第三章

「はぅ、思わず逃げ出してきちゃいました…私って、情けないです」
 ―私の母校、私立明翠女学園。
 卒業してから数ヶ月、大好きな人とともにはじめて戻ってきたのですけれど…私はついさっき、その大好きな人の元から逃げ出してきてしまいました。
 それは、かつてここで私と関わってくださった子たちが、夏梛ちゃんに私の学生時代の頃のことを話そうとされたから。
「だって、私の過去の話をされるなんて、やっぱりとっても恥ずかしいわけで…はぅ」
 勢いで校舎の外にまで出てしまって、中庭にまでやってきてしまって…そこで足を止め、ため息をついてしまいました。
「そういえば、私も夏梛ちゃんの昔のことを聞いていませんけれど、私もそういうことって今まで特に話していませんでしたっけ…」
 夏梛ちゃん、そういうことをたずねたりしてきませんでしたものね…。
 そんな私の学生時代って、あんなでしたから…それを知った夏梛ちゃんが、どう思っちゃうか…。
「…はぅ、やっぱり怖くなってきちゃいます」
 でも…こうして突然一人で外に飛び出しちゃったことで、あの子を怒らせちゃったりしていないか、何も考えずにこんな行動に出ちゃいましたけれど、よく考えるとそちらも怖いです。
 学食を出るときに少し振り返ってみましたけれど、あの子は座ったままでしたし、あそこにいるままだとは思いますけれど…。
「…はぅ、やっぱり私って情けないです」
 何だか色々自分に対して悲しくなってきちゃいましたし、学食へ戻る前に少し頭を冷やしましょう。

 高等部校舎のそばにある中庭には少し大きめの池があって、そのそばにはベンチがあったりと、今日の様ないい日和の日にはのんびりするのにとってもいい場所になっています。
 お昼休みなどにはここでお弁当を食べたりする人の姿も見られたものですけれど、今日は休日ということもあって誰の姿もなくとっても静か。
 私はその様な中庭を抜け、周囲を取り囲む林の中へと足を踏み入れていきます。
 この学園の敷地のほとんどはこうして桜の木々で埋め尽くされていて、少し中へ踏み入ると完全に外界から切り離された感覚を受けます。
 どうしてその様な場所へこうして分け入っているのかといえば…この中もまた、私の思い出の場所の一つですから。
 しかもそれは、夏梛ちゃんに聞かれるのが怖くって思わず逃げちゃったほうの…。
 この林の中、私が今進んでいる方向の先には少し開けた空間があって、高等部へ上がってしばらくはそこでよくお弁当を食べていました…一人で、人目を避けるかの様に。
 そんなある日に偶然、そこに現れたのが藤枝さん……ですから藤枝さんはこのことを知っているわけで、私がそんな日々を過ごしていたと知ったらあの子はどう思うでしょうか…。
「…はぅ、また怖くなってきました」
 少し震えがきちゃいそうになりましたけれど、昔のこと…昔のことなんですから、大丈夫なはずです、多分、きっと。
 ともかく、その場所は一人で落ち着ける場所でしたのは間違いありませんでしたから、そこで少し深呼吸でもしてから戻りましょう…そう考えつつ歩を進めていたわけです、けれど。
「…あれっ? こんな場所から、人の話し声がします…?」
 ちょうど私が向かう方向から、複数の人の声がします。
 私がそこでお弁当を取っていた頃には藤枝さんがくるまで誰にも会わなかった場所ですし、藤枝さんが現れたのだってそこにいた私が百合好きだということに反応して、とのことでしたから…そんな場所に、誰がいるというのでしょうか。
 …あ、ちなみに、藤枝さんは百合センサなる、百合好きな人や百合な関係な人を感じ取る能力を持っているそう…不思議そのものながら姉の美亜さんも似た様なものですし、そんなものなのかな、と不思議と納得できてしまいます。

