私より二つ歳下、今年高等部に上がってきた松永いちごさんは、先ほどの言葉どおり声優さんを目指す女の子。
 高等部にまで上がったのを期に本格的に声優さんになるための練習をしようと思い立ち、どこかいい場所はないかと探し回り、そうして見つけたのがここだったといいます。
 以来、予定のない日の放課後を利用してここで練習をしていた、と…確かに、時間こそずれているものの私と同じです。
 さらに、自分以外にもここを使っている人がいることには気づいていたものの、放課後には自分しか現れないので不思議に思っていたともいいます。
「もしかして夏休みに入ったらその誰かに会えるかもって思ってましたけど、まさか初日に会えるなんて…ドアノブが回ったときはびっくりして思わず隠れちゃいましたけど」
 もしかすると巡回の人かもしれないと思い、実際に発声練習をはじめるまで様子をうかがっていたそうなんですけど…その話を聞きますとやっぱりあの疑問が浮かびます。
「あ、あの、隠れるっていっても、どこにいたんですか…?」
「はい、この部屋、あそこに小さな物置があるんです。さっきはとっさにあの中に隠れまして…」
「…あ、なるほど」
 彼女の視線の先、ちょうど入口の扉と反対側の壁に小さな扉があるのが見えます。
 はじめにここへきてお掃除をしたときに私もそこには気付きましたけれど、その後は気に留めてませんでした。
「これで私のことは解ってもらえましたよね。次は、あなたのことを聞かせてもらえますか?」
「わ、私のこと?」
 そ、そうですよね、私がこの子のことが気になる様に、この子も…。
「う、うん、私は高等部三年の石川麻美です」
 まずは名前を言ってから、ここにいる理由を説明していきます。
 私の夢のこと、ここを見つけていつも練習をしていたことなど…机を挟んで向かい側に座る彼女は、それを真剣な面持ちで聞いてくれました。
 今までずっと誰にも言わず、胸の内に秘めていたこと…それを初対面の人に話すんですからとっても緊張しちゃってたどたどしい口調になりましたけど、話したくないという気持ちにはなりませんでした。
「なるほど、石川先輩はいつもお昼休みにここを使っていたんですね。どうりで、人が使っている気配があっても会えなかったわけです」
 同じ夢を目指している彼女は私の話を聞いても笑ったりすることなく真剣な様子で、そして聞き終えると納得した様子を見せてくれました。
「でも、私以外にも声優さんを目指している人がいて、しかも同じ場所で練習してるなんて、ちょっとびっくりです」
「う、うん、そうだよね…」
 この学園で声優さんを目指す様な子なんて私だけだって思ってましたから…藤枝さんに出会ったときと同じ、ううん、それ以上の衝撃です。
「石川先輩は、夏休みはずっとここで練習するつもりですか?」
「はい、そのつもりですけど、松永さんも…?」
「もちろんです、そのため…もあって夏休みも学生寮に残ったんですし」
 では、お互いに毎日ここを使いたい、ということですよね。
 どうしましょう、午前と午後、あるいは一日おきとか、そんな感じで使う日を分けていったほうがいいのでしょうか。
「う〜ん、それじゃあ、一緒に練習しませんか?」
 と、松永さんの口から出た提案は、私の頭には思い浮かばなかった考え。
「同じものを目指す者同士です、一緒に練習すれば得られるものも多いんじゃないかって思いませんか?」
「そう、だね…」
 これまでの約一年、私はずっと一人で練習してきました。
 それなりの自信には繋がり、また力もついてきているとは思いますけれど、まだまだ足りないものも多いかと思います。
 そもそも、声優さんというお仕事は人に声を聴いてもらうものですし、いつまでも一人で…というのは、よくないかもしれませんよね。
 さらに、目の前にいる女の子は私と同じ夢を持った子…私なんかで力になれたら、それも嬉しいことですよね。
「解りました、一緒に練習しましょう」
「ありがとうございますっ。じゃあ、一緒に頑張りましょうねっ」
 私の返事を受けた松永さんは本当に嬉しそうな様子で身を乗り出し、こちらへ手を差し出してきました。
「は、はい、こちらこそ、よろしくね…?」
 そうして、お互いにしっかりと握手をしたのでした。

「ちょっと遅くなっちゃいましたね、先輩」
「うん、さすがにちょっと疲れちゃったかな…」
 はじめて誰かと一緒にした練習。
 それを終えてスタジオの外へ出る頃には、外はすっかり夕焼けに染まっていました。
 もちろんお昼の休憩などは挟みましたけど、ここまで長い時間練習をし続けたのははじめて…とまでは言いませんけれど、久し振りな気がします。
 それだけ松永さんと一緒に行う練習が有意義で、また楽しくもあったんです。
 この時間、すでにどこの部活も終わっているみたいでとっても静かな中、私たちは帰路につくため校舎を後にして並木道を歩いていきます。
 こうやって誰かと一緒にここを歩くのも、はじめて…とまでは言いませんけれど、とっても久し振りです。
「石川先輩、さすがにきれいな声でした。でも、まだちょっとおとなしすぎる気がしちゃいました」
 一方の松永さんは今日の練習を終えた感想を話してきます。
「そ、そうですか?」
「はい、歌のほうももうちょっと声を大きく出せたほうがいいかもしれません。今の声優さんに歌は重要な要素ですよ?」
「う、うん、ありがとうございます」
 今の疑問は私の声がきれい、ということに対してだったんですけど…でも、こういうことを言ってもらえるのは、ありがたいですよね。
「松永さんは、かわいい声とか低めの声とか、どれも不自然な様子なく出せていてすごかったです」
「はわわっ、わ、私なんてまだまだですよっ?」
 顔を赤らめて慌ててしまったりと、今日一日彼女を見ていて、明るくかわいらしい女の子だと解りました。
 あと、私よりも元気がいい…と、これは当たり前です。
「と、とにかく、あと先輩に足りないものっていったら…そう、体力です」
 と、まさに元気に近い意味のことを言われちゃいました。
「う、うん、それは確かに自分で解ってますけど、でもそんなに必要なことじゃ…」
「甘いです、少なくてもさっきの練習くらいで疲れてるみたいじゃ全然ダメだと思いますよ? 長い録音とかにも耐えうる程度のものは必要です」
 そう言われると、返す言葉もありません。
「ということで、明日からは基礎体力をつけるための運動も練習に加えましょう」
「…えっ?」
 言い返すことはできませんけど…はぁ、明日からちょっと大変そうです。
 そんなことを話しているうち、学生寮へと続く脇道が分岐している場所にまでたどり着きました。
「石川先輩、今日はありがとうございました。明日も、よろしくお願いします」
「あ…う、うん、こちらこそ」
 そこで足を止めた彼女に深々と頭を下げられましたけど…何だか部活動みたいですね。
「それじゃ、今日はこれで…」
 …あ、いけない、そうでした。
「松永さん、少し待ってください」
「…ふぇ? どうしたんですか?」
「うん、えっと、私たちのしていることですけど…」
「大丈夫です、誰にも言いませんから…では、失礼しますっ」
 もう一度頭を下げた松永さんは私に背を向け、脇道へと姿を消していきました。
 …何だか、本当に部活動で後輩ができた気分です。


    (第2章・完/第3章へ)

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