皆さんの協力のおかげで無事に書類や声を収録したCDを送ることができてから、二ヶ月近くの時がたちました。
 松永さんが無事にイベントの司会を務めることのできた学園祭もすでに終わり、木枯らしの冷たい季節となってきました。
「…よかった、ちゃんと着けました」
 そんな日曜日、私は一人、大きな町の駅前に立っていました。
 あまり外出などしなかった私にとって、電車に一人で乗ることも緊張してしまうことでしたけれど、ここまでやってきて、胸の高鳴りは収まるどころかむしろ大きくなってきていました。
 これまでの人生でも緊張してしまったことは多々ありましたけれど、そのいずれも今日には及びません。
「…は、はやく、行かなきゃ」
 緊張、それに不安など色んな気持ちが交錯しますけれど、時間は限られているんです…胸の高鳴りを何とか抑えつつ、手にした小さな紙片へときどき視線を落としながら、人で賑わう駅前通りを歩いていきます。
 紙片に書かれているのは、今日の目的地へ至るまでの道のりの書かれた地図…見知らぬ大きな町で迷っては一大事ですし慎重に向かいますけれど、これまでのほとんどの時間をあの学園など静かな空間で過ごしてきましたから、激しい人通りに緊張する気持ちもあわさって気分が悪くなってきてしまいます。
 それでも目的地へ近づくにつれて人通りも少しずつ少なくなってきて…駅から歩いて十五分ほどしたその場所へたどり着いた頃には、ずいぶんまばらになっていました。
「う、うん、ここ…だよね?」
 足を止めた私の前にあるのは、オフィス街らしい雰囲気の中に建つビルの一つ。
 郵送されてきた書類にある住所のビル名とも一致しますし、ここで間違いありません…けれど、そこまでやってきたところで、私の足は地面に張り付いた様に動かなくなってしまいました。
 私が今日ここへやってきたのは、夢を叶えるため…夢を現実にするための扉がこんな近くにあるのに、私の身体は震え、足が動かない…。
 確かにまだ道は半ばにもきてなくって、この先はさらに狭まってそこを抜けられる可能性はものすごく低いでしょう…でも、ここで立ち止まってしまっては、そのわずかな可能性もなくすことになっちゃいます。
 そんなことはダメ…なのに、先へ進むのがこんなに恐く感じてしまうなんて。
 情けないことにここまできてこんな状態になってしまってから、どのくらいたったでしょうか。
「…ねぇ、あなた。そんなところにずっと立って、何しているんですか?」
 突然すぐそばからかかってきた声にはっとすると、いつの間にかすぐそばに一人の女の子が立っていました。
「お顔がすごくすごく青いけど、大丈夫ですか?」
 心配げに声をかけてきたのは、私よりも少し背の低い女の子。
 きれいな髪をツインテールにして、かわいらしい服装に負けないくらいかわいらしい顔をした、まさに美少女です。
 …わぁ、こんなかわいい子に声をかけられるなんて、つい今までとは別の意味でどきどきしちゃいます。
「え、えっとえっと、私の顔に何かついていますか? あなたみたいな人に、そんな見つめられたら…」
「…あっ、ご、ごめんなさいっ」
 はっとして謝りましたけれど、ほんのり頬を赤らめて戸惑うその様子もやっぱりかわいらしかったです。
「その様子なら大丈夫そうですね…って、あれっ?」
 その子の視線が、私が手にしている紙…選考の案内へ向きました。
「もしかして、あなたも…声優のオーディションを受けにきたんですか?」
「…えっ、じゃあ、あなたも?」
「はい、今受けてきて、もう帰るところです」
 わぁ、やっぱり一次選考を通過しただけあって、声も顔もみんなかわいいです…って、私も一応それを通過しましたからここへやってきたんですけど。
「ということは、私のライバルになるということですね。そんな緊張した様子で力を出せるのか解りませんけれど…まぁ、頑張ってくださいね」
 そう言い残したその子は、私へ背を向けて歩いていってしまいました。
 そっか、採用されるのはもちろん一人ですから、あの子にも勝たないといけないんですね…。
 あんなかわいい子に、私が勝てるのかな…自信ないですけど、そういえば今の子、ライバルなはずの私のこと、応援してくれましたよね。
 余裕なのか、それともやさしいのか…どっちでもいいか。
 彼女と少し話したおかげで緊張がだいぶほぐれました…それに、ここまできたからには採用されたいですけど、もしあの子が相手なら負けてもしょうがないかな、なんてちょっと気楽な気持ちにもなったんです。
 誰が選ばれるにしても、一人しか選ばれないんだから、今の子と会う機会も、もう二度とないんだよね、きっと…。
「…ありがとう」
 もうほとんど見えなくなったその子の背に声をかけ、私はビルの中へ向かったのでした。


    (第3章・完/第4章へ)

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