第二章

 ―七月に入りましたけれど、まだ梅雨は明けなくって外は雨模様。
 でも、あの場所を見つけて以来、お昼休みを外で過ごすことはなくなりましたから、特に気には…ううん、湿気と蒸し暑いのは嫌ですけど。
 雨の音がチャイムの音にかき消されお昼休みを迎えると、私はお弁当を片手に教室を後にして、学食へ向かう人の流れに混じって特別棟へ向かいます。
 大多数の子はそのままさらにその先にある学食へ向かうために特別棟を抜けていきますけれど、私はその人の流れから抜け出し、階段を二階へと…。
「あっ、石川先輩だ〜。こんにちはだよ〜」
 と、二階へ上がったところで後ろから元気な声…振り向きますと、小さな女の子が階段を上がって私のところにまでやってきました。
「はい、藤枝さん、こんにちは」
「うん、ちょうどいいところで会えたよ〜。ちょっとだけお時間あるかな〜?」
「えっと、大丈夫だけど…」
「わぁいっ、じゃあ一緒に図書室に行こ〜」
 私の恩人は相変わらず元気いっぱいに階段を上がっていきますから、私もそれについて三階、そして図書室にたどり着きます。
 その扉を開けた彼女はそのまま一直線にお目当ての場所…一年前の今頃にはなかった、入口近くにある棚へ駆け寄るんです。
「ほら、見てみて、昨日新作ができあがったから、さっそく棚に並べてみたんだよ〜」
 はしゃぐ藤枝さんが指す棚には『みーさのものがたり』と書かれた看板があって…その名の通り、ここには彼女が書いた物語が収められています。
 この棚ができましたのは、いつくらいでしたっけ…去年の年末にはもうあったかと思います。
「えっと、今回はどんな子のお話なんですか?」
「うん、一年生にいる、ボーイッシュな子とお姫さまみたいな子のお話だよ〜」
 藤枝さんの書く物語は、この学園にいるお二人の女の子を主人公にした、百合なお話。
 私でしたら自分のことがこうして物語にされ、さらには本にされて棚に並ぶなんて恥ずかしくて耐えられそうにありませんけど、ここに並んでいる本たちは一応本人たちの許可を得ているそうですから、問題ないといえばそうなりますよね。
「石川先輩も、さっそく読んでみてよ〜」
 そうして手渡された本は、かわいらしい女の子二人のイラストが表紙を飾る、普通の本と何ら変わらない装丁のもの。
 でも、これは藤枝さんの書いた物語…文芸部の部長である彼女が時の生徒会長さんに自分の書いた物語を読んでもらった際、生徒会長さんはそれを痛く気に入り、ここまで全面的に協力してくれたとのことです。
 いくらその生徒会長さんがこの学園の理事長も兼任しているというとんでもない人でも、こうして無償で立派な本にまでなっちゃうなんて、すごいですよね。
 さらに、このコーナーがこうしてここにあることからも解る様に、藤枝さんの物語は結構好評みたいで、百合というのもみんなに認知されていっています。
 彼女自身「天然百合少女」って呼ばれる高等部の有名人になってきてますけど、すごいなぁ…確実に夢を叶えていっていますよね。
「うん、ありがとう。帰ってからゆっくり読ませてもらうね」
 そんな藤枝さんを見ていると私も頑張らなきゃっていう気持ちになって、本を受け取ると図書室を後にしたのでした。

「…ただいま」
 放課後は雨の中、傘を差してまっすぐに帰宅…父に車での送迎を提案されたこともありますけど、この距離なら歩いたほうがいいかな、って思うんです。
「お帰りなさいませ、お嬢さま」
 玄関の扉を開けると出迎えてくるのはいつもと同じ家政婦さんで、父もいつもどおり今日も帰ってこない…いつもと変わらないことですけど、最近はそこにも少し変化がありました。
「今日はすでにバイオリンの講師がきておりますので、お急ぎください。夕食後、午後七時からは家庭教師の者がくる予定です」
「…はい、解りました」
 以前にも増して習い事が多くなって、さらに夜には家庭教師までつけられてしまったんです。
 こうなった理由は察しがついてますからあまりいい気持ちではないですけど、かといって文句は言えません。
 それに…こうなったおかげで、意外な出会いもありましたし。
「お嬢さま、家庭教師のかたがいらっしゃいました」
 夕食後、お部屋へ戻るとすぐそんな声がかかり扉が開きました。
「麻美さん、こんばんは。今日もお勉強、頑張ってもらうわよ?」
 家政婦さんに連れられ入ってくる一人の女の人…家政婦さんは部屋へ入ることなく扉を閉じ、ここには私とその人の二人だけ。
「は、はい、こんばんは、よろしくお願いします…」
 その人は背は高めでスタイルもいい、そして私よりほんの少ししか歳は離れていないはずなのにずっと大人びた雰囲気をしたきれいな女の人。
 そんな人が閉じられた扉の前に立って厳しい表情でこちらを見つめていますから、椅子に座った私も身動きできません…と。
「…ふぅ、もう行ったみたいね。麻美さんもそんな気を張らず、もっとリラックスしなさいな?」
「あ、は、はい…」
 その人がふっと肩の力を抜いて笑顔を見せますので、つられてこちらもほっとします。
「雇われの身でこんなこと言うのも何だけど、麻美さんって普通に成績いいし、私から教えることなんて特にないのよね」
 ベッドの端に腰かけるその人は人懐っこい雰囲気…私のちょっと苦手なタイプともいえますし、実際お会いした頃はずいぶん緊張しちゃいましたっけ。
「特に、あのお姉さまの教え子なんだもの。さらに春華ちゃんのクラスメイトだともいうし、ね」
 それが今では少し親近感を覚えているのですけれど、その理由の一つがこれ…この人は大学生の綾瀬咲夜さんといって、何と私の学園での担任である綾瀬先生の妹だというのです。
 そんな人が私の家庭教師になっているのは全くの偶然…びっくりですよね。
「ね、今日はあれ、ないの?」
「あ、は、はい、ちょうど新作を受け取ってまして…読みますか?」
「ええ、お願い」
 私が差し出した本を興味深げに読みはじめる綾瀬さんですけれど、その本とはお昼に受け取っていた藤枝さんが書いたものなんです。
「いいわよね、麻美さんたちは。こんな本を書く子がいるなんて、羨ましいわ」
 本を読みながら心底羨ましそうにそう言われてしまいましたけど、そう…綾瀬さんはあの学園の出身、さらに百合好きさんだったんです。
 大学生でまたこうして私の家庭教師をする傍らモデルさんとしても活動しているという、目立たない私とは真逆な感じの、華やかな雰囲気の綾瀬さん。
 でも私と同じ様に百合なゲームやアニメが好きらしくって、それで本来私がそうしたものに手を出す時間をなくすために設けられたこの時間を、こっそりそうした時間に使わせてくれているんです。
 綾瀬先生のお話もうかがうことができましたし、この偶然の出会いには本当に感謝をしています。

 藤枝美紗さんに綾瀬咲夜さん。
 私のまわりに趣味を同じくする人がこうして二人もいて…百合好きであること、それにアニメとかが好きなことについて、特に隠すことじゃないかなって思える様になってきました。
 自分の気持ちに少し自信が持てたわけですけど、でもまだ人には言えないことがあります。
 それは…私の、将来の夢。
 高等部三年生へ進級してから提出をした進路希望調査には去年と同じことを書いていて、また誰にも言っていませんけれど、私の本心…真の希望は、別にあります。


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