第六章

「んっ、う〜ん…もう、朝…?」
 ―突然耳元で鳴り響く不快な電子音をとっさに止めながら、それによって目を覚ましました。
 まだ少し意識が朦朧とする中、ちょっとふらつきながらもベッドから起き上がり、窓へと歩み寄ってカーテンを開けます。
「うっ、まぶしい…」
 窓の外はまだ午前七時くらいなのにすでに日差しが強く、寝起きの目にはちょっと厳しいです。
「今日も、暑そうです…」
 もうすぐ八月、まさに夏真っ盛りの時期です。
「…ふぁ、眠いです」
 と、強い日差しを受けても眠気がなかなか取れません。
 そもそも、普段でしたら目覚まし時計なんてかけなくっても自然に起きられますのに、今日はこんな…。
「う〜ん、昨日はつい遅くまでやりすぎちゃいました…」
 眠気が激しい理由は、夜更かししてゲームをしていたから…いつもでしたらそこまですることはないのですけれど、それはあの子が主役の、さらにデビュー作なんですから。
 ま、まぁ、私のデビュー作でもあってそれはそれで感激なのですけれど、自分の声を聴くのはちょっと気恥ずかしい…でもあの子の声はどれだけ耳にしていてもとっても素敵で、それに百合なゲームということもあって、ついつい中断するタイミングを逃しちゃうんです。
「でも、眠いなんて言っている場合じゃありませんよね」
 明後日ははじめてとなる大きなイベント、それに先立ち明日は最終リハーサルがあって…ううん、それ以前に今日だってとっても大切な日です。
「うん、まずは頑張っておいしいお弁当を作らなきゃ」
 大きく深呼吸をして眠気を少しでも飛ばして…そして、お部屋を見回します。
「夏梛ちゃん、今日はよろしくお願いします」
 お部屋には大きなポスターなどたくさんの彼女の写真があって、それに挨拶…これからグッズなどが出ましたら、それも集めたいですよね。
 …ファンなら、このくらい普通ですよね?

