の響く砂浜にたたずむ人影が目に留まります。
 長めの髪をポニーテールにされたその後ろ姿は間違いなくあの子のものでしたけれど、声をかけるのを一瞬ためらってしまいます。
 だって、彼女はきっと…あのことで悩み、それでここで一人になって考え込んでいるのでしょうから。
「…あの、響子さん?」
 でも、じっとお背中を見つめていると胸が痛くなってきてしまって…それを振り切ろうと、その子のそばへ歩み寄って声をかけました。
「ひゃっ! な、何だ、あやちゃんか…びっくりしたぁ」
「あっ、ご、ごめんなさい…」
 その子は飛び上がりそうなほど驚いてしまいましたけれど、それだけあの子のことを真剣に考えていらしたのですね…。
「えっと、夕食ができましたから、響子さんもいらしてください」
「…ん、ありがと。悪いね、あやちゃん…わざわざこうして立派な合宿の場所まで用意してもらっちゃって」
「いえ、そんな、お気になさらないでください」
 いつもの元気が、少し感じられないです、よね…。
「響子さん…美稀さんのことで、悩んでいらっしゃるんですか?」
「…わはっ!? ちょっ、ど、どどどどうして解っちゃうのっ?」
「そのくらい、すぐ解っちゃいます」
 また驚く彼女へ微笑みますけれど、本当に…貴女の考えていること、すぐに解ります。
 ずっとそばにいて、貴女のことを見てきたのですから。
 ずっと、貴女のことを…想い続けて、きたのですから。
「そっ、そうなんだ、あやちゃんは相変わらず鋭いなぁ。で、でも、ちょっと恥ずかしいかも」
「そんな、何も恥ずかしがることなんて…人を好きになるのって、とっても素敵なことだって思います。もちろん、そこに性別なんて関係ありません」
 …ずきっと、胸の痛みがまた出てきました。
「それに…美稀さんも、響子さんのことを想っていらっしゃるって思います」
「そっ、そうかな? だったら…うん、嬉しいな」
「はい、ですから…この合宿の間に、想いをお伝えになってはどうですか? 彼女も、きっとそれをお待ちしていると思います」
 大丈夫…笑顔、笑顔で…。
「うん、そうだね、あやちゃんにそう言ってもらえて勇気が出てきた…ありがとね」
「いえ、そんな…お気になさらないで」
 響子さんにも笑顔が戻ってくださいました…うん、これでよかったんです。
「よしっ、それじゃみんなのところに行こっ。おなかすいちゃったし」
「はい…あっ、いえ、わたくしはまだ少し用事がありますので、先に行っていてもらえますか? すぐにまいりますから」
「えっ、うん、いいけど…じゃあ、あまり遅くならない様にねっ」
 元気に砂浜を駆けていく彼女を、笑顔で見送ります…けれど、もう限界です。
「うっ、ううっ…」
 あの子の背中が小さくなって、そして見えなくなる中…わたくしは、涙をあふれさせてしまいました。

 ―わたくしは、響子さんのことがずっと大好きでした。
 でも、勇気のないわたくしは今の関係を壊したくないと思って、それにとっても元気で皆さんからも慕われている彼女にわたくしなどが似合うはずもありませんから、その想いを伝えることなんてとてもできませんでした。
 そのあの子に、好きな人ができた…そのお相手も、あの子のことが好き。
 わたくしは、あの子の幸せな姿を見られれば、それでいい…お二人のことを、心から応援します。
 でも…でも、今だけは、一人で泣かせてください。
 次にお会いしたとき、また笑顔でいられる様に、お二人のことを祝福できる様に…嫌な子の私は、この涙と一緒に流し落としますから。


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