 桜の木々の間に開けた、小さな空間…そこにはやっぱり人影がありました。
「はい、お姉さま…あ〜ん?」
「ん、もう、仕方ないな…」
 そこにいらしたかたがたはいつかの私がそこでしていたみたいにお弁当を食べていたのですけれど、でも私とは違って二人で、それもとっても幸せそうな雰囲気でいらしたんです。
 明らかに私と夏梛ちゃんみたいな関係に見えましたから、木陰でその様子をうかがっていた私、お邪魔をしない様に静かにその場を後にし…ようと思ったのですけれども。
「あ…あの、こんにちは…」
 そいのお二人の姿をちゃんと見て、つい前に歩み出て声をかけてしまいました。
 いえ、そこにいらしたお二人、私の見知ったかたでしたから、つい…。
「…あら? 誰かと思えば麻美ちゃんじゃない…ふふっ、お久しぶりね」
 私に気づいて微笑みかけてくださったのは、お弁当をお相手のかたへ食べさせていた女の人。
「石川さんか…少し、恥ずかしいところを見られてしまったかな」
 一方、お弁当を食べさせてもらっていた女の人はクールな表情を崩さずそうおっしゃいました。
「は、はい、お久しぶりです、綾瀬先生、それに綾瀬さ…咲夜さん。お邪魔してしまってごめんなさい」
「ん、いや、気にしなくても大丈夫だよ」「そうそう、お姉さまとの二人きりの時間は確かに大事にしたいけど、でも麻美ちゃんと会えるのは素直に嬉しいもの」
「あ、ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると、私も嬉しいです…」
 お二人とも顔見知りながら私より年上で、さらによく考えますとどちらも私にとって先生と呼べる人になりますから少し緊張してしまいます。
「石川さん、昨日はお疲れさま。ライブ、私たちも見させてもらったよ」
 クールで鋭さを感じるその人は綾瀬先生…私の高等部時代の担任でしたかた。
「ええ、私もお姉さまと一緒に見させてもらったわ。まさかアイドルにまでなっちゃうだなんてちょっと驚いちゃったけど、でもここを麻美ちゃんが卒業して一年もたたないうちに活躍する姿を実際に見られて、とっても嬉しかったわよ」
 そう言って微笑む明るい雰囲気の女性は綾瀬咲夜さんといって、かつて私の家庭教師をしてくださっていたかた。
 苗字が同じということからも解ります様に、お二人は実の姉妹…咲夜さんが私の家庭教師になったのは全くの偶然で、ちょっとすごいですよね。
「あ、ありがとうございます。先日のライブが成功したのも、それに今の私があるのも、お二人のおかげです」
「その様なことは、ないと思うけど…石川さんの実力だよ」「そうそう、麻美ちゃんが頑張っているっていうの、こっちにもよく伝わってきたもの」
「いえ、そんな、私なんてまだまだですし、それにこんな私が今こうしていられるのは、お二人が色々お力になってくださったからだって思います。こうしてこの町、学園へ戻ってくる機会ができて、お二人にお礼を伝えたかったですし、こうしてここでお会いできてよかったです…本当に、ありがとうございます」
「そこまで言われては、ね…うん、受け取っておこう」「うふふっ、麻美ちゃんはいい子ね」
 深々と頭を下げる私に、お二人はそうおっしゃいます。
 うん、私が声優という夢への道筋をつけられたのはお二人のおかげですし、感謝してもし切れません。
「あっ、でも、そういえば…麻美ちゃんがここまで頑張ってこられたのって、あの子の力も大きそうよね」「あのパートナーの子か…うん、確かにそう感じられるね」
 と、お二人がそんなことをおっしゃいますけれど、これって…。
「は、はい、彼女…夏梛ちゃんの存在は、私にとってとっても大きいです」
 私がここまでやってこれているのも、皆さんのお力ももちろんありますけれども、一番はやっぱり…。
「うふふっ、やっぱり…私とお姉さまにも負けないくらいラブラブそうだものね」「咲夜…全く、仕方がないな。けれど、確かに見ていて幸せが伝わってきたね……これからもお幸せに、ね」
「あ、ありがとうございます…と、あの、お二人も私と夏梛ちゃんみたいな関係、なのですか…?」
 お二人のご様子に、ついそんなことを聞き返してしまいました。
「それって恋人なのか、ってことなのかしら…ええ、そういうこと」
 咲夜さんのはっきりしたお返事に私だけでなく綾瀬先生も少し赤くなってしまいますけれど否定はしませんし、そういうことみたいです。
「そうでしたか…あの、お二人もどうかお幸せに…」
「ええ、お互いにね」
 そうして私たち、微笑み合っちゃいます。
「あの麻美ちゃんが恋人さんと一緒に帰ってくるなんて感慨深いけど…そういえば、今日はその彼女と一緒じゃないの?」「そういえば、そうだね…今日は一人で学園へきたりして、どうしたの?」
「あっ、いえ、今日は夏梛ちゃんにここを案内してあげようって、一緒にきています。今は休憩中で、私は先生にお会いするためにこうしてちょっと一人で…」
 少し嘘をついてしまいましたけれど、先生たちにお会いしたかったのは確かですし、いいですよね……?
「そうだったの、麻美ちゃんの恋人さんに直接会ってみたかったけど…そういうことなら、そろそろ戻ってあげたほうがいいんじゃないかしら?」
 お二人と話しているうちに気分も落ち着いてきましたから、その言葉にうなずきます。
「うん、ではこれからも二人で頑張って、ね」「うんうん、大好きな人と一緒なら、麻美ちゃんの望むどんな未来だって叶うと思うわよ」
「ありがとうございます、綾瀬先生、咲夜さん。また機会があれば、そのときには夏梛ちゃんと一緒に会いにきますね…それでは、失礼します」
 お二人に頭を下げて、その場を後にします。
 あの場を飛び出しちゃったのはよくなかったと思いますけれど、でも…お二人にお会いできたのは、よかったです。
 それに、飛び出しちゃったことだって…咲夜さんの言うとおり、昔のことはどうあれ、今はあの子と一緒なんですから何だって乗り越えていけるはず、ですから何も不安に、心配になることなんて…。


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