その日はその子のことを思い出すとどきどきしてしまってなかなか眠れませんでしたけれど、数日後には別の理由で胸が高鳴ってなかなか寝付けなくなってしまっていました。
 それでも何とか眠りについて迎えた翌日…あのオーディションの日より、もしかすると緊張しているかも。
「うん、何もおかしなところは、ありませんよね…?」
 あんまり喉を通らなかった朝食を取ってから、しっかり身だしなみのチェック…そして、お部屋を後にしました。
 向かいますのは、マンションを出て徒歩二十分くらいのところに建つビル…そう、オーディションの日に一度訪れましたあの場所です。
 今日もまた、そのビルの前で足を止めてしばし立ちすくんでしまいます…ちょっとはやくきすぎてしまったということもありますけれど、それ以上にやっぱり緊張してしまって…。
 でも、今日はあの日とは違う…今日はまがりなりにも選ばれて、そしてお仕事でここまできたんです。
「…うん、行きましょう」
 だから、迷ってなんていられない…大きく深呼吸をして、足を踏み出しました。

 私が入ったビルの上部数階に、声優さんや歌い手さんなどの所属する事務所があります。
 私が受けたオーディションの選考会場にもなりましたそこは天姫プロダクションといって、私は今日からそこに所属する声優、ということになるんです。
 と、私が受けたオーディションはゲームの主人公役の声優さんを決めるためのものだったのでは、ですか?
 確かにそうだったのですけれども、オーディション合格者が新人さんでどこにも所属していない場合にはこちらの事務所に所属するという条件があり、というわけで私も…いえ、正確にいうと私は合格者ではないのですけれども一応採用されたわけです。
 ゲームの音声収録は五月頃になったら始動するとのことで、新人の私はちょっと心もとないということもあり、まずはそれまでに基礎を身につけたりすることになるみたいです。
 初日となります今日は事務所の皆さんへの挨拶や顔合わせ、書類への記入などを行うことになっていますけれど、やっぱりはやくきすぎたみたいでまだ本来の主役がきておらず、そのかたがくるまで待つことになりました。
「…ふぅ、やっぱり緊張します」
 事務所内にあります控室らしいお部屋に通され、一人になったところで思わず深く息を吐き出しながら椅子へ座り込みます。
 ここまで案内してくれた人にもっと気を楽にして、と言われてしまいましたけれど、なかなか難しいです…だって、私は今まさに夢の舞台に上がったのですから。
 でも、緊張してばかりもいられないし、ちょっと気を紛らわすことのできることは…あっ、そういえば本来の主役のかたって、どんな人なのかな。
 私もそのあたりのことは聞いていませんから、一般への公式発表、つまり綾瀬さんにネットで見せてもらいましたゲームの公式ページに書かれていた以上のことは解らないんです。
 そのページに書かれていたお名前は確か「灯月夏梛」といいましたっけ…聞いたことのないお名前ですから、もしかすると私と同じで新人さんなのでしょうか。
 もしかすると、数日前に神社で見かけたあの子、なのかも…ううん、そのときの子とオーディションの日に出会った子とが同一人物だって確証はないのですけれど、同じでしたら可能性、ありますよね。
 そう思うと、緊張を紛らわすために考えていたはずなのに、かえって緊張が高まってしまいました。
「もう、ちゃんと落ち着かなきゃ…」
 大きく深呼吸をしていると、部屋の扉が開き、まず私をここまで案内してくれた女の人が入ってきました。
「ごめんなさい、お待たせして。灯月さんがきましたから、紹介しますね…さ、灯月さん、こちらに入ってくださいね」
 一気に胸の高鳴りが増してしまう中、その人にうながされて一人の女の子が入ってきたのですけれども…!
「わ…あなたが、やっぱり…」
 私が可能性のあることとして考えた、まさにその通りの展開…想像したことなのに、いざ現実となるとやっぱり夢みたいに思えて、固まってしまいました。
「…えっ? わ、わ…どうして、どうして、あなたがいるの?」
 一方、私の姿を見たその子も驚いた様子で固まってしまいましたけれど、その声、やっぱり間違いない…オーディションの日に会った、あの子です。

