幸い…といいますか、綾瀬先生に相談する機会はすぐに訪れました。
 すっかり暑さも収まってきた十月、体育祭も無事に終わった頃から、放課後に進路についてのほぼ最終となる面談が行われることになっていたんです。
 場所はこれまでにも何度か訪れたことのある、進路指導室…順番が回ってきたその日、私は緊張した面持ちでそこに入り、すでにいらした綾瀬先生の向かい側へ座りました。
「石川さん、ずいぶんと緊張しているけれど…そう固くなることも、ないよ」
 私のあまりの様子に、先生はかすかに微笑んでそれを解きほぐそうとしてくれます。
「石川さんのことは、咲夜も見てくれているから、ね。妹が迷惑をかけたり、していないかな…?」
「い、いえ、そんなこと…綾瀬さんには、とてもよくしてもらっています」
「そうか…うん、ならよかった」
 落ち着いた口調な先生、そして共通の話題に、私のほうも少しずつ落ち着いてきたでしょうか…。
「うん、では石川さんの進路についてだけれど…」
 と、本題に入るとそれもあっという間に、さっき以上の緊張に襲われてしまいました。
「…どうしたのかな。静かな部屋で、私と二人きりになるのが、緊張するのかな」
「い、いえ、そういうわけではありません…」
 以前ならそんなこともあったかもしれませんけれど、今日は…あのことを言わなくってはいけないから。
 あの子には言っているけれど、彼女は私と同じ夢を持っているもの…そうでない人にこれを言ってどう思われるのか、正直に言ってそれが恐いんです。
「そうか、ならよいのだけれど…では、石川さんの進路希望については、この学園の大学へ進学する、ということだね」
 先生の言葉通り、これまでの進路希望調査ではそう答えていました。
「そうなると特に試験などもないから、このまま卒業まで無事にすごしてもらえれば…」
 本来でしたらその通り…なのですけれど、私の想いは別のところにあります…!
「…せ、先生っ!」
 淡々と進む先生の言葉を、強い口調でさえぎってしまいました。
「…ん? 石川、さん?」
「あ、あの、私…っ」
 鋭い目を向けられて一気に胸が締め付けられる感覚に襲われ、声も震えちゃいますけど…も、もう後戻りはしちゃいけませんっ。
「うん、何か言いたいことがあれば、遠慮なく、ね?」
「は、はい、あの…私っ、実は、卒業後は声優さんになろうと思ってますっ」
 先生にうながされ、強い口調で気持ちを吐き出しちゃいましたけど…あぁ、ついに言っちゃいました。
「…ん? 今、何と言ったのかな…?」
 いつも冷静な先生が少し、でも明らかに驚いた表情を向けてきましたけれど、しょうがないよね。
「は、はい、私、声優さんになりたくって…」
 だって、今までずっと大学へ進学すると言っていた生徒が、突然まさに夢みたいなことを言ってきたのですから、もっと驚いてもおかしくないくらいです。
「そう、か…ふむ、声優とはね…」
 その先生はすぐに冷静な様子に戻りそう呟くと、目を閉じて考え込んでしまわれました。
 あぁ、やっぱり呆れられちゃったのかな…緊張に代わって不安が心を包み込んでいきます。
「あ、あの、先生…やっぱり、おかしいですか…?」
「あぁ、いや、そんなことはない」
 沈黙に耐えかねてこちらからおそるおそる声をかけますと、先生ははっとした様子で目を開けました。
「ただ、そうした進路を望む生徒がこれまでいなかったし、それに突然の告白だったから、少し驚いてしまったんだ」
 松永さんはまだ一年生ですし、こんなことを言うのはやはり私だけなんですね…。
「ほ、本当に、おかしくなかったですか…?」
「うん、何もおかしなことは、ないと思うよ。声優というのも、立派な仕事だと思うから」
「あ…は、はいっ」
 そう言ってもらえたのが嬉しくて、不安な気持ちが小さくなっていきました。
「けれど、石川さんが何か夢を持っていることは気付いていたけれど、声優とは…全く、想像していなかったな。ずっとそれを進路に望んでいたのならば、もう少しはやく言ってもらいたかったかも、しれないね」
「ご、ごめんなさい…」
「ふむ、この様子だと、ご両親などにも言っていなさそうだね。反対されるのではないかと不安だったから、かな?」
「は、はい…」
「そうか、気持ちは解らないこともないけれど…もう少し、担任の私を頼ってもらいたかったかな。その方面の知識は持ち合わせていないから、これから調べて間に合うかな…」
 そうして真剣に考え込む先生を見て、不安な気持ちは小さくなったものの、申し訳のない気持ちがどんどん大きくなってきちゃいます…。
「せ、先生、そんな…先生が、そこまで調べることは…」
「いや、教師は生徒の将来に責任を持たねばならないから、ね」
 そう言われると何も言い返せなくって、そしてやっぱり申し訳なくなってしまいます。
 ううん、私は…自分勝手なだけじゃなくって、浅はかすぎたことも、すぐに解っちゃうんです。
「それで、石川さんは…もう、声優になるための道筋など、ついているのかな。すでに卒業後にどこかで活動をすることが決まっているとか、あるいはどこかの学校へ入り練習を行っていく、とか」
「…えっ?」
 だって、私…先生の質問に答えられなかったどころか、今の今までそのことを考えていなかったんですから。

「…はぁ」
 自分の部屋に戻り扉を閉じて、そのままベッドの上に倒れこんでしまいました。
 今日は放課後に面談があるということで習い事はありませんからしばらくはのんびりできます…けれど、何もする気力がわきません。
「私って、どうしてこんな情けないのかな…」
 ベッドにうつぶせになって、枕を抱きしめながら、涙をあふれさせてしまいます。
 それほど、今までの私の行動…ううん、行動してこなかったものが、あまりにも悔やまれちゃうんです。
 この時期になるまで先生に相談しなかったこともそう…ですけど、何より問題だったのは、どういった道筋で声優さんになるのか、これまで全く考えていなかったことです。
「本当、私ってバカですよね…」
 先生は「それだけ自分を伸ばすことに力を集中していたのだろうし、気にすることはない」と言ってくれましたけど、練習ばかりしていてその先のことが頭から抜けていたなんて、やっぱりあまりにも情けないです。
「くすん、くすんっ…」
 しばらく泣きはらしちゃいましたけれど、そんなことをしてても何の解決にもならないですよね。
 今からでも、これからのことをちゃんと考えなきゃ。


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