「…ん、う〜ん、朝…ですか?」
 カーテンの隙間から注ぐ日差し、それにその外からかすかに届く雀たちのさえずりに気付いて、ゆっくりと目を覚ましました。
 今日も穏やかそうな朝です…って。
「…あれっ? ここ、どこでしたっけ…?」
 ゆっくりベッドから身体を起こしたところで、いつもと違った周囲の様子に戸惑ってしまいました。
 お部屋の家具から内装まで、いつもの見慣れたものとは明らかに違う…。
「…あっ、そうでしたっけ」
 まだ寝ぼけ気味の頭を働かせて、ようやくその理由を思い出しました。
「これからは、ここで暮らすことになったのでしたっけ」
 ベッドから降りてカーテンを開けますと、まず目に入ってくるのは窓の外に広がる一面の青空…それ以外にはいくつかのビルが目に留まるくらいで、他のものは視線を下へ向けないと見えません。
 ここはマンションの十五階になりますから、それも当然です。
 ここからの景色はとってもよくって、町の向こうにある山々まで一望できます…そのさらに向こうに、私の暮らしていた家や通っていた学園があるのですよね。
「でも…もう少し小さなアパートなどでもよかったでしょうか」
 このお部屋、一人で暮らすには少し広いかもしれません。
 それに、このお部屋のお金だって…一応私のお金だとはされていますけれど、でもそれはあくまで元々家にあったものを引き継いだだけで、私自身が何かしたわけじゃない…。
 すでに購入をしてしまったこちらは仕方ないかもしれませんけれど、これからは気をつけないと。

 今まで日々を過してきた町を離れての、新しい生活。
 それはもちろんお仕事をするため…なのですけれども。
「私、本当にここまでやってこられたの、ですよね…」
 外の景色を眺めながら、ふと感慨にふけり、そして先日までのことを思い返します。
 思えば、あのオーディションの日から先日の卒業式までの間の日々が、私のこれまでの人生でもっとも大変でしたかもしれません。
 その二つの出来事もそれぞれに大きなことだったのですけれど…つい先日まで、私はずっと家のことに追われていました。
 その様なことになったのは、ちょうどオーディションの結果が届いたとき…その結果がはっきりした後に父へ私の意志を伝え、お許しを得ようと思っていたのですけれど、それとほぼ同時期に父は急病で倒れられてしまわれたのです。
 結果、私が自分の意志を伝えられたのは、父の臨終の場で、ということになってしまいました…一応、私の好きにすればよい、というご返答は得られたのでございますけれど、それが今際のお言葉になってしまって…。
 父の急死により、石川家の家督は唯一の子である私が継ぐことになりましたけれど、これまで世襲が行われておりました会社の経営は私よりも他のかたがされたほうが会社のためになりますし、それに私も歩みたい道がありましたから、そちらの権利はお譲りいたしました。
 一応、個人資産として貯蓄や株式にあのお家や別荘、北海道にある牧場といった土地とそれに付随するもの、あといくつかの資格などが私の手許に残りましたけれど、土地は例えばお家は家政婦さんにお任せして、それに牧場なども牧場長さんなどおられますから何も起こらない限りはお任せできます。
 お金関係については…私はあのお仕事で生きていくと決めたのですし、極力手はつけない様に、いずれは寄付などしたほうがいいかもしれません。
 臨終の場でお許しをいただく、なんてことをしてしまったのですから、本当に…本当に、頑張らなくってはいけません。

 そうした私の家に関することを整理し終えたのが、卒業式のつい数日前…学園での最後の学期はこのことに終始してしまいました。
 それからすぐにお家を出てこのマンションで一人暮らしをはじめたのは、石川家の家督を継いだことをあまり気にしたくない、といったこともないことはありませんでしたけれど、純粋にお仕事のためです。
 頼りない雰囲気をいつも出しちゃってるらしい私が一人暮らしなんてできるのか、なんて家政婦さんに心配されたりもしましたけれど、それはまだ大丈夫かなって思ってます。
「うん、ごちそうさまでした」
 広めのキッチンで、自分の作った朝食を食べ終えます…そう、一人暮らしをする上で一番大切だって思うお料理に関しては、結構得意なんですよ。
 それで、今日の予定ですけれど…お仕事がはじまるのは、もうちょっと先のことなんです。
 でも、はやく一人暮らし、それにこの町に慣れたくって、はやめにこちらへきたわけです…家に一人でいることは前から慣れていますし特にさみしいとは感じませんでしたけれど、これから日常を送ることになる町のことは知っておかなくてはいけませんよね。
「では、いってきます」
 ですから、今日は一日かけて町を回ってみようって思って、お弁当も持ってお部屋を後にしたのでした。

