「ではお嬢さま、お気をつけていってらっしゃいませ」
「はい、行ってきます」
 夏休み初日、いつもの登校時間よりは少し遅いものの、家政婦さんに見送られて自宅を後にしました。
「さすがに、日差しが厳しいですね…」
 真夏の太陽が照りつける中向かうのは、通い慣れた学園…服装も制服で、それにお弁当も持参です。
 いつもの夏休みでしたら父の勧めで国内なり海外なり秘書へ行っていましたけれど、去年からそれは遠慮をしています…いずれにしても、家政婦さんは常にお家にいます。
 遠慮した名目は学園で夏期講習があるから、というものなのですけれど、もちろん実際は違う理由です。
 セミの鳴き声の響く、人影はまばらな学園…でもグラウンドなどには部活動をする子たちの姿も見えます。
 こんな暑い中、すごい…私はもう限界が近くって、急いで高等部の校舎へ入りました。
 人の姿のない、ちょっとさみしい感じのする中、向かう場所はもちろん決まっています。
 特別棟二階の端にひっそりとある開き戸、そのドアノブへ手をかけます回します…と。
「大丈夫、かな…」
 ふと不安になったのは、中に誰かいたりしないかな、っていうこと。
 終業式でした昨日は午前中で学校は終わったもののその後家へ帰ってしまって、ここへはこなかったんです。
「…う、ううん、きっと大丈夫」
 今まで誰にも会ってないんですし、去年の夏休みもここは使っているんですから…大きく深呼吸をしてから思い切って扉を開け、中へ入りました。
「…あれっ?」
 部屋の中に入り扉を閉じた瞬間、ものすごい違和感…いえ、それ以上のものを感じてしまいました。
「…明かりが、ついてる?」
 そう、私がまだスイッチを押していないにも関わらず部屋にはすでに明かりが灯っており、しかも冷房まで効いていたんです。
「だ、誰か、いるの…?」
 部屋の中を見回してみますけれど、誰の姿もありません。
 でも、よく見ると椅子の一つが倒れていたりと、やっぱりどこかおかしいんです。
「ど、どういうこと…?」
 どう見ても部屋には異変があるのに、誰の姿もない…。
 さっきまで誰かがいた、ということなのか、あるいは…う〜ん、一昨日私がスイッチを切り忘れちゃったのかも。
「…う、うん、そういうことにしておこう」
 誰の姿もない以上、このことで悩んだりおびえたりしていても、しょうがないもの。
 そう心に言い聞かせながら、ぎこちない動きでお弁当を机の上に置きました。
「大丈夫…うん、大丈夫」
 おびえがちな気持ちを落ち着かせるために大きく深呼吸をして…う、うん、まずは軽く発声練習をして喉を慣らせよう。
「ん、ん〜…こ、こほんっ」
 軽く咳払いをしてから発声練習をはじめましたけれど、うん、悪くないかな。
 昔…一年前の夏休みの頃に較べたらずっとおなかに力が入る様になって、大きな声も出る様になった気がします。
「…あぁ〜っ!」
「きゃぁっ!」
 と、あまりに唐突に背後から大きな声が届いてきて、あまりにびっくりしちゃって大声で悲鳴をあげてそのまま固まってしまいました…!
 なっ、な、な…何です、今の…!
「誰がこの部屋を使ってるのかずっと気になってましたけど、あなただったんですねっ」
 背後から届くのは明るい女の子の声ですけど、どうして…どうして、人がいるのっ?
 だって、私の正面にある入口の扉は絶対に開いてませんし、それに中にも誰もいなかったはず…!
 頭は混乱し、胸はものすごく高鳴りを打ってしまいますけれど、真実を確かめないわけにもいかなくって、両手を胸の上に重ねて何とかどきどきを抑えながら、おそるおそる後ろを振り向いてみました。
「こんにちは、ですっ」
 そこに立っていて、明るい笑顔で声をあげるのは一人の女の子。
 私と同じ高等部の制服を着て、私と同じくらい長い…ううん、それよりはちょっと短い髪、それに私よりは少し背の低い、きれいというよりはかわいい、といった感じの子。
「う、うん、こんにちは…」
 もちろん会ったことのない子でしたけれど、その元気な挨拶に戸惑いながらお返事しました。
 み、見た感じは普通の女の子…幽霊とか、そういうことはなさそうですよね…?
 でもやっぱりおびえ気味の私に対して、一方のその子は…何だか観察する様に私のことを見てきていました。
「あ、あの、何…?」
 そんな視線に耐えかね声をかけますけれど、ちょっと震えちゃいます。
「あっ、ごめんなさい。どんな人がここを使ってるのかな、って…おとなしそうな人ですね」
 一方のその子はあくまで明るい様子ですけど、私がここを使っていたことを知っている…?
「あ、あなた、誰…? どうして、こんなところにいるの…?」
「申し遅れました、私は高等部一年の松永いちごといいます。ここにいる理由は…きっと、あなたがここにいる理由と同じだと思いますよ?」
 私と同じ、って…?
「えっ、あの、あなたは…私がここにいる理由が、解ってるの?」
「はい、声優さんを目指して練習しているんですよね?」
 そ、そんな平然と言ってのけられちゃうなんて…。
「ど、どうして、そんなことが解っちゃうの…?」
 何もかもが見透かされている気がして、恐くなっちゃいます。
「だって、ここにある本とかアニメ関係のものを見れば、それにさっきあなたがしてたことを見たら、そのくらいのことは解っちゃいます」
「あ…そ、そっか…」
「はい、特に……私と同じことをしていたんですから、なおさらです」
「…えっと、どういうこと?」
「さっき言いませんでしたっけ、私がここにいる理由はあなたと同じ、って。私も、ここで練習してるんです…声優さんを目指して」
「…え、えぇっ?」
 やっぱり、ここには私以外にも人が出入りしていた…しかも私と同じことをしていたという事実に、私はただただ驚きのあまり固まるだけでした。


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