八月も初旬を過ぎつつあり、今日も晴れていて午前中でもとっても暑さの厳しい中、私はそれも気にせずあの場所へ向かいます。
 私を突き動かす想い…あの子に会いたい、その一心です。
「まぁ、石川さん、おはようございます。お久し振りですね」
「はぁ、はぁ…あっ、はい、おはようございます、如月さん」
 息も切らせ気味にたどり着いた事務所には、先日まであの子と一緒に東京へ行っていたマネージャさんの姿。
「まぁ、暑い中ずいぶん急いできたみたいですけれど、大丈夫ですか?」
「は、はい、私は大丈夫です…あの、それより、夏梛ちゃんは…?」
「まぁ、灯月さんでしたらついさっききて、ダンスルームに行ったと思いますよ?」
「あ…ありがとうございますっ」
 あの子がもうきている、そのことを聞くともういてもたってもいられなくなって、挨拶もそこそこにその場を後にしました。
「まぁ…あの様子だと、あと一歩でしょうか。楽しみです」
 背後からそんな如月さんの呟きが聞こえた気もしましたけれど、そんなことを気にする余裕もなく一直線にダンスルームへ向かい、そこへ続く扉を開けました。
 何人もの人が練習できる様にと広々としたスペースを持つその部屋ですけれど、そこにあった人影はただ一つ…。
「…夏梛ちゃんっ」
 思わず叫ぶかの様に声をあげてしまいましたけれど、仕方ありません。
「…あっ、麻美。おはようございます」
 だって、私を見てかすかに微笑んでくれた、ゴスいおよーふくを着たその子は、私がずっと会いたいって思い続けた子なんですから。
「夏梛ちゃん…夏梛ちゃんっ」
「って、あ、麻美っ? わわわ…!」
 一週間以上ぶりの再会に気持ちが抑えられなくなっちゃって、あの子へ一直線に駆け寄るとそのまま抱きしめてしまいました。
 久し振りの夏梛ちゃんの感触はやっぱりやわらかくあったかくって、やっと会えたっていう実感が大きくなっていきます。
「もう、麻美ったら、こんなに…」
 抱きしめられた夏梛ちゃんもそっと私へ身を預け…たのはつかの間のことでした。
「も、もうもう、会うなりいきなり何してるんですか…!」
 強い口調でそう言いながら私を引き剥がしちゃいました。
 顔を真っ赤にして慌てる彼女はやっぱりとってもかわいくって、それにあんなに恥ずかしそうにして、もしかして彼女も私に会いたいって思ってくれていたのかなって考えると嬉しくもなってきます。
「そ、それにしても、麻美はやっぱりいつもいつも大げさすぎます。そんな長い長い間会えなかったわけじゃないのに…」
「そんなことないよ、とっても長かったし、それにやっぱりとっても心配で…」
「心配、って…どんなことが心配心配だったんですか?」
「それはやっぱり夏梛ちゃんは元気かなとか、事故とか病気とかやってるかなとか…」
「全く全く、そんなの…便りがないのは元気な証拠、っていうんですよ?」
 ため息までつかれて呆れられちゃいましたけれど、やっぱり今までほぼいつも会えていたものが急に会えなくなったら、色々心配になるのも当たり前です。
 特に、夏梛ちゃんの場合はもう顔もだいぶ広まっていると思いますし、普通に外を歩くだけでも色々な危険があると思うんです。
 事故とかはもちろんですけれど、熱狂的なファンに絡まれたり、あまりにかわいいから変な男に…あぁ、そばにでもいない限りとても安心できそうにありません。
「そ、そんなに心配だったんでしたら、電話とかメールすればよかったんじゃないですか…?」
「あ、うん、でもお仕事の邪魔にならないかな、って思って」
「全く全く、おかしなところだけ律儀なんですから」
 もしかして夏梛ちゃん、私からの連絡を待ってくれていたの、かな…?