 ものすごく緊張してしまっていた私に声をかけてくれた、同じオーディションを受けた女の子。
 その子のおかげで私は緊張がほぐれ、ちゃんとオーディションを受けることができました。
 またお会いしたいですと思った、けれどオーディションで採用されるのは一人だからどの様な結果になっても無理なんですよね、とも思っていました。
 でも、今入ってきた女の子は、間違いなく…。
「まぁ、二人とも、どうしたのでしょう? ほら、お互いに自己紹介してくださいね?」
「…あっ、ごめんなさいっ」
 あの女の人の言葉にはっとして、慌てて椅子から立ち上がります。
「あ、あの、私は石川麻美といいます…」
「そ、そうですか、私は灯月夏梛です」
 お互いちょっとぎこちない様子で名乗って頭を下げますけれど、やっぱりこの子が灯月夏梛さんだったんですね。
 今日はゴシック・ロリータな服装をしていて、普通ならちょっとどうかなって感じるかもしれないところながら、彼女には自然に似合っていますから問題ない…容姿でも彼女に勝てる人なんてそうそういないはずです。
「…な、何ですか、そんなじっと見たりして」
「あっ、ご、ごめんなさい、かわいらしかったから、つい…」
 すっと意識が呼び戻されましたけれど、そんなに見つめちゃってたのかと思うと、恥ずかしくって顔が赤くなってしまいます。
「なっ、何です何です、そちらのほうがずっときれいで美人さんなのに、そんなそんなこと言って…!」
「えっ、ひ、灯月さん、そんな…!」
 同じく顔を赤くした彼女の言葉、お世辞だと解っていても言いすぎです…!
「まぁ、二人とも、ずいぶんと気が合うみたいですね」
 私たちのことを見ていたあの人までそんなことを言うものですから、私からは何も言葉が出なくなっちゃいました。
「あ、あのあの、どうしてあなた…石川さんが、ここにいるんですか? オーディションで選ばれたのは私だけのはずなのに…」
 一方の灯月さんはまだ少し落ち着かない様子ながらそんなことを尋ねます…そっか、彼女もまだ何も聞かされていなかったんですね。
 なら、私より彼女のほうが戸惑いは大きいですよね…公式ページなどには灯月さんのことしか触れられておらず、私のことなんてどこにも書かれていないのですから。
「あ、えっと、私は…」
「まぁ、ではそのことは私から説明しましょう。灯月さんも石川さんも、楽にして聞いてください」
 声を詰まらせる私を遮ってあの人が穏やかな口調でそう言いますので、私たちは椅子に座らせてもらって話をうかがいます。
 今回のオーディションで採用され、ゲームの主人公の声を演じることになったのは、灯月夏梛さん…これは間違いなくって、そこに私の名前がどこにもなかったことから、綾瀬さんや松永さんは私のことを慰めようとしてくださいましたっけ。
 では、その私、石川麻美は何なのかといえば、主人公役には採用されませんでしたけれどそれでも評価は悪くなかったそうで、そのゲームのサブキャラクターの一人の役として採用されることになったのでした。
 そんなことは当初の計画にはなかったことらしくって、それを私のためにわざわざ…とってももったいないことですよね。
「そういうことだったんですか…なるほど、なるほどです」
 説明を聞いた灯月さんも納得した様子です。
「はい、ちなみに私は二人のマネージャを務める、如月睦月です。私もまだ新人で至らないことも多いと思いますけれど、よろしくお願いしますね」
 そうおっしゃり穏やかな微笑みを浮かべたその人は、少し背が高く淡い色のスーツがよく似合った、そしてやさしそうな雰囲気をかもし出していらっしゃいます。
 マネージャさんがつくなんて少し驚いてしまいましたけれど、事務所に所属するなら当たり前なのかな…そのあたりの知識はほとんどなくってよく解りません。
「は、はい、よろしくお願いします」「こちらこそ、よろしくお願いします」
「うふふっ、はい」
 如月さんはやさしくていい人そうですし、ちょっと安心でしょうか。
「灯月さんも石川さんもどちらも新人さんでさらに同い年ですから、一緒に頑張って、一緒に伸びていってもらえると嬉しいです」
 あっ、やっぱり灯月さんも新人さんだったんですね。
 うん、この子と一緒にお仕事ができるんでしたら、とっても素敵なこと…って、あれっ?
「灯月さん、私と同い年だったんだ…」
 思わずそんなことを呟いてしまって、すぐに後悔…でも、一度口から出た言葉はもう戻りません。
「むぅ、どうせどうせ私は子供っぽいですよっ」
 灯月さんは不機嫌そうにそっぽを向いてしまいました。
 その仕草もやっぱりかわいらしい…う、ううん、そんなことを考えている場合じゃありません。


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