第四章

 ―まだまだ寒いですけれど、それでも少しずつ春の気配を感じはじめる、三月の初旬。
 いつもどおりに制服を着て、いつもと同じ道を歩いて、そしていつもと同じ場所の正門へとたどり着く。
 これまでずっと続いてきた穏やかな日常…いつもの光景なのですけれども、ふと足を止め、そしてさらに奥にあります講堂を眺めます。
「ここへくるのも、今日で最後…」
 そう思うと、ちょっと感慨深くなってくるかも。
 あ、別に最後になるとも限らないか…少なくてもこの制服を着てここへくるのは最後になるって思いますけれども。
「…うん、行きましょう」
 初等部へ入学をしてから今日までを過ごしてきた学び舎。
 いい想い出がたくさんあるとはいえませんけれど、それでも大切なものをいくつも得られた、かけがえのない場所…その想い出たちを思い出しながら、ゆっくりと並木道を抜けていきます。
「あっ、麻美先輩だ…おはようございます、だよ〜」
 たどり着いた講堂の周囲には人が集まっていて、その中から小さな女の子が飛び出す様にこちらへ駆け寄ってきました。
「あっ、はい、藤枝さん、おはようございます」
「うんっ、麻美先輩、今日はご卒業おめでとうございますだよ〜」
 相変わらず元気いっぱいな、今では生徒会の書記も務めている藤枝美紗さん。
「卒業してからが大変だと思うけど、みーさも応援してるよ〜」
「はい、ありがとうございます」
 夢を諦めずに目指すことにしたきっかけを作ってくださったのは藤枝さんですからあのことはもう打ち明けてあったんですけれど、彼女はああ見えて結構口のかたい子でしたみたいで、そのことが広まったりはしていませんでした。

 講堂にて行われた、初等部から高等部までの合同での卒業式もつつがなく終わって。
「皆は今日でこの学園を巣立つわけだけれど、ここで得た経験などを糧とし、さらなる飛躍をすることを願っている。では…みんな、元気で」
 今日でお別れとなる高等部の校舎、そして教室…教壇に立つ、クラス委員でありまた妹さんでもある春華さんから花束を受け取った綾瀬先生がそうおっしゃり、ついに私たちの学園生活が終わりを迎えました。
 中には泣いているクラスメイトもいますけれど、まだちょっと実感がわかないかも…。
「石川さん、卒業おめでとう」
 と、席を立ったところで、クラスの子たち一人ひとりに声をかけていらした先生が私にも声をかけてくださいました。
「石川さんの望む進路をはじめて聞いたときにはどうなるか不安だったけれど、無事に決まってよかった。けれど…家のほうは、ようやく落ち着いたみたいだけれど、本当によかったのかな?」
「はい、あの様な状態でしたけれど、でも父にはあの様なかたちとはいえお許しはいただけましたし、私はやっぱり自分の望む道を歩んでみたいんです。それに…会社のほうもいつまでも世襲を続けるのもおかしいと思いますし、よい頃合いでしたのかもしれません」
「そう、か…これからが大変だと思うけれど、困ったことがあれば頼りにくるといい。私も、それに妹の咲夜も、力になるよ」
「は、はい…先生、本当にお世話になりました。綾瀬さ…咲夜さんにもよろしくお伝えください」
 頭を下げる私へ先生は少し微笑み、また別の子へ声をかけていきます。
「先生、石川さんの進路、って何ですか?」「うちの学園の大学ではないそうですけど…」
「ん、そうだね…もしかすると、そのうち皆にも解るかもしれないね」
 他の子たちと先生のそんな会話が耳に届く中、私は一人教室を後にしました。
 廊下なども学園生活最後の時を惜しむ子たちの姿が多く見られますけれど、私はその中を抜けて、静寂に包まれた特別棟…その二階にあるあの場所へ向かいました。
「あっ、こんにちは、松永さん。きて、くれていたんですね」
「はっ、はわわっ…って、い、石川先輩、ご卒業おめでとうございますっ」
 その場所の扉を開けると、中のスタジオにいた女の子がびっくりしてしまいながらもお祝いの言葉をかけてくれました。
「うん、ありがとう」
 彼女、松永いちごさんの言葉にうなずきながらゆっくり部屋に入り、ゆっくり椅子へ腰かけながら周りを見回します。
「先輩がここで練習することも、もうないんですよね…」
「そう、だね…新しい生活にはやく慣れたいから、明日にはもう向かっちゃいますから…」
 ほぼ毎日通い続けたこの部屋とも、今日でお別れ…それを思うと、ようやく今日でこの学園から卒業するという実感がわいてきて、切なくなってきました。
 私がこれからの道を歩めるのも、ここで日々練習をしてきたおかげ…。
「…あの、先輩。よく考えたらまだDVDとかが置きっぱなしになってるんですけど、今から持って帰るんですか? ちょっと、多すぎる気もしますけど…」
 色々想い出に浸っていましたら、遠慮がちに声をかけられました。
「あっ、そういえばそうだよね…う〜ん、松永さんにみんなあげちゃいます」
「そうですか…って、ふぇっ? そ、そんな、いいんですかっ?」
「うん、松永さんには色々お世話になりましたから、そのお礼です…本当に、ありがとう」
「はわわっ、そんな、私なんて全然何も…っていうか、そうだとしてもこれはちょっと…!」
 う〜ん、この部屋だけじゃなくって、松永さんがいたおかげでここまでくることができたんだって思いますから、別に大げさでも何でもないんですけど…そうだ。
「あと、松永さんが私と同じ目標を目指すための贈り物、っていうことでどうかな。いつか同じ舞台で会えますように、って先輩からのプレゼント…それでも、ダメかな?」
「う、う〜ん…わ、解りました。この借りは、そのときに返させてもらいますから…絶対、私もなってみせますから、待っててくださいねっ」
 自分で言うのも何なのですけれど、私よりも松永さんのほうが夢を叶えられる可能性、力がある気がするんです。
 松永さんは学園祭の一件以来学園では結構有名人になっていますし、それはやっぱり彼女の実力によるところも大きいと思いますから…ちなみに、私は最後まで人前に出たりすることはありませんでした。
「うん、待っていますね」
 やさしく微笑みますけれど、頑張らないといけないのはむしろ私のほうかな。
 今回のことだって本当ならダメだったはずのところを特例みたいなものでなることができたんですから、気を抜くとすぐに消えてしまうことになりかねません。
「じゃあ先輩、頑張ってくださいね…ゲームが出ましたら、買いますから」
「うん、ありがとう。松永さんも、頑張ってね」
 彼女やみんなの応援を無にしない様にしなきゃ…その思いもあらたに、彼女と強く握手を交わしたのでした。

 松永さんのところを後にした頃にはすでにお昼も過ぎていて、人の姿もまばらになっていました。
 静かで落ち着いたこの環境で日々を過ごせ、そしてあの場所で練習をすることができた…それだけでも幸せなことだったのかもしれません。
 二度と戻らない日常、それに多くはなかったけれどその一つ一つはとってもかけがえのないものでした出会い…その全てに、感謝します。
「…ありがとう、ございました」
 正門前にまでやってきた私は学園のほうへ向き直り、深々と頭を下げました。
 ―こうして、私…石川麻美は、私立明翠女学園を卒業いたしました。


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