 かつてオーディションの選考を受けるために一度やってきたこともあるこの町は、私がこれまで暮らしていた町から電車で数時間のところに位置しています。
 このあたりでもっとも大きな規模を誇る町ですから、あの学園を中心に閑静で落ち着いた雰囲気でしたあの町とは全く様子が違います。
 まずは家の周囲のお買い物ができる場所をチェックして、それからあの場所までの経路を確認していきますけれど…うん、道筋自体は問題ありません。
 でも、車も人も多くて喧騒に包まれた雰囲気にちょっと目を回しちゃいそう…あの学園の環境はやっぱりとっても恵まれていたんですね、ってつくづく思っちゃいました。
 わずかにあたたかさも感じられる様になってきた三月の日差しの下、自然と静かで落ち着ける場所がないか探す様になってしまいましたけれど、ふとあることを思い出して、それがあるはずの方向へ向かってみました…大丈夫、今日は時間も十分あります。
 そちらへ向かうにつれて徐々に今まであまり感じたことのない空気が流れてくるのですけれど、その先にありましたのは…。
「わぁ、やっぱり大きい…」
 堤防を越えた先には白い砂浜、そしてさらに先にはずっと果てまで続く海が広がっていました。
 今までいた町は周囲を山々に囲まれていましたけれど、この町は海沿い…少し離れたところには港もあるみたいですけれど、このあたりはずっと砂浜が続いています。
 さすがにこの季節です、海からの風は冷たく私の髪をなびき、そんな砂浜には誰の姿も見られません。
 寒いですけれど、波の音は気持ちを落ち着かせてくれて…私は一人、砂浜をゆっくり歩きます。
 この砂浜だけでも結構素敵な場所だったのですけれど、しばらく歩いたその先、途中で切れていた堤防に代わって現れた防砂林である松原を抜けたその先にはさらに素敵な場所があったのです。
 それは、大きな鳥居のある神社…海岸沿いにあるため平坦で石段などはありませんけれど、鎮守の森に包まれたそこはなかなかの規模です。
「うん、せっかくですから、お参りしていこうかな」
 静寂に包まれ、そして鳥居からまっすぐにのびたきれいな参道を進んだ先にあった、立派な社殿…その前で足を止めて、お賽銭を入れてから手を合わせます。
 お願いごとは欲張ってたくさんしちゃいけませんし、一番大切なものだけ…。
「…これからのお仕事が、うまくいきますように」
 自分で努力をしなくてはいけないことなのですけれど、それでもそう願わずにはいられませんでした。

 広い森に包まれ町の喧騒とも隔絶された神社は、ちょっとあの場所…やはりたくさんの木々に包まれていた学園にも似た雰囲気があって、気持ちが安らぎました。
 さらに時間はお昼時で、ここまで歩き通しで疲れてしまったこともあって、鳥居から社殿へ至る参道から少しだけ鎮守の森の中へ入らせてもらって、一本の木の根元に腰かけそこでお弁当をいただかせてもらいました。
「本当に、静かですね…」
 風もほとんどなくって、木々の隙間から穏やかな日差しが差し込んできてあたたかい…。
 ちょっと疲れていたこともあって、お弁当を食べ終えてからもしばらくそのまま腰かけていたのですけれど、少しずつうとうとしてしまいます。
 心地よいその感覚に身を委ねて、どのくらいがたったでしょうか。
「んっ…う〜ん…」
 ふと目を覚ましますと、そこはもちろん森の中…心地よさに負けて、完全に寝入っちゃっていたみたいです。
 日はまだ高いみたいですし、それほど長い間眠っちゃってたというわけではなさそう…。
「…あれ? あれ、は…」
 まだ寝ぼけまなこの私の目に映ったのは、木々の隙間から見えた参道の様子。
 いつの間にか参道の脇には小さな屋台が一つ出ていて、そこで一人の女の子が何かを買っているのが見えたのですけれども…その子のことが、気になったんです。
「似て、る…?」
 かわいらしい服装をした、ツインテールの女の子…。
「…えっ、あのときの子っ?」
 ようやく頭が働きはじめ、はっとして飛び起き参道へ出ましたけれど、そのときにはもうすでにその子の姿はどこかへ消えていて、そこには屋台のおじさんしかいませんでした。
 今の子、オーディションの日に会った子に似ていた気がしたんですけれど、本人だったのかな…?
 だとしたら、この町で暮らしているのかな…もしそうなら、また会えるかも…?
 その可能性に行き当たった瞬間、急に胸が高鳴ってきました…緊張とはまた違った不思議な感覚で、ちょっと熱さまで感じます。
「え、えっと…と、とりあえず、あの子が買ったかもしれないものを、私も買ってみようかな?」
 大きく深呼吸をして…と、そんな私の鼻にとってもいいにおいが入ってきました。
 改めてよく見ると、その屋台はたい焼き屋さん…それも、普通のものとはちょっと違いました。
「白い、たい焼き…」
 あの子の好きなものなのかな、って思うと、また少しどきどきしてしまったのでした。


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