 さすが、去年の私でしたらもう夏休みに入っている時期だけあって、午前十時を回る前から外はとっても暑く、日差しが厳しいです。
 マンションを出た私はたまらずすぐに手にした日傘を差します…白は紫外線を通しやすいですからあまり意味がないのかもしれませんけれど、ないよりはいいです。
 そうして少し歩いて待ち合わせ場所へ行きましたけれど、まだあの子の姿はありません。
 その場で立って待っていようかな…と。
「今日は麻美より私のほうがはやくはやくきたみたいですね」
「えっ、か、夏梛ちゃんっ?」
 後ろからかかってきた声にはっとして振り向くと、そこには待ち合わせの相手、夏梛ちゃんの姿。
「おはよ、夏梛ちゃん。もうきてたんだ…気付かなかったです」
「はい、おはようございます。こんな暑い暑いのに外で待ってるなんて嫌ですから、ビルの中に入っていたんです」
 私たちの待ち合わせ場所は事務所の入ったビルの上でした…お互いの家から適当な距離の場所となると、やっぱりここです。
 本当はこの町にあるご実家で暮らしているっていう夏梛ちゃんのお家へ直接行ってみたいのだけれど、そこまでしてもいいのかなって思ってしまって…私、今までに誰かのお家に遊びにいったりしたことなどありませんから。
 そう、夏梛ちゃんは元々この町で暮らしていたんですけど、こう考えると、私ってまだまだ夏梛ちゃんのことを知らないんだよね…声優さんになる前、学生時代はどんな感じだったのかな、とか。
 夏梛ちゃんの学生時代…わぁ、とってもかわいらしそうで気になります。
「…麻美、どうしたんですか? またまたぼ〜っとしちゃって」
「わっ、な、何でもないよっ?」
「もう、麻美は何だか見ていて危なっかしいです。もっとしっかりしてください」
「はぅ、ごめんね、夏梛ちゃん」
 もう、目の前に彼女がいるのに色々考え込んじゃうなんて、いけないことです…そもそも、私には彼女の過去のことなんて、気になっても尋ねられそうにないですし。
 だって、とっても仲のよかった子とかのお話をされたら、やきもちをやいちゃいそうで…ましてや恋人とかがいた、なんてことを話されたら…。
 ううん、今も付き合ってる人がいる、なんて言われたらどうしよう…だって夏梛ちゃんはこんなにかわいいんです、そんな人がいたっておかしくありません。
 そんな人がいてもいなくても、私が彼女とお付き合いできるわけないんですけど…はぅ。
「…ちょっとちょっと、麻美ったら顔が青くなってきてます。大丈夫なんですか?」
 あっ、いけない、私ったらまた…しかも一人で勝手に不安な気持ちになっちゃって、心配までかけちゃいました。
「う、うん、大丈夫、ちょっと寝不足なだけで…歩いたらすぐ吹き飛ぶと思います」
 えと、これでも嘘は言っていないはずです。
「そうですか? じゃあ、そろそろ行きましょう?」
 その言葉にうなずいて、私たちは二人並んで歩きはじめました。
 …うん、不安になってもしょうがありません、今こうして彼女と一緒にいられるだけで幸せなことなんですから、過去なんていいじゃないですか。
 こうやってお仕事のない日に一緒にお出かけなんて、デートみたいですし…きゃっ。
「それにしても、麻美が寝不足なんて珍しいです。もしかして、明後日のことでもう緊張してるんですか?」
 また妄想の世界へ入ってしまいそうになったところを、彼女の言葉で何とか引き止められました。
「あっ、ううん、そうじゃなくって、あのゲームをやり込んじゃってたの。夏梛ちゃんの声がかわいらしすぎて」
「わわわ、もうもう、本当に本当に麻美はいつも大げさなんですから…!」
「そんな、私はただ本当のことを言っただけだよ?」
「むぅ、私の演技が悪いなんてことはないに決まってますけど、でもでも何だか恥ずかしいです」
 そうして顔を赤らめる彼女はやっぱりかわいいんです。
「あ、夏梛ちゃんも自分の声が入ってるゲームをするのって恥ずかしく感じるんだね。じゃあ、ゲームはしてないの?」
「していないわけないじゃないですか。麻美と私のデビュー作品なんですから」
 わっ…私のデビュー作品っていうことも気にしてくれていたんですね。
「うん…うふふっ、嬉しいな」
「な、何が嬉しいんです、全く全く…」
「うふふっ、色々と。夏梛ちゃんはゲームのしすぎで寝不足…なんてことには、なっていないみたいだけど」
「そんなの当たり前です…けど、暑い暑いです」
 それは確かにその通りで、今年の夏は例年以上の暑さみたいですものね…。
「この格好で外に出るのも一苦労です…暑さで溶けそうです」
「もう、夏梛ちゃんったら…」
 容赦なく照りつける真夏の太陽の下を歩く彼女の服装は、一応夏物らしいもののでもやっぱり普通の服よりずっと暑そうなゴスいおよーふくです。
 夏っぽいお名前なのに暑さに弱い夏梛ちゃんもかわいい…って、そんなことを言っている場合じゃありません。
「ほら、もうちょっとこっちに寄って?」
 手にした日傘を彼女寄りにしますけれど、まだちょっと距離があって…内心どきどきしながらも、彼女と腕が触れるくらいにまで寄り添ってみます。
「わっ、麻美? 近い、です…」
「でも、こうしないと日傘に入れないよ?」
「あぅ…でもでも、ちょっと恥ずかしいです」
 もう、そんな顔されたらますますどきどきしちゃいます。
 思わず抱きしめたくなるのをこらえますけれど、夏梛ちゃんと相合傘だなんて嬉しいです。


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