第五章

 ―新緑の映える季節、空気もさわやかで外で過ごすにはとてもいい時期です。
「ちょっと、はやくきすぎちゃったかな…」
 快晴に恵まれた日の午前十時前、私は一人海岸沿いにある神社の鳥居前までやってきていました。
 さすがにこんな天気の日曜日なだけあって参拝のかたらしい人たちの姿もちらほら見られますけれど、その中に私の求める子の姿はありません。
 やっぱり、ちょっと楽しみにしすぎて待ちきれず、予定よりずっと…。
「あっ、麻美、もうきていたんですね?」
「…きゃっ?」
 鳥居の奥の様子をうかがっていると背後から声がかかってきて、思わず小さな悲鳴をあげてしまいました。
「もう、何です何です、そんなにびっくりびっくりしなくってもいいじゃないですか」
「うん、ごめんね…それにおはよう、灯月さん」
「は、はい、おはようございます、麻美」
 振り向いた先にいたのはもちろん私が待っていた子、灯月さん…今日もゴスいおよーふく姿ですけれど、やっぱりよく似合っています。
 灯月さんにはああいう服を着る趣味があるみたいですけれど、確かに彼女は見ていると色々なかわいい服を着せ替えたりしてみたくなっちゃいます。
「…麻美ったら、会うなりにやにやしたりして、変なものでも食べましたか?」
「そ、そんなことないよっ?」
 いけません、また気持ちが表情に出てしまったみたいです…こんなことは今までにはあまりなかったのですけれど、灯月さんの前だとよくなってしまうんです。
「そうですか、ならいいんですけど…それではさっそく、お参りをしてからはじめましょう」
「うん、そうだね」
 うなずきあって、二人並んで鳥居をくぐり、途中しっかり手を洗い清めたりもして、ずっと奥にある社殿へ向かいました。
 社殿の前で二人手を合わせますけれど、灯月さんはやっぱりお仕事が無事にいくことをお願いしているのかな…ごめんなさい、私は別のことをお願いしちゃいました。
「あれっ、またきてるね、声優のたまごさんたち。おはよ〜」
 と、参拝を終えて一息ついたところで明るい声が届いてきましたので、私は少し気持ちがこわばります。
 私たちが視線を向けた先には巫女さんの装束を身にまとった、そして悪戯っぽい笑顔を浮かべたやや背の高い女の人の姿があって、こちらへ歩み寄ってきます。
「あっ、おはようございます、雀さん」「…お、おはようございます」
 服装の通りこの神社の巫女を務めているその人とは何度かお会いしていますから灯月さんは笑顔で挨拶をしますけれど、私はちょっと警戒気味です。
「うんうん、二人とも今日も…はっ」
 そんな私の視線に気付いたのかその巫女さん、朱星雀さんは私たちの手前ではっとして足を止めましたけれど、すぐにさっき以上の笑顔で私を見ます。
「何々、そんなに警戒して。もしかして、また私が夏梛ちゃんに抱きついたりしないか、心配してるのかな?」
「…うっ」
 まさにその通りな言葉を堂々と言い当てられてしまいましたけれど、そう…この人、はじめてお会いしたときいきなり灯月さんに抱きついたんです。
 かわいい子を抱きしめたくなる癖がある、なんて言われましたけれど…そんなものであの行為を認めるわけにはいきません。
「…麻美、まだあのときのことを気にしていたんですか? たしかにあれはびっくりびっくりしちゃいましたけれど、雀さんはいい人ですよ?」
 当の彼女は全く気にしていないみたい…でもでも、私は忘れられないんです。
「はは〜ん、もしかして麻美ちゃんも抱きしめてもらいたかった? うんうん、そう言うなら今から…」
「ちっ、違いますっ」
 もう、この人は何てことを言うんでしょう、とても巫女を務める人の言葉とは思えません。
 私が思っているのはそんなことじゃなくって…私も、灯月さんを抱きしめてみたい、って…。
 朱星さんみたいな性格の人ならそんなことをしても不自然じゃないんでしょうか…そのあたりは、少し羨ましくもなってしまいます。

 私と灯月さんがこの神社へきた理由は、もちろん参拝をしにきただけじゃありません。
「さてと、それじゃはじめましょうか」
「うん、そうだね…灯月さん、今日もよろしくね」
 神社の敷地内、でも参道など人通りのある場所からは離れた鎮守の森の中で足を止めた私たちは、それぞれ持ってきた荷物から一冊の冊子を取り出しました。
 それは私たちが声を当てることになっているゲームの台本…そう、私たちはここで台詞のお稽古をするためにきたんです。
 お稽古自体は平日、事務所のスタジオなどでもしていますけれど、それだけでは足りません…先輩さんたちの演技を見ていますとよりそう感じられますし、私たちが出ることになっていますこのゲームだって他の出演者は皆さんすでに名のあるかたがたですから、普通にしていては足を引っ張ることになってしまいかねません。
 それに何より、この作品が私たちにとってデビュー作になるのですから、しっかり頑張らないと…ということで、休日もこうして二人で集まってお稽古をすることにしたんです。
 さすがにあの学園のスタジオみたいなお稽古にぴったりな場所はなかなかあるものではありませんから、他に人がこなさそうで声も人のいる場所にまでは届かなさそうでした、この森の中を選んだのでした。
 神社の人にも問題ないと言われましたし、心配はいりません…その可否をうかがいに行ったときに、先ほどの巫女さんに灯月さんが抱きしめられてしまったわけですけれども。
「えっと、じゃあ今日はどこから練習する?」
「そうですね、やっぱりやっぱり麻美が演じる役の子が出てるシーンがいいですよね」
「あっ、そんな、気にしなくっても大丈夫だよ。そんなこと言ってたら、シーンがかなり限られていっちゃうし」
 台本をぺらぺらめくりながらそんなことを言いますけれど、灯月さんと私とでは出演するシーンの数も台詞の量も全く違います。
 私はただのサブキャラクター役、対する灯月さんは主人公役なのですからそれは当たり前で、私に合わせて稽古をしていては灯月さんのためになりません。
「心配しないで、他の登場人物の台詞も私が言うから。色々なキャラクターの声を演じる練習にもなるし、ね?」
「う〜ん、麻美がそこまで言うんでしたら、お言葉に甘えますね」
 納得してくれたみたいですけれど、実は私があんな提案をしたのには、そんな表向きのこと以外にも理由があったりします。
 私たちの出演するゲームのメインテーマは百合、ガールズラブ…つまり女の子同士の恋愛です。
 ですから主人公の女の子は作中の色々な女の子と恋をしていくわけですけれど、私が演じる子とはそういう関係にならなくって、ですからもちろんそういった台詞もありません。
 でも、他の登場人物なら…例え役柄上の演技とはいっても、灯月さんとそういった言葉を交し合えるんです。
 それだけのことを望んでしまったり、どきどきしてしまう私って…。
「それにしても、麻美はさすがさすがです。将来のことも見据えてこの稽古に臨んでいるんですね」
 あぁ、ごめんなさい、灯月さん…私は感心されるどころか、軽蔑されかねない気持ちであんなことを提案しているんです…。


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