「え、えっと、夏梛ちゃん…」
「どうしたんですか?」
「うん…あ、そ、そうだ、向こうでの様子は、どうだったのかな?」
 でも、結局そんなことを確認する勇気は出なくってとっさに別のことをたずねてしまいました…とはいっても、これはこれでとっても気になることですよね。
 そう、気にはなることだったのですけれど…あえて訊ねたりしないほうがよかったかも…。
「はい、とってもいい経験でしたし、楽しかったです」
 そうして向こうであったことを話してくれる彼女は、本当にとても楽しそう。
 特に、色々な声優さんなどに接することができてよかった、なんて言われたときには…彼女の様子とは逆に、私の気持ちは沈んでいってしまったんです。
「…って、麻美、どうかしましたか?」
「あっ、う、ううん、何でもないよ。よ、よかったね、夏梛ちゃん」
 い、いけない、気持ちが顔に出ちゃったみたいで話を中断されちゃいました。
 こんなの、完全に私の勝手な情けない気持ちなんですから、夏梛ちゃんに知られるわけにはいかないよ…。
「…そうですか。それでそれで、麻美は何してたんですか?」
 しばらく私をじっと見つめてきていた彼女ですけれど、ふとそんなことを訊ねられました。
 よかった、気付かれなかったみたい…って、そうだ、あのことっ。
「うん、あのね…じゃ〜ん、これ見てみてっ」
 私が服の中から出して彼女に見せたのは、一枚のカード。
「何です、それ…って、えっ、わ、私のファンクラブの会員証って…!」
 とっても驚かれちゃいましたけれど、カードは彼女の言葉どおりのものだったんです。
「で、でもでも、ファンクラブなんて、私は聞いていません…だ、第一、それをどうしてどうして麻美が持っているんですか…!」
「うん、私が事務所にお願いして公式なものを作ってもらって、はじめの会員にしてもらったからだよ」
 一般の会員募集はまだはじまっていませんけれど、特別に会員番号一番にしてもらえたんです…夏梛ちゃんの一番のファンは自分だって自負してますけれど、こうしてそれがかたちになるというのも嬉しいですよね。
 そう、私が考え付いて提案していたのはこのことだったんです。
「も、もうもう、一緒にユニットを組んでる麻美が私のファンクラブに入っちゃうなんて…」
「だって、私は夏梛ちゃんの一番のファンなんだもん」
「は、はわはわっ、えとえと、一緒にお仕事してるのにそんなそんなこと言うなんて、プロとして自覚が足りませんっ」
「は、はぅ、ご、ごめんね…?」
 赤くなりながらもそんなことをあの子は言って…ファンクラブ、ダメだったのかな…。
「えとえと、でもできちゃったものはしょうがないですし、特別特別に麻美も入ってていいですっ」
 落ち込んだ私を見てか、さらに顔を赤くしながらそう言ってくれる夏梛ちゃん…ちょっとツンってしちゃっても、恥ずかしそうにやさしいことを言ってくれるのがまたかわいいです。
「う、うん、ありがと、夏梛ちゃん」
「べ、別に別に、もうそのことはいいですけど、でしたらでしたら麻美のファンクラブも…ごにょごにょ」
「…どうしたの、夏梛ちゃん?」
「なっ、何でも何でもないですし、それよりっ」
 それまで恥ずかしそうでした彼女の表情が真剣になります…?
「私がいない間、麻美は私のことを考えてこんなことをしてくれたみたいですけど…ちゃんとちゃんと、自分自身のことはしてましたか?」
「えっ、自分自身のこと…って?」
「ですからですから、麻美自身のことです。しっかりしっかりボイトレするとか、ダンスの練習するとか、受けられそうなオーディションを探すとか…ちゃんとちゃんとやってましたか?」
「あ…えと、それ、は…」
 思わず言葉を詰まらせつつ目をそらせてしまいましたけれど、昨日までの私の日々は、その態度の通りでした…。
 もちろん日々の練習はしていましたけれどもそれもあまり身が入っていなくって、ましてはオーディションとかを探すことなんて考えもつかなくって…。
「もうもうっ、私が東京へ行く前に言ったこと、忘れちゃったんですっ? そんなそんなだらけていたなんて、信じられませんっ」
 私の反応で答えが解っちゃって、彼女は私をにらみつけながら怒りの言葉をぶつけてきますけれど、私は何も言い返せません。
 だって、夏梛ちゃんが一人で頑張っている間、一方の私がそんな状態でしたのは本当のことですし、その理由だって…言えば、彼女をさらに怒らせるだけだと思いますから…。
「麻美の夢って、声優になることじゃなかったんですかっ? ですのにですのにそんな…ただでさえ若手の声優の世界は厳しい厳しいのに、麻美は危機感なさすぎですっ」
「う、うん…」
「麻美のことですから、どうせどうせ私に会えないのがさみしいからって、私のことばっかり考えて自分のことをおざなりにしちゃったんですよね?」
「え…あ、そ、その…」
 一方的にまくし立てる彼女に私は声が震えてしまってお返事もできませんでしたけれど、確かにそう…夏梛ちゃんには私の考えていることなんてお見通しなんでしょうか…。
「もうもうっ、そんなにそんなに自分のことをおざなりにしてお仕事とか何もなくなっちゃったら、ユニットも解散させられちゃうかもしれませんよっ? それでも…それでも、麻美はいいんですかっ?」
「わっ、そ、そんなの嫌ですっ」
 目の前のことしか見えていなかった私にとってそれはあまりに重い言葉で、目の前が真っ暗になってしまいました。
 そう、本来なら夏梛ちゃん一人でもユニットは問題ないのだから、そんな可能性だって十分あるのに、どうして私はそこまで考えられなかったの…?
 もしそうなったら、一緒にお仕事をする機会はますますなくなって、ますます離れ離れに…!
「ご、ごめんね、夏梛ちゃん…私、ちゃんと頑張るから…!」
「わ、解ってくれたらいいんです。私だって、その…麻美が声優として活躍しているところ、見てみたいんですからねっ?」
 彼女の声はちょっと鋭かったですけれど、最後は顔を少し赤らめたりしちゃっていました。
「うん…うんっ」
 そんな彼女の言葉に、しゅんと沈んでしまっていた心に光が差してきました…その期待に応えるために、ちゃんとしなきゃ…!


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