序章

 ―十二月も残りあと一日、つまり今年もあとそれだけだという日。
 その日は、今年声優としてデビューをした私、石川麻美、それに一緒にデビューをした灯月夏梛ちゃんにとって、今年最後になるお仕事の日。
「うふふっ、いつものおよーふくな夏梛ちゃんもかわいいけど、またこの服装の夏梛ちゃんが見られてとっても嬉しい」
 そのお仕事を前にしてお着替えをした私たち二人なんですけど、目の前にいる彼女を見て幸せいっぱいになります。
「も、もうもうっ、そんなこと…あ、麻美のほうが、かわいいかわいいですっ」
「ううん、夏梛ちゃんのほうがずっとかわいい…ぎゅっ」
「…むぎゅっ!」
 顔を赤らめるあの子がとってもかわいく、愛おしくなって思わずぎゅってしちゃいました。
「むぎゅむぎゅ、ほわん…じゃなくって、もうすぐもうすぐはじまっちゃいますっ」
「あ…うん、そうだね。ごめんね、夏梛ちゃん」
 ゆっくり身体を離す私と夏梛ちゃんは同じ服装…学校の制服姿で、これはこれからのお仕事のためなんです。

 夏…私が一人できてしまって迷子になったりした場所。
「お買い上げありがとうございます。もうすぐゲームも出ますので、そちらもよろしくお願いします」
 あれから数ヶ月がたった今日も、私と夏梛ちゃんはそのときのお仕事と同じ…私たちのデビュー作なゲームを作ったメーカーさんのブースでCDを売って、買ってくださったお客さんと握手をしていきます。
 もちろんCDは夏とはまた別の、新しいもの…あのゲームの携帯機移植版の主題歌です。
「webラジオも楽しく聴かせてもらってます。新シナリオも楽しみにしてます、アサミーナさん」
「はい、ありがとうございます」
 お客さんのおっしゃるとおり、私はこの秋からこのゲームのラジオでパーソナリティをさせてもらっている上に、移植版では私の演じた、元はサブキャラでした子のルートが新たに追加されるんです。
 その子は絶対に主人公…夏梛ちゃんが演じた女の子のことが好きだって感じていて、ルートがあったらいいなって思っていましたから、それが現実のものとなってとっても感慨深いです。
 感慨深いといえば、最近は私のことを「アサミーナ」と呼ぶのがずいぶん定着してきましたけれど、はじめてそう呼ばれたのもこの場所で、でしたっけ…。
「アサミーナさん、お久しぶりです。またきちゃいました」
 そうです、こんな声をされた長い黒髪の…って?
「わっ、貴女はあのときの…あ、ありがとうございます」
「い、いえっ、そんな、こちらこそ、またアサミーナさんにお会いできて光栄ですっ」
 少し大げさなことを言いながら、緊張した様子で握手をする一人の女の子。
「そ、それに、私のことを覚えていてくださっていたなんて…あ、ありがとうございますっ」
「そんな、忘れるはずもありません」
 何しろ、その人はわたしのことをはじめて「アサミーナ」と呼んできただけじゃなくって、ファンだともおっしゃってくださいましたし、それに夏のイベントの後にも一度お会いしたくらいですから。
「あっ、アサミーナさん、そのリボンって…」
「あ、気がついちゃいましたか? 夏梛ちゃんとお揃いなんです」
 はじめて他の人に気づいてもらった気がしますけれど、つい先日から私の長い髪を白いリボンで束ねているんです。
 これは先日、クリスマスのときに私と夏梛ちゃんとでお揃いになるものを、と私が用意したものなんですけど、夏梛ちゃんもお揃いになるものをプレゼントしてくれたんです。
「…わっ、アサミーナさん、左手のその指輪って…」
「はい、これは夏梛ちゃんからいただいた、私たちの婚約指輪なんです」
「やっぱり…それは素晴らしいですっ」
「ちょっ…ちょっとちょっと、麻美ったらそんなことは言わなくってもいいですいいですっ」
 私の言葉を聞いてその子だけじゃなくってまわりの皆さんも歓声を上げましたけれど、隣で別のお客さんと握手をしていた夏梛ちゃんはあたふたしちゃいました。
 もう、隠す様なことでもないのに…でも、そんな夏梛ちゃんもかわいいです。
「アサミーナさん、どうかかなさまと末永くお幸せになってください」
「はい、ありがとうございます。貴女も、あの人とずっと仲良くされてくださいね」
 この子にもお付き合いをしている女の子がいますから、お互いに幸せになりたいものですよね。
 そう思いながら改めて握手をして…今年最後のお仕事は、幸せな気持ちで終えることができたのでした。


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