第4.1章

 ―とっても緊張しちゃった事務所での初日も何とか終えて、でもまだ緊張からは開放されません。
「え、えっと、灯月さん、本当にお昼ごはん、一緒にでいいの…?」
「もうもう、何です何です、石川さんは私と一緒にお食事するの、嫌なんです?」
 事務所を出たところで声をかける私にそう言ってくるのは、あのゲームで声優として一緒に出ることになった灯月夏梛さん。
 さっきはじめて…ううん、あのオーディションの日以来で言葉を交わして、そしてお名前もお互いに名乗ったんですけど、その灯月さんがお昼ごはんを一緒に、と誘ってくださったんです。
「う、ううんっ、そんなことない…とっても嬉しいですっ」
 今まで誰かに誘っていただいて、という経験もなくって少し不安になっちゃってましたけど、私の本心はやっぱりご一緒したくって、慌ててそうお返事します。
「そこまでそこまで言わなくてもいいと思うんですけど…大げさです」
「あ…そ、その、ごめんなさい…」
「そんなそんな、謝ることじゃないですし、私も安心安心しました」
「う、うん…安心、って…?」
「別に別に何でもありません…ではでは、行きましょう」
 灯月さん、ちょっとぷいっとした様子で顔をそらして歩きはじめます。
 私、何か怒らせることを言っちゃったんでしょうか…不安になりますけど、それと同時に今の彼女の仕草がかわいく感じられてどきっとしちゃいました。
 …って、いけません、ちゃんとついていかなきゃ。
「ところでところで、お昼は何を食べたいです? 行きたいところとかあります?」
 何とか気を持ち直して隣へ並ぶとそうたずねられます。
「あっ、うん、えっと、灯月さんの行きたいところで大丈夫だよ?」
「そうですか?」
「うん、私、こうやって誰かと外で食べるとか、はじめてですから…」
「そういえばさっきもそんなそんなこと言ってましたけど、本当本当なんです?」
「う、うん…」
 父と一緒に、といったものは多少はありますけど、それはちょっと違いますよね…うぅ、やっぱりおかしいのかなって思いますし、嫌われちゃったりしたらどうしましょう…。
「そういうことでしたらしょうがないですし、私が決めます…いいですか?」
「う、うん、お願いします…」
 でも、灯月さんは特に気にした様子もなく声をかけてくれましたから、私は少しほっとしながらうなずいたのでした。

「お昼ごはんですし、軽い軽いものでいいですよね」
 そう言った灯月さんが連れて行ってくださったのは、事務所からそう離れていないところにありました喫茶店でした。
 喫茶店、とはいっても軽いお食事もできるみたいで、確かに十分そうです。
 灯月さんと向かい合うかたちで一緒のテーブルについて、注文をして…。
「石川さん、とってもとっても緊張してたみたいですけど、大丈夫大丈夫です?」
 と、店員さんが戻っていったところで灯月さんがそうたずねてきました。
「あっ、う、うん…こういう経験ってはじめてで、それでちょっと…」
「あぁ、そういうことでしたか…メニューの見方も解って解ってませんでしたものね」
「…はぅ」
 ちょっと恥ずかしくなってうつむいてしまいますけど、恥ずかしいのや緊張をする理由、言葉にしたことは実は半分くらいといったところなんです。
 もう半分の理由は何かというと、灯月さんみたいなゴスいおよーふく姿もとってもよく似合うかわいらしい子がすぐ目の前に座っている、ということ…そんな子とこうしているなんて、夢みたいです。
「別に別に、そんな恥ずかしがらなくっていいです。確かに確かに今まで注文の一つもしたことないっていうのはびっくりびっくりですけど、誰だってはじめてのことは緊張緊張しますから」
「う、うん…ありがと、灯月さん」
 嬉しくって、顔を上げて微笑みながらお礼を言います。
「べ、別に別に…それにしても、そんなことでこれからこれから大丈夫なんです?」
 あれっ、灯月さん、少し慌ててしまいましたけれど、どうしたんでしょう…?
「あっ、えっと、スーパーとかには一人でも行けましたし、多分大丈夫なはず…です」
 うんうん、それに本屋さんとかには学生時代からちゃんと一人で行けてましたし。
「スーパー…お料理作るんです?」
「あっ、うん、私、こっちにきて一人暮らしをはじめてみましたから」
「石川さんが一人暮らし…大丈夫なんです?」
「はぅ、だ、大丈夫です…きっと、多分…」
 何だかものすごく心配げな目を向けられちゃいました…実家の家政婦さん、それに松永さんや綾瀬さんも私が一人暮らしをする、ってなったときにそんな様子になっちゃってましたっけ…。
 私ってやっぱりそんなに頼りないんでしょうか…いえ、自覚はありますけど、でもこの一週間くらいちゃんとやれてますから、多分大丈夫なはずです。
「石川さんがそう言うんでしたらそうなんでしょうけど…じゃあ石川さんはどっかから引っ越してきたんです?」
「あっ、うん、実家はちょっと遠いですし、やっぱり声優さんにさせていただいたからには事務所のある町に住んだほうがいいですよね、って」
「なるほどなるほどです…えとえと、石川さんって私と同い年ということは、高校卒業のタイミングで声優になれた、ってことですよね?」
「うん、そうだけど、灯月さんも?」
「ですです、たまたま今回のオーディションに合格できまして…」
 私たちがなったお仕事って年齢はそれほど関係なくって、実際高校生とかでお仕事してる人もいますよね…まだお会いしたことはありませんけど、私たちの事務所の片桐里緒菜さんという人もそうみたいですし。
 そう思うと、高校卒業っていう普通に就職するのと同じタイミングでこのお仕事につけた私たちって、すごい偶然です…けど。
「でも灯月さん、それがどうかしましたか?」
「あっ、えとえと、もう学生じゃないならそこまでそこまでおかしなことじゃないですけど、ご両親がよく一人暮らしを許して許してくださいましたよね、って思いまして。初対面に近い私ですら、心配心配になるくらいですし…」
 はぅ、私ってやっぱり…ううん、これはさっきも思いましたからいいです。
「うん、私、もう両親とも亡くなってますから…」
「あぅあぅ、そ、そうでしたか…。それは、ごめんなさいです…」
「ううん、そんな、気にしないで?」
「は、はい…でもでも、そんなの、なおさら大変大変そうです。本当本当に大丈夫です?」
「ありがとうございます、灯月さん。本当に、大丈夫ですから」
 私のことなんかを心配してくださるのがとっても嬉しくって、それだけに安心してもらいたいって思って、微笑みながらうなずきます。
「そ、それならよかったよかったです」
 灯月さん、ほんの少し顔をそらしたりしちゃいましたけど、どうしたんでしょう…でも、そういう仕草もやっぱりかわいいって感じちゃいます。


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